大学教員として働く意義
前回の記事の御礼
前回書いた何気ない研究活動の話が、多くの「スキ」を頂けましたことを、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。正直、こんなに反応があるとは思いませんでした。
割愛の便りが聞こえてくる時期
その一方で、ちらほらと来春の人事異動(割愛)を耳にする時期になりました。職場を離れる人、入る人。どちらも椅子取りゲーム状態なのが今の大学教員の現実ですので、少しでも上の偏差値の大学や、給与が高い大学へ移りたければ移るのは当然の流れでしょう。私とて、給与面での転職を経験し、今に至ります。しかも、某北国の公立大学からは郵送で公募への応募依頼の手紙が届きました。現実は大学も組織の偏差値にこだわらなければ教員不足の所もある。そんな状況です。なので、何も苦言を呈することはありません。学生のために頑張る仕事とはいえ、やはり最後は自分自身を大事にしないといけないので、逃げたいと思う人は逃げるでしょう。
とはいえ、「職場の先行きを悲観して他の大学へ異動することを決めた」という声が聞こえてきたら、話は別です。組織の中にあるリスクが顕在化しているサインです。ハラスメントの温床、独裁政治の温床、不祥事の温床…色々とあると思います。私は教職員組合にも加入しておりますので、こういう問題には立ち向かわなければならない立場であります。来春からは書記長になり、法人との団体交渉の正面に立ち、業務の合間に事務折衝をしていきます。
組織のガンはどこにあるのか
組織のガンがあり得るとすれば、私の経験上だけで恐縮ですが、以下のようなケースが挙げられます。
過去の不祥事に関わった役員層が職場に生き残っている
学長(校長)や教授陣の言動が暴走している
業務の負担が特定の人間に偏っている
教職員間のコミュニケーションがとれていない
実際、私の職場でも全てが当てはまります。Wikipediaにも記録されている位です。
1.は教職員組合の団体交渉で長年追及しています。実際にマスコミのネタにされたことも多数あります。教員が訴訟を起こした事例も昨年3月頭にありました。その影響と偏差値上位校の追加合格増加も含めてか、学生の入学辞退が多数発生しています。
2.は、一部の学部で発生しております。私の現所属組織でも、とある教授が着任した年に、この教員の言動や方針に反対して、長い事在籍していた一部の教員が早期退職する事態となりました。その負担は私も含めて残った教員にのしかかっております。
3.は、今の私自身です。現職場では年間13~15コマおよび特命業務など、土日や平日深夜も暇さえあれば仕事をするくらいの社畜です。背景は、現職場(学科)に幅広い専門分野をこなせる教員がいないため。機械設計、乗り物に関する専門分野、CAD、製図、コンピュータプログラミング…ここまで幅広く担当している人間は私一人と自負しています。異動先の教授陣から見れば「研究に専念して成果を出し、博士後期課程の担当になって欲しい」という思いを持っているようです。来春からようやく大学院の博士前期課程の担当になれますので、ここまでを認めて頂いた事だけでも、今は感謝の気持ちしかありません。
4.は…私のモットーは「研究以外は依頼を受けてから24時間以内に済ませる(最悪でも第一報を済ませる)」のが当たり前というスタンスです。これは自分勝手と言われかねませんが、過去に働いていた産業界では、24時間以内のレスポンスが当たり前になっております。
全てに共通して「組織的な原因の責めを問うても、一個人への責めには帰したくない」というリスク工学的な思いを持っております。
それでも、公益に資する仕事を続けなければ生きていけない
だからといって、自分がやれることをやらず、意見も言わずに今の仕事を捨てるのは脳死状態と同じと私は考えます。ものを言えない雰囲気とか、そういう行動を何もやってはいけないという雰囲気を作ったのは組織に原因があるのは推察しますが…。私は、やるべきことをやって、それでも無理だと判断した時に初めてどうするかを考えます。これは性別を問いません。人間としての責任感の問題と考えます。別に、石の上にも三年を強く推すつもりもありませんが、常に「己の限界に気づいたつもりかい、かすり傷さえもないまま終わりそう」というultra soulの歌詞が頭の中によぎります。
次のキャリアを決めるにも、組織の公益に対する貢献度が低い教員は、どこへ行ってもムダな人材として扱われる未来が見えるのは、容易な事です。
とはいえ、組織のガンは取り除かなければなりません。
また、大学教員自身も、自分が生きる研究教育の持ち味を自ら開拓し、公益に資する仕事をしなければ生きていけません。それは強く主張したいです。
今後、少子化によって専任教員や大学の数が減らされる未来が容易に見えます。最小の組織構成は、およそ学生10人に教員1名の割合です(これは文科省ルール)。これは、どの大学も避けられない未来です。自ら世間の不条理を変えていく思いを強く持って、今いる環境でやれる事を模索し、新たな自分の研究教育分野を開拓し、公益に尽くす結果を出すこと。それが一層求められる時代になるのではないでしょうか。それが大学で働くことの意義だと私は考えています。まずは研究ありきで、研究成果を教育に還元することは出来ます。しかし、その逆は困難と実感しています。なぜなら、教育から研究課題を見出すことはあれど、教育が研究の答えを導くことは、教育の場を研究の実験場にしないと出来ないからです。
追記
初稿時、半ば寝落ち状態で一部文章が乱れていたことをお詫び申し上げます。多少修正を入れました。
他人の人生の選択を決して否定するものではありませんが、少なくとも大脳で自分の感情を言語化して、それで限界を感じるその時までは、今いる環境でもがきたいと思っています。長い時間をかけて得た、今の仕事ですので。
最後に現職場についてフォローをさせて下さい。決して給与体系が悪い職場ではありません。むしろ、地方の中小の大学や下手な独立行政法人の高等教育機関に比べれば良いところです(単身赴任出来る位の給与増は見込めます)。良くも悪くも民主主義です。