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肩書きはキツくなったら脱いでもいいよ
先日、私も参加しているWasei salonのメンバーである長田涼さんの記事を読みました。
この”肩書き”に感じる私なりの気持ちと経験を今日はまとめておこうと思います。
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思えばビジネスの勉強を始めた時、私は周りの起業家さんや様々なセミナーでこんなことをよく言われていました。
コンセプトは3つまで。
なにかパッとわかりやすい肩書きをつけること。
当時は言われるがままに自分の肩書きを探し、セルフブランディングというものに燃えていた私。でも、なぜかある一点を過ぎた頃からこの肩書きになんともいえない気持ちを抱くようになったんです。
なんだかもうキツくなった洋服に袖を通すような、でも気に入ってたんだけどなぁ・・・まだ着れるしなぁ・・・みたいな、そんな気持ち。
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『コンセプトは3つまで。肩書きをつける。』
この言葉の意味って、要はみてくれる人に対して”わかりやすさ”を提供しようねということだと思うんです。
「WEBエンジニアをしています」と言われればその人はWEBエンジニアだし、「看護師です」と言われればその人は看護師。そしてこれが3つまでだと希少性がでて面白いけど、3つ以上になるとなんでも屋すぎてわからない。そんなことが起きるから。
でもね、私が幼い頃って「あそこのおじさんに聞けばこれ解決するよな!」みたいな人が町には必ずいて、別に肩書きなんかなくても「○○はあの人!」みたいな共通認識がそこにあったと思うんです。(あるとすれば「山田太郎」みたいな名前だけ。)
その人の活動を一定期間以上みていれば、あの人ってこれができるよね!と肩書きを周りが決め、勝手に成立していく図式ができる。
でも現代社会では、SNSを通じた一瞬一瞬の出逢いのほうに重きが置かれるようになり、なかなか同じ場所のなかで同じ人と関わり続けることも少なくなりましたよね。
だからそんな一瞬一瞬のなかでは「わかりやすさ」は大事な一つの要素であり、「私は○○です!」と言えることが大切だったりするのかなと。
そういう意味では肩書きってあったほうがいいし、発信をするうえでも大切な要素だなぁとおもうんです。
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ただ、なんとなく私の経験として、肩書きは前述したようにいずれそのサイズが合わなくなると思うんです。
はじめは背伸びをして「こうありたい!」と思いつけた肩書きが、成長とともに「なんだかきついなぁ」と思ったりする。その経験は私にもあるから。
そんな時大事なことは、わかりやすさを一度手放して、なにも枠のないなかでもう一度自分をみることだったりする。
私ってなにができるのかな?
私ってなにがしたいのかな?
私ってどうありたいのかな?
その問いから見えるものって、肩書きという看板があると少し見えづらくなったりするので。
今の私は正直しっくりくる肩書きがありません。看護師であり、フリーランスであり、起業家である私を、私自身がどう紹介していいかわからないのが事実。(だから今最も困る質問の一つが「お仕事なにされてるんですか?」だったりします。笑)
名前だけで「あぁ○○さんね!」と言われるくらいになりたいなぁという希望と同時に、でもわかりやすさのためにも肩書きはつけときたいなぁと思ったりします。
そんな気持ちの狭間で、でも肩書きって周りから見える自分であるのと同時に、そうありたい自分の姿でもあったりするから、しっくりくるものがないとつけたくない!!なんて頑固な自分もいたりして。
なんだか今、ちょっとむずがゆい春を迎えてます。
公園からみえた景色が綺麗でした。
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