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【個人的エッセイ】最後の希望は自分の行動だけ

 私は誰かを励ますのがあまり得意ではありません。正確には、私は誰かの励ましを素直に受け容れて立ち直るのが得意ではありません。なので、本当に心の底から絶望してしまった誰かを救うような言葉をかけるのがあまり得意ではないのです。根拠のない気休めを言ったところで何の救いにもならないだろう、だったら自分には励ます資格がない、そう思ってしまうのです。

 それでも。
 そんな私が本当に心底絶望した方を励ますためにもしも何か言えるとするのなら。おそらくこんな言葉になるでしょう。

「何をやってもどうせ上手くいかない。
 それでも。
 自分がやりたいかどうか、無駄だと知りつつも実際に試してみるかどうか、死ぬ前に足掻くかどうかは、まだ自分が選べる。
 だから、本当に心底やりたい事があるのなら、自分の命や人生をかけてでもやってみるべきだ。そうすれば、たとえ結果が上手くいかなくても少しは納得して死ねるはずだ。」

 少なくとも私自身は、こうやってものすごく後ろ向きに立ち直るしかありませんでした。

 私の言葉は普通の人間の方を幸せにしません。むしろ不幸にしてしまうかもしれません。私が救えるのは【セリアン/Therian】だけ、しかも「動物度」の濃い【セリアン/Therian】だけです。私は今まで何度も挑戦し、何度も何度も失敗し、自分がいかに無力であるかを思い知りました。
 それに、仮に私の言葉が届いたとしても、全ての【セリアン/Therian】が実際に自分自身を救えるかどうかは分かりません。差別、偏見、迫害、イジメ、虐待、家庭内暴力、そういった本人ではどうしようもない境遇を独りきりで打開するのは限りなく不可能に近いです。個人ではとても解決できない問題については地方自治体やNPOやNGOに頼るべきですが、全ての団体が良心的に対応してくれるとは限りません。しかも【セリアン/Therian】が動物の感性で何かを訴えたところで普通の人間の方々には上手く理解していただけるかも定かではありません。なので【セリアン/Therian】は本当に誰からも協力してもらえないどころか理解すらしてもらえない孤立無援の状況に陥りがちです。
 世の中には死んだ方がマシな状況なんていくらでもある事を私は自分事としてよく知っています。尊厳は命よりもよほど高価なもので、だからこそほんの数百年、下手をすればほんの数十年前まで、多くの方々が命を投げ出してでも失われた尊厳を取り戻そうと必死に足掻いてきた事を私はよく知っています。

 だから私は個人的には自殺は「悪い事」だとは思いません。そもそも野生の環境下なら、何もせずただ無防備に寝転んでいるだけでも何者かがすぐに命を奪い去ってくれるでしょう。自ら恣意的に死のうと企てるまでもなく、そもそも生き延びているという事実そのものが奇跡に近い状況なのです。単に「もう生きていたくない」と思うだけで、慈悲深い自然はすぐさま命を刈り取ってくれるでしょう。

 だから私は諦める事も逃げる事も否定しません。私自身がそもそも諦めていますし逃げています。私は「普通の人間になる事」を既に諦めています。「人間として恥かしくない事」をしなければならないという義務からも逃げています。
 けれど「死にたい」とは思っていません。「生きたい」という願いは諦めていませんし、そこから逃げてもいません。何よりも私は【セリアンスロピー/Therianthropy】のより良い未来を諦めていませんし、それを実現する為に必要な事からも出来るだけ逃げないように努めています。私は「何を諦めるか」、「何から逃げるか」を明確化する事で、一番諦めてはならないものを諦めず、一番逃げてはならないものから逃げずに済んでいます。

 だから、私の個人的な経験則では、最後に残る希望は自分の行動だけです。助けを求めても誰も救ってくれない、そもそも人間と対等に扱われない、邪険にされ煙たがられ忌避され蔑まれ尊厳を踏み躙られ、それでも生きていたいと願うのならば、自分自身を救えるのは自分自身だけです。私の言葉は私と同じように絶望の底で足掻く方の背中を少し後押しする事しか出来ません。

 生き物はみんな利己的だ。だからあなたも利己的に生きてもいいのだ、と。

 あなたが自分の動物性を呪うのならば、私は代わりに祝福します。私にできるのはただそれだけです。
 しかしたったそれだけの事で、世界が劇的に変わる事もあります。少なくとも私の場合は【セリアンスロピー/Therianthropy】が生きる糧になりました。

 だから本当に絶望し切った時にこそ、行動を起こす事を躊躇わないでください。死ぬと決断して実際に死ぬために行動するには並ならぬ勇気が要ります。実際に私自身も若い頃には何度死のうと思ったか分かりません。しかし幸か不幸か死ねなかったからこそ、今こうして生きて筆を執っています。

 死ぬ勇気があるのなら、死ぬ前に戦う勇気に換えられるはずです。戦って負けたなら、その時に改めて諦めて死ねば良い。戦って死んだ方がきっとカッコいいし、後悔も少ないでしょう。行動を起こす理由はきっとそんな単純なものだっていいのだと私は思います。

 まだ死んでない。まだ身体が動く。まだ出来る事がある。なら、死ぬ前に一矢報いてやろうと何か出来るはずだ。動物はそういう土壇場でこそ本領を発揮できるものだと私は思います。それこそが【セリアン/Therian】に残された最後にして最強の希望なのだと私は信じています。