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【私の生き方実験④】まじめな話をしていいですか?

突然ですが・・

私、まじめな話をするのが苦手です。

ストレングスファインダーの上位に、内省(自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること)や着想(新しいアイデアを考えること)が入るくらい、常に内側ではいろいろなことを考えているのですが・・・

そういうまじめな話を、誰かに共有するのはなんか苦手なのです。

それは、ただ対話のネタとして提示したいだけのその言葉が、目の前の人を傷つけてしまうことがあると思っていたり、相手にだっていろんな立場や背景があることを理解していたり、そもそもそういう対話ができる関係を築けていないオンライン上でそんなこと話すのはナンセンスだ!と思っていたり、いろんな理由があります。

だけど!だけど今回は!あえてちょっとまじめな話をしてみたい!!

リビングエニウェアをしたことで感じる、社会・地域・個人のギャップ。

今の私が確かに感じている、とても大切なことに思いますゆえ🙏

リビングエニウェア5ヶ月目の感想

地元の十勝平野

さてさて、なにはともあれリビングエニウェア、5ヶ月目となりました✨

この5ヶ月で訪れた場所は数知れず、本当にたくさんの場所にいかせてもらい、たくさんの人に出逢わせていただき、感謝感謝感動です🙇‍♀️

この5ヶ月で感じたことは山ほどあって、それはいつもSNSで見せてるような「嬉しい」「楽しい」「ハッピー」ばかりではありません。

なかには「もういやだ」「帰りたい」「・・・」ということもしばしば(笑)。

でもこれは、半分家で半分ホテル暮らしをしていたときにはなかった感情で、家を持たずにリビングエニウェアをしたからわかったこと。

『もう僕らはどこでも働ける、どこでも住める。だからあらゆる制約から解放され、好きな場所で暮らし生きていこう。』

そんな時代が掲げるキャッチコピーのなかで【じゃあ本当に、好きな場所で働き暮らした結果なにを感じたか?】というとても大事な感情なんです。

さっきも言ったように、「もういやだ」「帰りたい」「・・・」って半分家で半分ホテル暮らしをしていた時にはなかったものなんですよ。

でもなんということでしょう。家を持たずにリビングエニウェアを始めたら、一見ネガティブな気持ちがモクモク出てきた☁️(笑)

なぜだろう?と考えた時、私はその最たる理由は「旅がただただ楽しかった非日常のものではなくなった」ということに起因すると思ったんです。

・今している仕事を休んでいく旅
・大好きな人と予定を合わせていく旅
・普段とは違うちょっと豪華な食事を楽しむ旅
・観光地をまわってその土地を楽しみつくす旅

そんな私たちにとって非日常だったものが、日常になるとはどういうことか?

今日はそんな話をしていきます。

私たちにとって旅は「非日常」だったから

この暮らしを始めて
故郷にもまた興味をもてました

私は小さい頃から、旅行というのは非日常のものでした。

旅行にいったら普段乗らないアトラクションに乗れて、1回1万円みたいなアクティビティだってしちゃいます。

普段は絶対家で食べないような分厚いお肉がでてきたり「今日は大奮発だ!がっはっは!👨‍🦰」と親の財布の紐もゆるゆるでした(笑)。

そんな「記憶」があるものだから、旅はどこか特別なもの。

なにかあっても『これさえ醍醐味!』と笑えてしまうし、時には『まぁいいか。もうここには来ないし。』と流せてしまったりもする。

また、「今日は特別!」という気持ちが強い時ほど、「せっかくお金を払ったのにこれかよー😩」と、払った対価を求めてしまうものでもあるように思います。

だけど、今はそんな非日常(旅)が日常(暮らし)としてできる時代。

“好きな場所に行き、そこで暮らせて働ける。全国に「家」と思える場所がいくつもある。”

そんな時代の流れのなかで、『今はまだ旅が非日常という前提で作られたもの』というハード面やソフト面での乖離において、まだまだ完全なリビングエニウェアな暮らしは難しいと感じるのです。

リビングエニウェアをしていて感じる難しさ

『家じゃないけど家みたい』は可能なのか?

この難しさは本当に言葉にしづらいんですが、実際問題「どこでも働き暮らせる時代」の「ちゃんと働き暮らせる場所」はまだほとんどないのが事実だなぁと感じます。

それは実際にやってみた私の感想もそうだし、周りの旅暮らしをしている人の意見を聞いてもそう。

例えばハード面。

通常、ホテルやゲストハウスなどの宿は、観光での滞在を目的としています。

だからキッチンがない。洗濯機がない。仕事をできる場所がない。

「生活」ができないことが多いです。

そんな場所での暮らしは、2〜3泊では「楽しかった〜!」と大満足でも、1ヶ月暮らしたいとは思えない。

あ!勘違いしないでほしいのは「施設コラ〜」と言いたいわけじゃないんです!

だってそもそも設計が暮らし(日常)を目的としていないんだから!

暮らしを目的に設計していない場所を、暮らしの拠点として使おうとする。それは、魚に「どうして君は飛べないんだ!」と言っているようなもの。出発点が違いますもんね!

どこでも暮らし働ける時代に、それを謳うサービスや場所はたくさんある。

だけどそれはあくまで「旅先でのワーケーション的位置付け」で、私たちが本当に求めているものは違うでしょう?

例えば「1年のうち北海道に3ヶ月、沖縄に3ヶ月、その他海外や気に入った場所に3ヶ月ずつ」みたいな暮らしは、今のホテルやゲストハウスではやっぱりまだまだ厳しいなぁと感じるわけです。

(他にも、じゃあ歯医者はどうするの?美容室は?かかりつけのクリニックは?なども定住しないとなかなか難しいなと思う時もあります🤔)

あとはソフト面。

地方にいくと必ず聞くのが「ワーケーション」「地方創生」「地方移住」という言葉です。

私も今の家を持たない暮らしは、ずっと続けたいとは思っていない。やっぱりどこかの土地に根付いて、そこを拠点に暮らせたらいいなと思っています。(もちろん非日常としての旅は続けていたいし、そういう拠点が2〜3つくらいあったら最高だなと思いますが🥺)

だけど、そんなきっかけとなる玄関口で、時折こんな言葉が聞こえてきてしまうのです。

「いや〜、今の地方が生き残るには、いかに来た人にお金を落としてもらうかだよね〜」

「お金やスキルのない若い人を呼ぶより、企業やできる人を街に誘致したいわ〜」

書きながらすごく表現が難しいなと思うのですが、この言葉すごくよくわかるんです。だって、資本主義ゲームのなかでお金というコインは必要だもの。

宿も観光も町おこしもビジネスとしてやっている以上、生き残るための戦略は重要な考察点です。

人をどう集め、お金をどう生み出すか?これは経営者や戦略家として避けて通れない話だと思います。

でも、それは頭では理解できても、心の端っこで、ほんとーーーにわずかなシコリが残ってしまう(笑)。

なんていうんだろう。私が昔ビジネス書でみた「リストを集めるということは要は生簀(いけす)に魚を集めるようなものです。あとはそこに餌を垂らせば、なにかしら商品は売れるのです。」的なくだりを読んだ感覚に似ています。

「そうなんだろうな。だけど、なんか悲しいな。」

そう思ってしまって、なんだかその土地の玄関口で、その場所を好きになりきれない。

そうやって、結果その土地にお金を落とすこと、仕事をすること、ましてや移住することも足が遠のいてしまうのです。

暮らしに市場規範を入れること

非日常と日常、市場規範と社会規範

旅を非日常としてしていたころは楽しかった。でも、旅を日常にしようとするとなんだかわからなくなってしまった。

その2者の間には、「暮らし」と「市場規範」という話があると思うのです。

例えば、私たちはお金を払って何かしらの宿を借ります。

するとそこでは金銭を払ったのだから、それ相応のサービスを提供してほしいという無意識が働く。

相手にも金銭を受け取ったのだから、このくらいのギブはしたほうがいいのではなかろうかという無意識が働く。

その結果、宿の人は無意識にやりすぎてしまって疲れたり、滞在者は「もっとこうしてほしい」という意見だけで終わってしまう。

これが旅を非日常とする「サービス」なら、それでいいのだと思います。

だけど、旅が日常の「暮らし」で、拠点はそのための「シェアスペース」だとするならばちょっと話が違います。

それこそLivingAnywhere CommonsのいうようなDIO(Do it ourselves.みんなでやろう!)が重要だし、払う金額はコモンズの共同運営費。

対価の代わりに何かを受け取るという資本主義のギブ&テイクの意識ではちょっとずれてしまうと思うのです。

(だからあえて、LivingAnywhere Commonsは定額住み放題サービスといわず、コミュニティと謳っているのかな?)

みんなで長期的に家を作って育てていく。そんな意識のうえに成り立つ「今」になると思うんですよね。

だけどそう思いながらも、ハード面もソフト面もまだまだ現場は『旅=非日常』。(現場だけじゃないですね。私たち滞在者だってまだまだやっぱり観光気分です。)

うーーーーん、書いていてやっぱり伝え方が難しいな。私はあくまでいちユーザーとしてそう考えた、というだけなので。笑

次はもっと長期で滞在したい!

『もっと知りたい』は
『好き』の一歩手前だと思う

なんだか変な空気になっていないか心配なのですが(笑)、ひとまず私は今までの5ヶ月の暮らし方を次はちょっと変えてみたいなと思っています。

今までは1週間前後でいろいろな場所を転々とする暮らし方。

でもこれからは今までよりもっと長く、その地域に滞在してみたいのです☺️

いろいろな地域をまわらせてもらったなかで、この土地の歴史をもっと学びたい、この土地の人たちの気持ちをもっと知りたいと思う場所がありました。

だから今度は、そこにもっと長期でお邪魔したい。

リビングエニウェアをするなかで感じていたことの一つとして、「地域に訪れる際、私たちは滞在者としてどう在るべきか?」というものがありました。

私たちが地域の拠点に滞在することは、そこに住む人々の「暮らし」という大事な生活圏にお邪魔しているということ。

そんな大事な暮らしの玄関口で「なんか騒いで一時的に盛り上がっていった人」で終わらないために何ができるのだろう?と。

でもそれには必ず「時間」と「信頼」が必要ですよね。そこは都会的なスピード感で!はなんか違うと思うわけだし。

地方にいくと、地方に行く人がもつ葛藤を教えていただけることが度々あります。

人が来てくれるのは嬉しい。でもね。と言う話。

いやーわかります。私も田舎育ちだし、実は結構人見知り。初対面の人ってすごく怪しいですもん(笑)。

同じように地域の人にとって私たちが怪しくないとわかるまでには「時間」「信頼」が必要です。

だから、私はやっぱりもっと長くいてみたいな。^^

最後に

いいもわるいも、また良きなのです

今回の記事は、これからリビングエニウェアな暮らしをしたい人にはどう映ったでしょうか??

「なんだ、まだそんなサービスは全然ないのか。じゃあやーめた。」そんな気持ちになるのでしょうか???

最後に一つ言いたいのは、私はこう思ったけど、やっぱりあなたにも試してみてほしいということです。

百聞は一見にしかずとは言い得て妙。誰かの体験記を読むことは、自分で体験することの1/100にも及ばないなと思います。

事実、まだそんな暮らしをいい塩梅でできる場所はあんまりない。それでも私はこの暮らしを始めて、本当によかったと思っています。

・もっと長くいてみたいと思える場所に出会えたこと
・もっと遊びにいきたいと思う場所に出会えたこと
・もっと知りたいと思える人に会えたこと
・もっと知ってほしいと思える人に会えたこと
・いろんな感情を感じながら過ごせること
・地元をもっと愛せるようになったこと

いろんな気づきがこの生活にはあって、そんな体験からこれからの暮らしを考えられることはとても幸せなことだと思うから。

(だってこんな生活、看護師として病棟に勤めていた時はやっぱり難しかったし、子育てをしていたらやろうって思えなかったもの!)

LivingAnywhereという暮らしがもっともっと誰にとっても選びやすい世界になりますように。

そんな未来に繋がるように、私はまた来月もより納得感のある暮らしを考えつつリビングエニウェアしてきます🛩

ではでは、いつもお読みいただきありがとうございます!!また〜👋

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あず(蓑口亜寿紗)
読みにきてくださってありがとうございました!きっと私の文章を読んでくれる方は近いつながりの方だと思うのでどこかでお会いできる日を楽しみにしています。^^