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40代独女会社員が二拠点を考えはじめた理由

実家のある宮崎県と仕事のある東京で、二地域居住をはじめようとしています。進学で東京に出てから、まともに帰っていなかった地元。数年単位で帰省してないこともざらでした。そんなわたしがなぜ宮崎で過ごそうとしているのか。

考えはじめたきっかけ

24年1月、久しぶりに自分の経歴をまとめる機会があり、いまの会社に勤めてから10年が経っていることに改めて気が付きました。ちなみにうちの会社、社長以外は全員女性で、結婚/出産/子育てとライフステージを変えた人がほとんどです。仕事は嫌いではないですし、きつい業務量でも、どんな業務内容でも一定の結果を出してきたという自負もあります。しかし、わたし、この10年間仕事しかしてない…。
次10年経ったら54歳。例に出すのは大変おこがましいですが、煙草とビールとロックを愛したチバさんは昨年55歳でいなくなってしまった。煙草と焼酎を好んだ祖父が患った病名と一緒でした(祖父が愛したのはロックではなくパチンコでしたが 笑)。

「同じ10年というか、同じ1年にしたいか?」
なにをやりたいかはさておき、答えは明確にNOでした。

最近思うのですが、遜色なくいちプレイヤーとしていられるのは40代が限界ではないかなと。そうなってくると、いよいよ「残り時間でなにをやるか?やりたいか?」です。自分自身に問いを投げるようになりました。

宮崎で過ごす理由

東京で仕事をする以外にやりたいことがなにかは出てきませんでしたが、実家のある宮崎で過ごす理由はなにかとありました。いつかは多くの人が向き合うことになるであろう家族のことです。

■ 70代両親と隣に住む95歳祖母/70代叔父
介護が必要になってからでは遅いかなとは常々。

■ 実質空き家になっている父方の実家
ここ数年しんとしている家を見ていて寂しい気持ちに。
幼少期の良き思い出、原体験の場所。

そして、社長に素直にいまの気持ちを話し、リモートワーク&GWで3週間宮崎滞在をしてみることに。踏み切れたのは近年出会った、二地域居住実践者、U&Iターン親戚夫婦の影響もあったと思います。

わがまち宮崎県都農町(つのちょう)と日向灘

大人になってはじめて地元で過ごす

3週間あるとはいえ、限られた時間です。滞在中はとにかく人に会って話しを聞く/聞いてもらうことを意識しました。たくさんの方にお時間をいただいてとても感謝しています。

そのなかでも、イツノマの中川さんやスタッフさんに出会えたことは大きな出来事でした。またそのゲストのみなさまとの時間は新鮮で興味深く、自分が十数年同じところにいたんだなと逆に感じる場面でもありました。

宮崎滞在終盤、ALAでのゲストのみなさまとのBBQ

滞在を通して自分自身どう感じるのか、想像がついていませんでしたが、3週間が終わろうとする頃には、宮崎で過ごすことを前向きに考えるようになっていました。また、こちらは結果的にですが滞在先は、都農町/実家、延岡市北方町/父方実家、都農町/ALAに約1週間ずつ。この場所を固定しない滞在の仕方も心地よく、宮崎での生活を具体的に考える際の貴重な経験になりました。

24年1月〜5月までの雑記/備忘録。
いまは東京です!


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