【個人的エッセイ】組織ではなく個人の為に
【セリアン/Therian】はその性質上、たとえコミュニティを形成したとしても、一つ一つの組織が巨大化する事は滅多にありません。【セリアン/Therian】も【アザーキン/Otherkin】も実に多種多様な種族を包含するため、統一した思想や信条を持つ事が極めて難しいからです。
【セリアン/Therian】の中で多数派を占める狼であっても、「群/Pack」が巨大化する事は滅多にありません。そもそも野生の狼が100匹を超えるほどの大規模な群を滅多に形成しないため、【セリアン/Therian】にもその性質が継承されていると考えられます。
また、大勢をまとめ上げる強力なリーダーが亡くなった後は自然と群が散り散りになるように、何らかの事情で【セリアン/Therian】のコミュニティのリーダーが代替わりした際に、メンバーもまた入れ替わる事がままあります。
何千・何万という個体が統一された意志のもとで社会を形成する性質を「真社会性/Eusociality」といいます。
アリやハチなどの昆虫がこの性質を持つ事で知られていますが、哺乳類ではハダカデバネズミも「真社会性/Eusociality」を持つとされているそうです。
人間は厳密には真社会性を持つ動物ではありませんが、万を超える個体が都市という巨大なコミュニティ(社会)を建設し維持する役割を担うという点で、アリやハチと一定の共通点があると指摘する研究者もいます。
こうした万を超える「群」を形成する生き物は、人間を含めても自然界ではむしろ少数派と言えます。多くの動物はごく小規模な群を形成するか、或いは家族単位で行動します。大規模な群を形成する生き物は被捕食者の立場である事が多く、大勢で群れる事によって個々が襲われる確率を減らすというリスク分散の生存戦略を取っています。頂点捕食者であるにもかかわらず大規模な群を形成する人間は極めて特殊な生態をしていると言えるでしょう。
ですから、狼に代表される一部の種の【セリアン/Therian】は、人間が形成するコミュニティの規模そのものに対して居心地の悪さを感じてしまう事があります。そのためSNSなどで有名になって大人数が大挙してコミュニティに押し寄せた場合、雰囲気の変化についていけなくなってしまう方もいらっしゃいます。
コミュニティの規模そのものに対して不安や不快感を覚えてしまうのは【セリオタイプ/Theriotype】の特性上仕方のない本能行動なのかもしれません。仕事を選ぶのは少々難しいかもしれませんが、自分の自由意志で入るコミュニティぐらいは自分の好みで選びたいものです。
そもそも【セリアン/Therian】だからコミュニティに所属しなければならないという法はないため、文字通りの一匹狼で居る事も全く悪い事ではありません。
とはいえ。本来は群れる性質を持った狼に取っては孤独は時に耐えがたい苦痛になる事もあります。だからこそ自分の身の丈に合ったコミュニティに参加する事が望ましいと言えます。
大切なのは「コミュニティの為に何かしよう」とは思わず、「コミュニティに参加している個々人の為に何かしよう」と考える事だと私個人は考えます。「組織の為に何かする」という考え方は人間の組織論では「正しい」と言えますが、逆に「本来の自分で居られる場所」を求めて【セリアン/Therian】のコミュニティに参加するなら、コミュニティそのものが人間の組織論に縛られてしまえば参加者の居心地が悪くなってしまう懸念もあります。
狼の「群心理/Pack Mentality」はよく「無私の奉仕/Selfless Dedication」と美化されて語られますが、私は個人的には真っ向からこれに反対します。【セリアン/Therian】にはむしろ強力な我が在って然るべきです。私の感覚ではむしろ狼は「私利私欲に基づいて」利他行動を行っています。自分を犠牲にしてでも群を活かす事が、延いては自分の遺伝子を生き永らえさせるために利になるからです。だからこそ自分の知識や経験を受け継いでくれる後継者を私はとても「利己的に」大切にします。それが延いては群を強くさせ、どんな困難に見舞われても臆さず立ち向かっていける力になると信じているからです。私のこの考え方は「利己的遺伝子説(The Selfish Gene)」に基づいています。狼は「利己的に」進化した果てに「利他する」、「群のメンバーを大切にする」という能力を獲得した生物だと私個人は考えています。
私の個人的な経験では、利他的意志に基づいて行った利他行為は決して報われません。自分の私利私欲を我慢してまで他人に奉仕する事は、一見美しいように見えますが心の奥底に何らかの禍根を残す場合が多いです。
逆に「自分はこの人を助けたいと思ったから助けるんだ! 誰にも文句は言わせない!」という強い決意に基づいた行動は、たとえ結果がどうなったとしてもきっと後悔はあまりしないでしょう。
だからこそ、最終的に利他行為をするとしても、動機自体は利己的であるべきだと個人的には強く思います。打算でもいいし直感でもいい、とにかく自分が「こうしたい!」と強く思った事をした時にこそ、生き物はその真価を発揮できるものだと私は個人的には思っています。
「組織に対して」何かしてあげる場合、そこには特別な見返りがほとんど期待できません。だからこそ気持ちや献身の「元を取る」ためには組織そのものをコントロールして自分が何らかの利益を得なければ釣り合いが取れないと無意識的にでも考えてしまいがちです。これが動物的思考から我々を引き離し人間的な血みどろの権力闘争へと駆り立てる一番の理由になり得ます。
それが行き過ぎてコミュニティそのものが個々の参加者に対して何らかの献身を要求するようになれば、独裁国家のような恐ろしい組織に変貌してしまうリスクがあります。多くの国家がこの末路を辿り、戦争と敗北により国力を低下させていきました。我々はその轍を踏んではなりません。
だからこそ、コミュニティの為に何かをしたいと思うのであれば、組織そのものに対して何かをするよりも、むしろ「顔と名前が一致する特定の誰か」に狙って届けるように尽力すべきだと個人的には思います。的を絞った方がより的確なアプローチが出来ますし、本人にとって特別な何かを提供出来れば特別な絆を築けるかもしれません。「ありがとう」のたった一言が、時にはかけがえのない報酬になる場合もあります。
【セリアン/Therian】は良くも悪くも普通の人間とは違う考え方が出来ます。だからこそ、自分の能力をより良く使って、普通の人間では実現できない何かを実現しようと試みてみるのもいいかもしれません。普通の人間と同じ幸福を目指してしまえば、大多数の普通の人間と勝負して優位性を勝ち取らなければ、或いは幸福になれないかもしれません。そんな事をして幸福になるハードルを自ら上げてしまうよりも、むしろ何が本当に自分を幸福にするかを考え直してみた方が、もっとスマートに自分の真の幸福に近づけるやもしれません。
そのためにも、利己的な動機に基づく利他行為を個人的にはお勧めします。