偏食家、今更ながら浅田次郎『天切り松 闇がたり』にはまる
「世の中には美味しいものがいっぱいあるのに、人生を損している」
とは、あまりにも偏食のすぎる私への、母の言葉だ。
シイタケはじめ、キノコ類。
海老、カニなど甲殻類。
特に海老やシイタケは、あの食感や見た目を思い出しただけで、「うわあ…」と引いてしまう。
それでも、小説などで、登場人物たちが美味しそうに食べている描写を読むのは、嫌いではない。
それでも、「じゃあ現実で試してみるか」、という気になれないから不思議だ。
たぶん、書き手の方では、そういった食材に抵抗がなく、むしろ喜んで食べるからこそ、美味しそうに、楽しそうに書けるのかもしれない。
私の偏食は、他の分野にも及ぶ。その一つが読書だ。
「世の中には美味しい(面白い)もの(本)が沢山あるのに、人生を損している」
母の言葉が、ここでも当てはまるなあ、と思ったのは、今日ある本を閉じた瞬間だった。
浅田次郎の『天切り松 闇がたり1巻 闇の花道』である。
長いこと、短編はすぐに読み終わってしまうのが物足りないから、とあまり積極的には手に取ってこなかった。
長編の方が好き、と言いながら結局長さについていけなくなって、途中で放り出してしまった本も数多くある。
この連作短編『天切り松 闇がたり』のシリーズも、タイトルは知っていても、手に取ろうとはしてこなかった。
だが、「小説を書きたい」、「その勉強のために、とにかく短編を毎日一つは読みたい」という思いが、この本を手に取らせた。
これは、「天切り松」と呼ばれる不思議な老人が、留置場で囚人や看守たちを相手に聞かせる、今は昔、大正ロマンの時代に活躍した悪党たち、目細の安一家の話である。
入っているのは全6話。
一話読んでは少し箸を休め、時には他の本をつまみ食いして、昨日今日と二日かけて読んだ。
そして第五話『白縫花魁』では、主人公が幼いころに生き別れた姉の消息を知る。
「続きを、聞きてえか」
ラストで、私はその場にいた人々とともに首を縦に振った。
こんな中途半端なところで終わられて、たまるか。
気になって仕方がないではないか。
まさに、『千一夜物語(アラビアンナイト)』で、シェヘラザードに夜ごと物語をしてもらっていた王様も同じ気持ちだっただろう。
そして、私はここで、「立て続けに、ガツガツと読まない」というルールを破った。
頁をめくり、第六話目へと進んだのだ……。
「人生を損している」
確かに。
今まで読まずにいたことは損だった。
だが、だからこそ、こうして出会えた喜びが今味わえる。
出会いにも、タイミングというものがある。
それが、今だった、というだけのことだろう。
短編集を意識的に読むようになってから、色々と視界が広がった。気になる本は、より積極的に手に取るようになった。
食べられる物が増え、楽しみが増えた。
こんな風に、ひねくれた偏食家の私が、読む本の範囲を広げて行く過程など、たとえば、このnoteのマガジンにまとめてみたら、どうなるだろう。
笑える読み物、となってくれれば、それに越したことはあるまい。