【私の生き方実験⑦】LACを使い始めて1年。今の私がコミュマネさんとユーザーさんに伝えたいこと
どうも、あずです。
家とモノを持たない暮らしをはじめて8ヶ月が経ちました。
今日の記事は本当は別のことを書く予定だったんですが、数日前に参加したLACコミュマネサミットがあまりにも素晴らしく、そこで感じたことをお伝えさせてください。
コミュマネサミットの概要
2022年11月16〜17日、香川県三豊市を舞台にLACコミュマネサミットが開催されました。
北は北海道から南は沖縄まで、全国から約40名の関係者が集まったサミット。提携拠点も直営拠点も関係なく、多くのコミュマネさんが集まる舞台に、私はライター兼ユーザーとして参加させていただいたんです。
サミットの内容は主に2つ。
1つは香川県三豊市の街づくり視察ツアー。そしてもう1つが、これからのLACの巡り方を考えるワークショップでした。
1日目:三豊の街づくりツアー
三豊の街づくりツアーは、正直いって度肝を抜かれた!!!
私のなかのテーマとして『今ある資本経済を見直し、心と地球にいい暮らしを再構築する』というものがあるのですが、三豊はまさにその理想型。
孤独じゃない。でも依存しあってもいない。
一人一人の自立と協力のバランスがちょうどよく、自分の暮らす町の今と未来をより面白くするために、みんなが力を合わせている場所でした。
例えば、このURASHIMA VILLAGEという宿は、三豊で大人数が泊まれる宿がなかったなかで、地元の企業11社がお金や知恵を出し合って作った場所。
宿ででる食事やドリンク、予約サイト、建築まで、運営に関わる仕事がすべてが地元企業にまわるように設計されており、自分たちでアイデアをクリエイトしながら、その取り組みで地元経済が動く仕組み作りがされていたんです。
いや〜、これはもう本当にすごかった!!
正直ね、私は東京にいたとき「地方は面白くない」「地方は廃れていく一方だ」と思っていたんです。
だから田舎で生まれた私は早く都会に出たかったし、地元に戻っても同じテンションで仕事をしている人がいなくてつまらないように感じていた。。。
でも三豊に行って(というかLACを使い始めてから)、「地方面白いじゃん!」「まだまだ日本捨てたもんじゃないな!」「私は今まで、いろんなものを見ようとしていないだけだったんだ…」と気付かされ、ものすごく勇気とパワーをもらったんです。
どこにいても自分と周りの人が幸せな暮らしは作っていける。
そしてその波紋を外へ外へと広げていける。
その気づきが深く落ちた三豊ツアーは、本当に心を刺激する時間でした。
2日目:コミュマネによるLAC巡り方ワークショップ
ワークショップの詳しい内容は別記事でお伝えしますが、ここで私が感じたのはLivingAnywhere Commonsの可能性と私たちの在り方の見直し。
会のなかで何度も「あぁ、本当に時代が変わるな。」と思ったし、「まだまだ課題は多いのもわかったうえで、それでも私はこの暮らしを一緒に作っていきたい。」と思ったんですよね。
…でね、先に断っておきますが、ここからは突然の手紙形式でお届けします。笑
コミュマネのみなさんへ
まずは全国から集まっていただいたコミュマネのみなさん!覚えているでしょうか?あずです。
三豊では本当に本当にお世話になりました^^
はじめましての方も、また会いたかった方も、右を見ても左を見ても「あぁ!◯◯さん!」と思える時間は、好きな人が原動力の私にとっては本当に至福の時間。
三豊での2日間はきっとそれぞれに感じることがあり、「もっと自分の拠点を盛り上げたい!」とみなぎった人もいるだろうし、「あぁ自分は何をしていたんだろう」と責めの思考がよぎった人もいたでしょう。
最後の挨拶でそれぞれが言ったように、いろんな想いを抱えながら、今みなさんは各拠点での日々を過ごしていることと思います。
私からそんなコミュマネさんに伝えたいことは2つ。
「私はコミュマネだから」という肩書きは一旦横において、みなさんもいちユーザーとして一緒にLACを楽しんでくれたら嬉しい!ということ。
もう一つは、結局はその地域でその人が思いっきりやりたいことをやってくれるのが一番ユーザーにとっても学びになる!ということ。
会のなかでは、「コミュマネとしてどうあるべきか?うちの拠点はLACのなかでどうなのか?」という話がみなさんの体験ベースでよく話題に出ていたように思います。
でも実際には「他の拠点に行ったことないからよくわかんない」という声も多かったし、声にしていないだけで「そもそもLACってなに」「コミュマネってなにするの」と思った人もいるでしょう。
「ユーザーの満足度をあげるなら常に拠点にいたほうがいいよな…」という気持ちの裏で、「でも私にだって自分の時間や暮らしがあるし…」という葛藤は、各拠点を周りながらいろいろな場面で目にしてきたのでなんとなく気持ちはお察しします。
アテンドや飲み会もサービスとしてお金を払ってくれるならやれるのに…でもゲストハウスにくるような人はあまりそういう部分にお金を使わないんだよな…ハード面が整っていればある程度一人にしても大丈夫なのに…一人にするのは申し訳ないから誰か友達と来てほしい…
そういう心の声、実は私たちユーザーもちゃんと気づいています。
だからこそ「あ、なんか無理をさせてるな」と感じとって申し訳なくなったり、「あ、なんか今ただのヒトモノカネとしてみられてるな」と思って寂しくなったこともあったりして。。。
そういう「あ…」の積み重ねが、その拠点、ひいてはLACとの心理的距離を時に遠くしてしまっていたんですよね。
【LACの目指すCommonsという在り方】と、【今までの資本経済がつくってきたサービスという当たり前】の間で、コミュマネさんもユーザーも、時にはLACのスタッフさんでさえも、結構揺れてきたんじゃないのかな?
でもだからこそ、私はその二項対立(サービスを提供する側と受ける側)を共同体という円にするために、コミュマネさんたちにはいちユーザーとしてLACをもっと楽しんでほしいと思ったんです。
例えばいちユーザーとして普通に他の拠点に遊びに行ったり、友達を誘ってLAC巡りをしたり、行ってみたかった土地に行くついでにLACに泊まったり。
そういうふつーにユーザーがやっていることを、ふつーーーーにコミュマネさんにもやってみてほしい。
そのなかで「LACのこういうところ好きor嫌い」を感じつつ次の時代の暮らしの体験者になって一緒に分かち合えたら、もっともっとLACって多様な価値観の詰まった一つのcommonsになっていくんじゃないかなって思うから。
私はね、コミュマネサミットに参加しながら、「あー、ここにユーザーのみんながいて、コミュマネさんたちの気持ちを聞き、さらに意見交換できたらな…」と何度も何度も思ったんですよ。
「いやー!あそこの拠点のここ最高だよね!」
「逆にこんなところは本当ダメだと思う!笑」
「てゆうかユーザーさんのあの過ごし方はないよ!」
「コミュマネさんだってこういう対応は悲しかったですよ!」
そうやってお互いに体験したことをもっとフラットに分かち合いたい。
普段ユーザーが勝手に拠点でやっているLAC会議的なものをもっと日常的にやれたら、このコミュニティはさらに面白くなるだろうな…!と。
ただそんな分かち合いには、体験したうえでの感想が必要です。だからまずはコミュマネさんにもいちユーザーとしてLACをとことん楽しんでほしい。私はサミットに参加してそんなことを思ったんですよね。
あとは2日間のなかで「どうやって外の人(ユーザー)を地域に巻き込んでいくか?」という話もよくでていたように思います。
ユーザーがもっと自分から街にでていく仕組みづくり。最初のきっかけづくりの後、自分で切り開いていく人の育成。ひいては、その地域に関わり、根付き、仲間になってくれるような人の発掘。
そういうものってコミュマネさんなら誰しも一度は悩んだことのある課題なのではないでしょうか。
これに関して私が各地を周りながら思うのは、結局その地域やコミュニティでユーザーがなにかしたい!って思うかどうかって「中心温度がどれだけ高いか」なんですよね。
(要はいつもそこにいる人が、どれだけ楽しそうにやりたいことをやっているかということ。)
無理して気を使われたり、なんとか地域に出てもらおう!みたいな強制力って、自然と人は感じ取って距離を置きたくなってしまうもの。
そんな中心の熱がないまま「盛り上げてほしい!好きなことをやってほしい!私はサポートする側だから!」と言われても、それは「この人ラクしたいだけでは?」に見えちゃって、ユーザーの心に火はつかないわけです。
だからそうじゃなく、キャンプファイヤーの火のようにコミュマネさん自身がその地域でやりたいことに命を燃やしてほしい。
LACのユーザーって、思った以上に相手の言動をみて、感じ、学びとってる人が多いです。
だからユーザーのためにじゃなく、自分のためにやりたいことを!思いっきり楽しんでくれたら嬉しいです。^^
ユーザーのみなさんへ
会ったことのある人もない人も、どうもこんにちは!あずです。
LivingAnywhere Commonsを使い始めて1年ちょっと、今年の春からはLAC拠点をメインに生活をしていて、実はLACのコミュマネ取材なども書かせてもらっている者です。
(最近拠点で声をかけてもらうことが増えてとても喜んでいます!ありがと〜!)
ユーザーさんにお伝えしたいことは、結論、「あれ?私ってお客さん気分じゃなかったかな?」を一人一人が見つめ直してみてほしいということ。
いやもちろん「お金を払っているんだからお客さんで当然だろ」と言われればそれも一つの意見なんですが、1年LACにいて、私自身がお客さん気分のときって本当のLACの良さがわからなかったよなって思うんです。
私はそもそもずっとLACが「定額住み放題サービス」じゃなく「コミュニティ」と謳うのはなぜだろうと思っていたんですが、要はここに全て詰まってる。
LivingAnywhere Commonsはその名の通り共同体で、サービスじゃない。ゆえに毎月の支払いも、サービス利用料ではなくコミュニティの共益費。
もちろんスタッフさんはそんな風に言えないだろうけど、この「サービスという入口か?共同体という入口か?」の無意識がその後のBeとDoを分けると思っていて、私自身本当にLACが楽しいと思えるようになったのは「ここが共同体なんだ」が腑に落ちてからなんです。
私はLivingAnywhere Commonsに1年いました。そして、たくさんの人と出会い、話し、よく観察しました。
その結果、もちろんすべての人に等しく考えが浸透しているわけじゃないけれど、LACは本当に抽象度高く、未来の暮らしをみていると思ったんです。
私はこの暮らしをはじめたときから、ずっとこれからの暮らしと幸せをみつめてきたけれど、今が一番LivingAnywhere Commonsのみんなと作る未来にワクワクしている。
そうなってくるとここからは街づくりと一緒で、村民が踊ってこそ、楽しい街になると思うので、同じような気持ちのユーザーが一人でも増えたら嬉しいなって。
ちょっと今回はアツくなってしまいましたが、混沌とした世界のなかで三豊の街づくりがそうであったように、ないものは自分たちで作り、面白くしていきたいなと思います。^^
さ、4月からはじめてきたユーザープロジェクトも、一応来月でひと段落。
私自身、ここまでの生活を通して新しい一歩を踏み出そうと思っているので来月はそれを報告しますね。
ではではみなさん今月もありがとうございました。来月、また。
【思い出ぽろぽろ】