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【個人的エッセイ】誰もが発信者(テレビ局)になれる時代
誰もがスマートフォンを持っていて当たり前の時代。誰もがTikTokやYoutubeで動画を見るのが当たり前の時代。そして誰もが動画を撮影して投稿できる時代。それは即ち「誰もがテレビ局になれる時代」と言っても良いでしょう。
正直に申し上げるなら、私個人はテレビに良い印象がありません。
私が子供の頃はテレビの話題についていくのが国語算数理科社会以上の「必修科目」で、芸能人のあれこれに興味がないと言うと、たったそれだけでイジメや仲間外れの原因になった事さえありました。
最近になって「テレビ離れが進んだ」と世間では言われていると聞きました。わたしはそうは思いません。
確かに「テレビ」そのものはみんな見なくなったのかもしれません。
しかしTikTokやYoutubeを暇さえあれば見ている方々を街の至る所で見かけます。そしてネットを介して受ける質問では「TikTokでテリアンについての動画を見たけれどこれは本当か」と頻繁に耳にします。
多くの方々はTikTokを情報源としていて、そこで配信されている情報をとりあえず無条件に受け容れ、「裏を取る」ためにネットを利用するというプロセスを経て情報整理をしているのだろうと私は予測を立てました。
この流れは大多数の人々がテレビで配信される情報をとりあえず無条件に受け容れ、「裏を取る」ために新聞や本やネットのような活字媒体を補助的に活用するという当時の手順と全く変わらない気がしてなりません。私が【セリアン/Therian】として明確に【覚醒/Awakening】してから既に四半世紀以上が経過したというのに、世界では非常に大きな制度の変革とテクノロジーの進歩があったというのに、人の行動とはこうも変わらないものなのかと、私は絶望に似た感覚を覚えてしまっているのかもしれません。
私は他者の趣味趣向に関してとやかく言うつもりはありません。TikTokやYoutubeを見るのが好きなのなら、それはそれで良いと思います。かくいう私自身も若い頃はゲームや漫画やアニメについて親から窘められ、「両親はなんて分からず屋なんだろう」と腹を立てた事があります。私は自分がされてイヤな事は他人にしないよう努めたいと考えています。
私が問題にしているのはむしろ情報配信者側です。私も含めて、情報を大多数の方に見られる場所に置く者は、その情報が誰かを傷付けてしまわないか否かに関して細心の注意を払わねばなりません。これはメディアに携わる者の義務と責任です。TikTokもYoutubeも大勢が見る事が出来てしまう、大勢に影響を与えてしまう、ブロードキャスト出来てしまうという点で十二分にマスメディアです。ツイッターもインスタグラムもフェイスブックもその意味ではマスメディアです。少なくとも一度でもバズったらもうその時点でマスメディアです。「素人だし個人だからちょっとぐらいミスしても許されて当然」だなどという甘い考えは通用しません。私自身も含めて、大勢に影響を与え得るマスメディアは自分たちの持った影響力と「殺傷力」について真剣に受け止める義務と責任があります。
かつては新聞や雑誌やテレビの記者のようなプロフェッショナルな方でさえも、報道倫理に抵触するような取材や報道があった事が大きな問題になった事もあります。結果として偏向報道が多くの人の人生を狂わせ、自殺にまで追い込んでしまった例さえあります。本職の大人でさえも「間違える」事があるのです。だからこそ専門教育も受けず師匠も持たず倫理の何たるかを学ばずに技術だけ手に入れてしまった者は最も危険です。これは私自身に対する自戒も含みます。
私自身も含めて、我々情報配信者側はその事を常に肝に銘じて、「言うべき事」よりもむしろ「言うべきではない事」、「言ってはならない事」に関して非常に真摯かつ謙虚な態度で常に考え続けなければなりません。視聴率が取れるからという理由で何をしても良いわけではない。それと全く同じで、インプレッション数が伸びるからという理由で誰かや何かの悪口を言う事は報道倫理と社会倫理として明白に間違いです。
「ペンは剣よりも強し」とはよく言いますが、だからこそ我々一人ひとりが「剣よりも遥かに強力な兵器」を手にしていて、自分の采配次第で一体何を傷付けてしまうのかを常に考え続けなければなりません。
仮に私の今までの投稿で「テリアン」の方々を傷付けてしまったのなら謝罪します。もしも私の言葉の使い方が必要以上に攻撃的で、テリアンの方々の心証を悪くしてしまったのなら、大変申し訳ありませんでした。
既に「どうすればテリアンの方々を傷付けずに済むか」に関しては意識して改革に取り組んでおり、多くの記事は反省を活かしてより適切な文章を心がけて執筆されています。私なりの改善努力が少しでも実を結んでいるのなら幸いです。
ただ、「テリアン」という読み方が「Therian」の本来の発音とは異なること、主に米国では「シアリアン」と発音され、欧州では「セリアン」と発音されている事は撤回しません。これは紛れもない事実です。
また、【クアドロビクス/Quadrobics】や【セリアン ギア/Therian Gear】が「【セリアン/Therian】になるために必須である」という主張は一部の過激な人々の独断的な見解に過ぎず、セリアンWiki(Therian Wiki) や セリアン ガイド(Therian Guide) のような比較的歴史のあるセリアンのコミュニティの公式声明文では明確に「【クアドロビクス/Quadrobics】や【セリアン ギア/Therian Gear】は【セリアン/Therian】になるために必須のファクターではない」と明言されています。これも紛れもない事実です。
ですが、既にいくつもの記事でお伝えしているとおり、個々人が【クアドロビクス/Quadrobics】や【セリアン ギア/Therian Gear】に興じる事を止めたりはしません。個々人の【種族違和/Species Dysphoria】に対する対策としてそれらが有効に機能しているのであれば、それは素晴らしい事です。
ただ、人目につく場所で【クアドロビクス/Quadrobics】に興じたり【セリアン ギア/Therian Gear】を身に付けたりすると、【セリアン/Therian】ではない方々から好奇の目で見られる懸念があります。これはあなた方自身にとっても一般の方々にとっても良い影響を与えるとは思えません。「【セリアン/Therian】の方とそうでない方は互いにゾーニングすべきだ」というのが私の主張です。
また、動画撮影して投稿してしまうとデジタルタトゥーとして一生残ってしまう可能性もあります。「個々人が【種族違和/Species Dysphoria】に対する対症行動をすること」と「自分の行動をネットに公開すること」は全く別次元の問題です。
【セリアンスロピー/Therianthropy】に長く携わっていると、多くの方々が【セリアン/Therian】である事を辞めてしまったり、「自分は【セリアン/Therian】ではなかった」と気付く事になります。仮に本物の【セリアン/Therian】だったとしても、自分の動物性を肯定して動物らしく生きていくか、それとも動物性を否定して人間らしく生きていくかは選べます。ですから迂闊に自分の身元を特定されかねない情報をネット上に公開するのは、あなた自身の将来の可能性を狭めてしまったり危険に晒したりするリスクを孕んでいます。【セリアン/Therian】の先達として、インターネットの危険性について今一度考え直す事をお勧めします。
私の目的はあくまでも図書館学に基づく【セリアンスロピー/Therianthropy】に関する「資料保存/Material Preservation」と「資料提供/Access Provision」です。論争するつもりはありません。以前の記事でお伝えしたとおり、【セリアンスロピー/Therianthropy】は既に存在が確定しています。それを裏付ける論文が アメリカ心理学会(American Psychological Association) から既に発表されています。ですので、【セリアンスロピー/Therianthropy】は既に存在そのものの是非を問う段階にはありません。
当館の目的はその事実と共に【セリアンスロピー/Therianthropy】に関する基本的な情報を保存し、後世に伝えること、そして情報の可用性を高め公共の福祉に資する事です。
当館はテレビ局になるつもりはありません。図書館で在り続けます。真に【セリアンスロピー/Therianthropy】に関する情報を求める方のもとに、必要な情報を届けるのが当館の使命です。