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小説書き写しの効能

 久しぶりに、小説の写経を30分ほどやってみた。

 選んだのは、森鴎外の『文づかい』。

 これまでにも漱石や芥川、川端康成など色々な作家の作品を写してきたが、森鴎外の文章が何となくやりやすい。

 夏目漱石は、言っちゃ悪いが、書いていてゴツゴツとした感触がある。たとえるなら、石ころの目立つ道をひたすら真っすぐに歩いて行くかのよう。よく言えばリズミカルだし、感触も慣れればクセになる。

 登り切れれば(書ききれれば)、達成感も大きい。

 だが、今まで最後まで書ききれたのは、『夢十夜』と『こころ』だけだ。『こころ』もこれまでに数回挑戦しては挫折し、2,3年前にようやく半年以上かかって400字詰めの原稿用紙200枚以上を埋めることができた。

 主人公の父親の臨終を描いた中巻は、ちょうど私自身の祖母が亡くなった時期とも重なったせいもあり、読み進めるにつれて、重くのしかかって、なかなか進まなかった。

 さらに下巻、「先生の遺書」の内容に、私は時折天井を見上げた。

 一体いつ終わるのか。ちゃんとたどりつけるのか。

 そしてこうも思った。

 中高生に読ませたい気持ちはわからんでもないが、最後まで読み通せる人は、一体何人いるのだろう…。

 読み通せたとしても、感想文を書くだけのエネルギーは残っているだろうか。

 

 書き写しの効能は色々ある、と言われる。

 一つは、文章がうまくなる。一字一句を自分の手で書き写し、紙の上に再現することで、リズムを掴み、内容もより深く自分の中に入ってくる。

 手間とエネルギーは使うが、読みにくいなあ、と感じる文学作品を何とか制覇するための手段としても、有効と言えるのではないだろうか。

 もう一つは、脳を鍛えることができる。手を動かすことで、脳に刺激が行き、発想力や集中力を高めることができる。

 この効能も経験済みだ。

 

 しかし、この「書き写し」トレーニングは、柔軟運動などと同様にやらなければ意味がない。やめれば、身体が固くなるように、効果が落ちていく。

 たとえば、朝の30分など、時間を区切って、その間に集中して、毎日行うことをおすすめしたい。

 まずは3日。そしてそこを越えたら5日、10日、と。

 習慣づけられれば幸いだ。

 そして、書き写しの素材は、短編からをおすすめする。

 芥川龍之介や中島敦、川端康成あたりで。

 いきなり夏目漱石の長編に挑戦するのは、富士山に装備なしで登って行こうとするようなものなので、ご注意あれ。

 

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