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【セリアン/Therian】と「心理的居場所/Sense of Belonging」

【セリアンスロピー/Therianthropy】の分野に限らず、「心理的居場所/Sense of Belonging」の概念については「人間の心理学」でも実に様々な研究が為されてきました。

【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】では「心理的居場所/Sense of Belonging」は極めて重要な概念だと言えます。【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】のコミュニティとは、つまるところそれぞれのメンバーの「心理的居場所/Sense of Belonging」をお互いに支え合う互助のためのコミュニティであると言っても過言ではないでしょう。
「普通とは違う存在」として生きていく事は人間の世界では非常に難しい事です。だからこそ我々は互いに寄り添い、互いに協力して生きていくためのコミュニティを形成してきました。

日本の歴史的背景

【セリアン/Therian】と「心理的居場所/Sense of Belonging」の関連性をお話する前に、まず日本の歴史的・文化的背景について確認しておきたいと思います。

 昭和、ひいては平成までの時代は旧態然とした価値観や雰囲気が一貫して根強く残っていたように思います。
「男児たるもの外で元気に遊び野球に勤しみ体育に励むべし。さもなくば勉学に勤めよ」、「女児は将来家庭に入り家事全般をこなし夫を支えるべし。よって幼少の頃より炊事洗濯裁縫の教練に勤めよ」、このような個々人を雁字搦めにするような教育・社会的規範が、(地域による差はあれど)学校では無論のこと一般家庭でもまかり通っていました。

 この価値観が当たり前の時代に幼少期を過ごした私自身も同じような教育を受けました。
 そのような環境に私の【セリアンスロピー/Therianthropy】が受け容れられるような余地は無く、私は自分の【セリアン/Therian】としての性質を押し殺すなり隠し通すなりする努力を常に余儀なくされていました。それでも「普通の子」になる事が出来なかった私は幼少期は一貫してイジメのターゲットにされ、親からも教師からも「しょうもない子」というレッテルを貼られて半ば諦められて育ちました。

「本当の自分が動物であることが周りにバレたら生きていけない」
 幼い頃の私は、そのように酷く怯えていたような記憶があります。
 それと同時に「自分を偽り続ける人生に、一体何の意味があるのだろう……」という気持ちにも苛まれていました。

 私と似たような境遇の【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】はとても多く、やはり「普通の人間とは異なるアイデンティティや考え方を持って産まれる」という事はとても大きなハンディキャップとなり得るようです。
 或いは幼少期の辛い思い出が【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】の動物的な本能を呼び覚まし【覚醒/Awakening】させてしまうのかもしれません。
 いずれにせよ、他の項でも述べたとおり、【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】は社会的に不利な立場に追い込まれやすい性質を持っていると言えそうです。

 私ももう誰かの親になる世代です。私と同じような時代背景で育った人々が家庭を持ち子を育む時代になりました。
 しかし誰もが理想的な親になれるわけではないのでしょう。少子高齢化と核家族化が進行し、さらには両親が共働きの家庭が増え、子供たちにとっては過酷な環境になってしまったのやもしれません。
 私の世代も随分と窮屈な思いをしましたが、今の子供たちの世代もまた、我々の世代とは異なる問題や苦難を抱えている事も想像に難くありません。

 或いは、皆が皆、各々の時代の被害者と言えるのやもしれません。

「心理的居場所(Sense of Belonging)」に対する渇望とインターネット

 学校にも家庭にも居場所がなかった私に取って、インターネットは唯一の「心理的居場所/Sense of Belonging」になりました。

 幸いにも、私が中学~高校生だった辺りでインターネットが一般家庭にも普及しだしました。当時は ISDN という電話回線を利用した非常に遅いシステムで、jpeg の画像を一つダウンロードするだけでも何十分と時間を要する今では考えられないほど不便な時代でした。そのため Youtube や TikTok のような動画サイトなど夢のまた夢、ツイッターやインスタのようなSNSでさえも私が成人してしばらくするまで登場しませんでした。それでもBBSやチャットルームなどを利用したネット上の小規模なコミュニティが形成され、そこに「心理的居場所/Sense of Belonging」を見出した方は多かったはずです。
 実際この時代に【AHWW(Alt.horror.werewolves)】は誕生し、1992-1999年という短期間にも関わらず【セリアンスロピー/Therianthropy】の基礎を築き上げたと聞いています。残念ながら当時の私には海外のインフォメーションソースを調べる事が出来るほどのメディアリテラシーがなかったため、【AHWW(Alt.horror.werewolves)】の存在を知る術はありませんでした。しかし幸運にも【AHWW(Alt.horror.werewolves)】の時代から活躍されていた【グレイマズル/Greymuzzle】の方々とは直接フォーラムやチャットを通じてお話させていく機会がありました。そういった方々が現在でも残る【セリアン/Therian】のコミュニティで多大なる貢献をされたため、私自身は【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】について正しい情報に触れる事が出来ました。
 しかし他の項でも述べたとおり、残念ながら多くの【グレイマズル/Greymuzzle】の方々がコミュニティを去ったため、世代交代が起こっています。私の世代でさえも、今の若い世代の【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】に対してジェネレーションギャップを覚えてしまいます。

 とはいえ。

 世代を問わず我々に共通する点は、インターネットに「心理的居場所/Sense of Belonging」を求めた点でしょう。
 現実世界では自分の【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】が認められない、排斥される、だからオンラインのコミュニティに救いを求めた。それはおそらくどの世代にも当てはまる、我々の持つ最も根本的な動機や情動の一つと言えるのではないでしょうか。

「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」の重要性

「来談者中心療法/Client-Centered Therapy」の創始者として知られる「カール・ロジャーズ/Carl Ransom Rogers」氏は、幼少期に親や教師や友人など「本人にとって重要な他者」から「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」を経験する事が、本人の自己肯定感を醸成する上で非常に重要な役割を持つと提唱しています。
 逆に「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」が満足に得られなかった場合、本人は「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」あるいは「条件付き自己肯定感/Conditional Self-Esteem」と呼ばれる歪んだ自己認識を形成してしまう可能性が高まるといいます。
「良い成績を取らなければ愛されない」、「学校や家庭のルールに従わなければ認められない」、そういう特定の「条件/Condition」のもとでしか自分が肯定されない場合、「常に良い成績を収めなければならない」、「四六時中ルールに従って行動しなければならない」という強迫観念に駆られてしまう場合もあります。
 他者から要求された条件を満たせない場合、「自分は頭が悪いオチコボレだ」、「自分はルールを守れない失敗作だ」といった極端に自罰的な人格を形成してしまう可能性があります。
 或いは、最初は他者から要求された条件を満たしていたとしても、要求水準を吊り上げられていってしまった場合、途中からついていけなくなってしまう事もあります。その場合、「常に成績でトップだった自分」、「常に周りからの期待に応えられていた自分」に固執するあまり、極端な行動に走ってしまう事もあります。
 人の社会は、常に個人と世の中全体を比較し、「当人がどれくらい平均的な人間であるか」を自然に考え、そしてそれ自体を自分や相手の評価基準にします。
 
 日本にも「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、平均から外れた変わり者と呼ばれる方が、集団の攻撃対象となるのは万国共通です。
 信頼と結束が人間が持つ社会性のであるとするならば、蔑視と排除はであると言えます。
 この、強固なまでの集団意識は人が進化の過程で得た「強さ」ですが、同時に自分たちの精神を追い込んでいる諸刃の剣と言えます。
 
 2020年代の現在でこそ、世界中で「多様性を認めよう」という機運が高まっています。
 しかし逆に言えばそれ以前の時代で幼少期を過ごしてきた【セリアン/Therian】の場合、「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」を満足に得られた方はとても少ないのではないかと私は考えています。
 先に述べた通り、私自身も幼少期は辛い体験をしましたし、私の友人にも信じられないような苦難を乗り越えて奇跡的に生き残った【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】が大勢いらっしゃいます。
 
 私たちは現実世界では親からも教師からも友人からも得られなかった「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」を求めて、オンライン上で集まりました。だからこそ【セリアン/Therian】のオンラインコミュニティは当事者にとって特別な意味を持つ「心理的居場所/Sense of Belonging」になり得ます。

 ですので、【セリアン/Therian】のコミュニティを運営する方は、まずは「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」の提供を一番に考えてください。「カール・ロジャーズ/Carl Ransom Rogers」氏が提唱するように、心に傷を負った者は「心理的居場所/Sense of Belonging」を得る事で劇的に回復する可能性があります。
「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」から脱却し、「本当の自分」として存在出来る場所の提供こそが、【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】にとって「生きている事そのものの悦び」を実感する契機となるかもしれません。

「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」からの脱却

 TikTokやSNSで「テリアン」を名乗っている方々にお聞きしたい事があります。
 あなた方のそのアイデンティティは、「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」ではありませんか? 動画再生数や「いいね」を稼ぐために「演技されたキャラクター」ではありませんか?

 私はあなた方の「心理的居場所/Sense of Belonging」や「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」への渇望を一切否定しません。私自身もあなた方と同じく現実世界には自分の居場所がなく、インターネット上に機会を求めた者の一人です。あなた方の動機や欲求を否定する権利などありません。
 また、先の項で少しだけ述べたとおり、承認欲求は人間に深く根付いている習性です。
「如何に自分を魅力的に誇示し、集団の中で攻撃対象にされないように生きるか」という生存の手段であり、数十万年の進化の中で培われた、抗いようのない本能とも言えます。
 故に、その欲求のコントロールがいかに難しいかも理解できます。
 ましてや多感な若年層に至っては、その手段を選んでいる余裕はないでしょう。たまたま流行っている「テリアン」という文化を、自分をアピールする恰好の土台と感じて飛びついてしまったのかもしれません。

 しかし、それは本来の【セリアンスロピー/Therianthropy】の在り方とは真逆です。
【セリアンスロピー/Therianthropy】は「本当の自分を見つける実践」です。「動物の仮面を被ってアイドルになる実践」ではありません。

「自分以外のキャラクターを演じる」のは「ロールプレイ」か「対症接続/Coping Link」です。米国では「ロールプレイヤー」、【コーピングリンク/Copinglink】、【アザーハーテッド/Otherhearted】、「ケモナー/Furry」は、【セリアン/Therian】とは明確に別のものとして区別されています。

【コーピングリンク/Copinglink】や【アザーハーテッド/Otherhearted】であることそのものは「悪い事」ではありません。あなた方が「それでもアイドルになりたい!」と訴えるのであれば、それも一つの「正解」です。
 そもそも【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】には「絶対的な正解」も「間違い」もありません。あなた方が「こうやって生きたい!」と思えば、それがあなたの人生です。他人には口出しする権利はありません。

 ただ、あなた方が他者から注目を集めて生きていきたいのであれば、「正しい用語」を使ってくださると、私としては非常にありがたいです。

「ロールプレイヤー」にも【アザーハーテッド/Otherhearted】にも【コーピングリンク/Copinglink】にも「ケモナー/Furry」にも後天的になる事が出来ます。インフルエンサーやVTuberと同じです。
 しかし【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】は先天性とされており、後天的に「なる」事は出来ません。
 ですから【セリオタイプ/Theriotype】や【キンタイプ/Kintype】は「生まれつき決まっていたもの」で、自分で恣意的に選ぶ事は出来ません。

 アイドルやインフルエンサーとして「成功する」にはきっと「正攻法」があるのでしょう。しかし【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】には「誰が見ても成功だと認められる客観性」はありません。【セリアンスロピー/Therianthropy】も【アザーキニティ/Otherkinity】も「自分自身の在り方」だからです。「自分に取っての正解」があったとしても、「誰が見ても明らかな成功」は存在し得ません。
 人気者でなくなっても生きていける自分、良い成績が取れなくても生きていける自分、無関係な赤の他人をも唸らせるほどの成果が出せなくても存在できる自分。そんな「何もかも全て失っても最後に残る自分の本質」を見つけ出すのが【セリアンスロピー/Therianthropy】と【アザーキニティ/Otherkinity】です。

 ですから、あなた方がもしも「他の何もかもを全てかなぐり捨ててでもいいから人気者になりたい!」と思うのであれば、私はあなた方の願望を肯定します。
 しかし、「セリアンになれば人気者になれる」とは考えない方がいいです。【セリアン/Therian】も【アザーキン/Otherkin】もむしろ他者から冷遇されて生きてきた方が大多数を占めます。あなた方の願望を叶えるためには「セリアン」にも「アザーキン」にも「ならない」方が良いと私には思えてなりません。

 或いは、あなた方がもしも「何もかもかなぐり捨ててでもいいから「心理的居場所/Sense of Belonging」や「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」が欲しい!」と思うのであれば、私はあなた方の願望を肯定します。私も同じ願望を持ってネットを彷徨い【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】と出会った一人です。
 しかし「心理的居場所/Sense of Belonging」や「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」を手に入れるために「セリアン」や「アザーキン」に「なる」必要はありません。セリアンやアザーキンのコミュニティ以外にもフレンドリーに接してくれるコミュニティはネット上にいくらでも存在すると思います。

 確かに我々【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】のコミュニティは互いを思いやる固い結束で結ばれている事が多く、傍から見れば美しく思えるのやもしれません。
 しかし【セリアン/Therian】も【アザーキン/Otherkin】も「人間ではない」というだけで種族を問わず一つ所に放り込まれているようなものです。犬と猫と鼠と鳥と金魚を「人間ではないから」という共通点のみで同じ部屋に入れたら大概酷い事になります。我々のコミュニティはそういった内部のいさかいを数え切れないほど経験しており、それ故に多くの方がコミュニティを去ったり自分たちだけの小規模かつ閉鎖的なコミュニティを作ったりして互いの「縄張り」を確立していきました。
 決して一筋縄ではいかなかったのです。

 ですから「心理的居場所/Sense of Belonging」や「無条件の受け容れ/Unconditional Positive Regard」を求めて「自分ではない動物のキャラクターを演じる」のであれば、それは「ロールプレイ」か「対症接続/Coping Link」だと思ってください。
 かつて自分が得られなかった「家族愛」を求めて「家族ごっこ」をするのは決して悪い事ではありません。それであなた方が幸福になるのであれば、私はそのアプローチを肯定し応援します。
 
ただし「誰かと家族ごっこをするために動物のキャラクターの演技をする」のか、それとも「動物として群の仲間になれる他の動物を探す」のか。

 この違いに無自覚であれば、後に人間関係に大きな亀裂を生みかねません。特に「自分自身を騙している」場合は最悪な結末を招きかねません
 だからこそ出来るだけ早い段階で「自分の本当の願望」に自覚的になれると、自分にとって本当に必要なものを手に入れるためにどうすれば良いか、具体的な方法が明らかになる事でしょう。

【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】は「本当の自分を知るため」の実践です。【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】について学んだ結果、あなた自身が「人間という動物」であると自覚出来たのならば、それは素晴らしい事です。それも一つの「正解」です。

 ですから「セリアンやアザーキンの演技をすること」を「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」の「条件」にしてはなりません。【クアドロビクス/Quadrobics】が得意な事や【セリアン ギア/Therian Gear】を身に着ける事を「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」の「条件」にしてはなりません。「条件付き自己像/Conditional Self-Concept」を破壊して、その先にある「本当の自分」を見つけ出す事こそが【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】の本質です。