No.008 【セリアン/Therian】と【クアドロビクス/Quadrobics】
【クアドロビクス/Quadrobics】、或いは【クアッドロバー/Quadrober】とは、若い世代の「自称セリアン」の間で流行っている四足歩行するスポーツです。
まず最初に申しておかなければならない大前提として、本来【セリアンスロピー/Therianthropy】と【クアドロビクス/Quadrobics】は全く関係のないものです。
少なくともほんの数年前まではセリアンのコミュニティでも話題にすら上りませんでした。
しかし、いつしか若いセリアンの間で【クアドロビクス/Quadrobics】が自己表現の一環として流行り出したようで、今では「【セリアン/Therian】になるためには【クアドロビクス/Quadrobics】は必修である」とまで豪語する方もいるようです。
私の世代からするとハッキリ言ってデタラメです。
そもそも、【セリアン/Therian】は「なる」ものではありません。「自分がそうであると気付くもの」です。「必修技能」など何一つとしてありません。【シフティング/Shifting】が一切できない方ですらも、自分が何らかの理由で【セリアン/Therian】であると思えば、コミュニティは受け容れていました。
以前は【ファントム シフト/Phantom Shift】できること、【メンタル シフト/Mental Shift】できること、【種族違和/Species Dysphoria】を抱えている事などが【セリアン/Therian】であるために必要な条件であるか否かがコミュニティ内で議論された事がありました。
しかしその結果、どれも「必須ではない」という結論に至ったと私は記憶しています。
逆に若い世代の「自称セリアン」たちが何故「誰も彼もが実践出来るわけではないスポーツ」を「【セリアン/Therian】になるための必修科目」にしているのか、私には理解出来ません。
しかし、これと非常に似た現象が10年前に既に起きていたと噂で聞いた事はあります。
以前少しお話したカルト化した【ティーン ウルブス/Teen Wolves】のグループが、何らかの迷信めいた取り組みを通じてワーウルフになる事を「セリアンになるための儀式」として位置付けていたとの事でした。
【クアドロビクス/Quadrobics】や大流行中の「テリアンジャンプ」と呼ばれるものは、本質的にはこの「儀式」を簡略化したものではないかと私個人は推察しています。
歴史の項でお伝えしたとおり、【ティーン ウルブス/Teen Wolves】の一派は【フィジカル シフト/Physical Shift】の議論でコミュニティを壊滅にまで追い込んだため、一部の現存する【セリアン/Therian】のコミュニティからは排斥されています。
【フィジカル シフト/Physical Shift】について議論する事さえも禁じているコミュニティさえあり、多くの【セリアン/Therian】のコミュニティは【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】を冗長させるような試みは禁止するという姿勢を取っています。
とはいえ、セリアンのコミュニティの大半は、可能な限り個々人の自由意思を尊重するスタンスをとっています。そのため、【フィジカル シフト/Physical Shift】のタブー化と並行して「個々人の自分の【セリオタイプ/Theriotype】に関する自己表現までは制限しない」という注釈も加えられていました。
【クアドロビクス/Quadrobics】は、この「ルールの抜け穴」を突くような形で一部のメンバーから殊更大げさに取り上げられてしまったのかもしれません。
私の世代で「自分の【セリオタイプ/Theriotype】に関する自己表現」といえば、多くは絵画や文芸作品などの創作でした。SNSでは非常によく見かける動物の仮面ですが、ほんの5~6年前までは実践している方はかなり稀でした。
当時は本当に「ただの趣味の一環」という位置付けで、「数ある自己表現の方法の一つ」でしかなく、【セリアン ギア/Therian Gear】という特別な名称さえもついていませんでした。我々の世代にはどのような形で自分の【セリオタイプ/Theriotype】を表現するかの自由がありました。フォーマットに従って「こうしなければならない」というルールなどほとんどなく、単に「【ティーン ウルブス/Teen Wolves】のマネをして無関係な一般人に迷惑をかけてはならない」という大まかな取り決めがあるだけでした。
それがいつの間に今のような形に変貌してしまったのか、私自身にも詳しくは分かりません。ただ少なくともここ1~2年で【クアドロビクス/Quadrobics】は急激に流行り出しました。
それと時同じくして【セリアン ギア/Therian Gear】と呼ばれる特徴的なマスクと「自分のプロフィール画像にプリクラのような落書きを加える」などの「今まで存在しなかった新しい文化」が次々に流行り出しました。
一部のグループでは「セリアン サルート/Therian Salute」と呼ばれる挨拶も流行っているらしいです。私自身はこの時既に「今の若い子たちにはついていけない」とジェネレーションギャップを強く感じた事を記憶しています。
他の記事とも内容がある程度重複してしまいますが、【セリアン/Therian】のコミュニティ内であってさえも「【セリアンスロピー/Therianthropy】は万人の中で長続きするような現象ではなく、多くの個人の中では成長と共に失われるか重要視されなくなっていくのが普通だ」とされていました。だからこそ逆に何十年もの間【セリアン/Therian】として「生き残り続けて」いる経験豊富な【グレイマズル/Greymuzzle】の方々が尊敬を集めていたのです。
しかし以前お話したとおり、大半の【グレイマズル/Greymuzzle】の方々が主だったオープンな【セリアン/Therian】のコミュニティから引退してしまっており、若者の過激な行動をたしなめる者がいない状態に陥っています。そしてフィルターバブルとエコーチャンバーの相乗効果で行動が過激化した果てに今の現象が起こっています。
これはわずかここ2~3年で起きた出来事です。
「【セリアン/Therian】である事を辞めてしまえる方々」、「【セリアンスロピー/Therianthropy】を数ある現実逃避の手段の一つとしてしか考えていない方々」の事を【コーピングリンク/Copinglink】と呼ぶ事は以前もお伝えしました。
【セリアンスロピー/Therianthropy】が極めて主観的な性質を持っている以上、【セリアン/Therian】は自己申告制にせざるを得ません。ですから「自分は【セリアン/Therian】だ」と名乗りを挙げれば誰でも【セリアン/Therian】として扱われはします。
当然、その中には「自分が本当に【セリアン/Therian】なのかどうか分かっていない」【コーピングリンク/Copinglink】も含まれます。
しかし、何年も何十年も変わらず【セリアン/Therian】で居続ける【コーピングリンク/Copinglink】の方は滅多にいません。時が経てば大多数の【コーピングリンク/Copinglink】の方が「自分は【セリアン/Therian】ではありませんでした」と自己申告する事になります。
「本物であるか否か」は【セリアン/Therian】を「始めた」時には本人にも検知出来ません。しかし「偽物だった」事は【セリアン/Therian】を「辞める」時に明らかになる。
そのため「辞める」寸前まではたとえニセモノであってもセリアンとしてアンケートにも多数決にも参加出来てしまう。おそらくこれが【セリアン/Therian】のコミュニティが抱える決して避けて通れない最も致命的な構造的欠陥と言えるでしょう。
ですから、若い世代の「セリアン」が産み出した文化は「若気の至り」や「一時の気の迷い」であると、私を含む年配の【セリアン/Therian】はどうしても考えてしまいがちです。
だからこそ我々の世代は【若造狼/Teen Wolves】というレッテルを貼って彼らを敬遠してしまうのでしょうし、若い世代もまた我々の世代を指して「話の分からない大人」と憎んでしまうのでしょう。
コミュニティ内でのジェネレーションギャップこそがこの問題の根本にあるのだと思います。
彼ら若者たちも、おそらく何らかの必要性に駆られて人目を引くような自己アピールを行っているのでしょう。彼らもまた、何らかの救いを求めてあのような行為に走っているのかもしれません。
彼ら自身の身の上が不幸なのであれば、同情はします。実際に虐待的な両親や学校でのイジメなど様々な苦難を抱えた【セリアン/Therian】はとても多く、私自身も幼少期には散々な目に遭いました。
ですが。
だからといって赤の他人に迷惑をかける事を是認する事は出来ません。【セリアンスロピー/Therianthropy】も【アザーキニティ/Otherkinity】もストレスのはけ口そのものではありません。
もちろん、「一般人とは違う動物」として生きていく以上、一定のストレスを覚えるのはほぼ避けては通れない事だとは思いますし、何らかの健康的なストレスの発散方法や自分の【セリオタイプ/Theriotype】や【キンタイプ/Kintype】の衝動を解放する手段を持つ事が望ましいのも事実です。
でもだからと言って、人目を引くようなストレス発散の方法を正当化するために【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】を利用するのは本末転倒です。【セリアンスロピー/Therianthropy】も【アザーキニティ/Otherkinity】も公序良俗に反する行為を正当化するための言い訳ではありません。
私自身がヒトを自認していない以上、「人として恥ずかしくない事をしろ」だなどと言うつもりはありません。
ただ、ヒトから顰蹙を買った動物がどんな酷い目に遭ってきたかを彼ら若い世代が知らないのだとしたら、私は年長者として彼らの行いに注意を促さねばなりません。彼らの行為が【セリアン/Therian】のコミュニティ全体を滅ぼしかねないリスクを孕んでいるからです。
近年になって動物愛護法が改正されるなど、動物の福祉(Animal Welfare) にも注目が集まっています。多くの方々の尽力のお陰で少しずつ動物の扱いが改善されていっていますが、それでもまだ「動物の立場から見て」十分であるとは言い切れません。
人類の歴史から見れば、人権でさえもまだ「発明」されてから僅か2~300年しか経っていません。人権が施行される前には多くの「人狼」が「疑わしい」というだけで処刑されていました。今の「テリアン」がしている事と全く同じ事を300年前にしたならば、誰かに見つかれば即刻火炙りにされているやもしれません。
そもそもの前提として、人権を「他人に迷惑をかけても許される権利だ」と考えているのなら、それこそが最も大きな間違いです。そのような思想や態度そのものが「人権」や「多様性の尊重」という多くの人々が血を流してまで戦った末にようやく勝ち取った権利や概念を「悪用している」、歴史やそこに込められた想いを土足で踏み躙っているとさえ言えるでしょう。
ほんの2~30年前までですら、社会的マイノリティの人々は世の中から忌避され、侮蔑の対象にされていました。
「男児たるもの外で元気に遊び体育に励み野球をせよ。さもなくば勉学に勤しめ」「女児は将来家庭に入り家事全般をこなし夫を支えよ。よって若かりし頃より料理と裁縫の修練をすべし」などといった今考えれば信じられないような価値観が「当たり前」とされていた時代が、ここ日本でもつい最近まで広がっていたのです。
今でこそ当然のように皆が嗜むゲームや漫画やアニメですが、30年前は親世代から「ゲームをするとゲーム脳になっておかしくなるからやめなさい!」「漫画を読むと影響を受けてバカになるからやめなさい!」と言われて取り上げられ、アニメファンに至っては「彼らは犯罪者予備軍である!」という偏見に満ちた報道がマスメディアで堂々と放映される事さえありました。今の一般的な価値基準からするととても信じられないような暴挙が平然とまかり通っていたのです。
今の多様性に溢れる世の中が生まれたのは、本当にここ四半世紀の出来事です。今の若い人々、とりわけ10代半ばから20代前半の世代は、インターネットが普及する以前の世の中がどれほど画一的で抑圧的であったか想像すらも難しいでしょう。少数派に対して世間がいかに排他的かつ冷徹で、「普通とは違う子」として生きる事がどれほど窮屈で苦難に満ち溢れたものであったかは、言葉だけではとても説明し切れるものではありません。
生まれた時からインターネットや多様性が当たり前、人権もマイノリティの権利も当然在って然るべきもの、そんな世代の方々には、きっと我々の世代が歩んだ苦労や痛みや恐怖をなかなか理解してもらえないのではないかと思います。
それ故に。
人間を恐れず、動物として、或いは少数派として人間に危害を加える行為がどれほど恐ろしい事かをまるで理解していない【ティーン ウルブス/Teen Wolves】や【コーピングリンク/Copinglink】の過激な行動を見ていると、私は居ても立ってもいられなくなります。彼らの行いをこのまま黙して放置すれば、彼らに向けられた言葉の暴力が、明日には【セリアン/Therian】全体に向けられるのですから。
それがやがて法の執行力となり、物理的な暴力にまでエスカレートしないか、保証はどこにもありません。実際にああいった行為を取り締まる法律を施行しようとする国まで現れたとニュースで小耳にはさみました。我々自身の身に危険が迫る日は目前だと私は危機感を募らせているのです。
こういった危機感を持ち合わせない若者は、【ティーン ウルブス/Teen Wolves】や【コーピングリンク/Copinglink】はもちろんですが、たとえ「本物の」【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】であったとしても止めねばなりません。
【セリアンスロピー/Therianthropy】も【アザーキニティ/Othekrinity】も悪事を働くための言い訳として使ってはならないのです。それは【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】の真逆と言っていいでしょう。
中世の「クラシックな人狼症」を現代に復活させた先に待つのは人狼裁判と処刑です。だからこそ、我々【セリアン/Therian】の歴史が根絶やしにされないように、我が身を危険に晒してでも私はここに正しい情報を所蔵する図書館を建てて、誰にでも無料で【セリアンスロピー/Therianthropy】と【アザーキニティ/Otherkinity】についての出来るだけ正確な知識を提供することで、「【セリアン/Therian】は悪者ばかりではない」と知っていただく礎になろうと決心しました。
【セリアンスロピー/Therianthropy】は「治さなくても良い本人の特徴」です。逆に【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】は「治すべき病気」です。
15年前に【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】が日本に「輸入」されてから、日本の心理学会でどれほどの進歩があったのかは部外者の私が知る由もありませんが、少なくとも我々が実践できる「家庭の医療」のレベルであっても「症状が深刻化する前に食い止める」、「重篤な病状にまで発展しないように未然に予防する」事は可能です。生活習慣病が日々の努力で未然に防げるように、【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】もフィルターバブルとエコーチャンバーを断ち切れば致命傷に至る前に食い止められるはずです。
元来の【セリアン/Therian】のコミュニティでは、「周囲から認められる」ために必要なものは「深い自己理解」と「自分なりの洞察や世界観」でした。それを言葉や絵画や音楽や立体造形を用いて表現出来る方々が一目置かれた側面はあったでしょうが、それよりも何より 動物学(Zoology) や 動物行動学(Ethology) に根差した自分の【セリオタイプ/Theriotype】に関する深い知識や理解、それに基づく自己分析こそが重視されていたような気がします。
それがいつからか「自分の事をもっと理解してほしい」という承認欲求に最適化されるあまり、自分の性質を示すキーワードを自分のプロフィールに列挙するような文化が少しずつ広まっていった気がします。おそらくその「自分の性質を示すキーワード」をSNSに転用し、「自分自身に貼り付けるハッシュタグ」として利用し始めたのが細かい歴史のいきさつなのではないかと個人的には推測しています。
「誰かに知ってほしい」、「誰かに認められたい」、そういった欲求そのものは否定できるものではないでしょう。私自身も若い頃はそういった欲求に振り回されて他者に迷惑をかけてしまった事がありました。だからこそ、自分と同じ過ちを繰り返してほしくはないと願ってしまいます。
ですから、自分自身を飾り立てるように様々なハッシュタグを自分のプロフィールにつけている「テリアン」や【コーピングリンク/Copinglink】の方々に私からお聞きしたい事があります。
あなたが「どうしても誰かに分かって欲しい」と心から願っているものをたった一つだけ挙げるとするなら、それは何ですか? 「他のものを全て差し置いてでも、絶対にこれだけは分かって欲しい」と願っているものは何ですか? 「全部分かって欲しい」と欲張るのではなく、逆に極限まで無欲になって、それでも最後に残る「最低でもこれだけは分かって欲しい」と願っている究極の一つは何ですか?
おそらくそれを見つけ出せれば、あなたはきっと「本当の自分」と真に向き合えるのではないでしょうか。
もしもあなたが「絶対にこれだけは分かって欲しい」と思っているものが【クアドロビクス/Quadrobics】であるなら、あなたはもしかしたらセリアンではなくむしろスポーツ選手なのかもしれません。セリアンでなくとも【クアドロビクス/Quadrobics】競技には参加できます。元々【クアドロビクス/Quadrobics】は【セリアン/Therian】とは無関係なスポーツだったのですから。
もしもあなたが「絶対にこれだけは分かって欲しい」と思っているものが【セリアン ギア/Therian Gear】であるなら、あなたはもしかしたらセリアンではなくむしろファッションデザイナーやクリエーターなのかもしれません。動物をモチーフにしたデザインを手掛けるデザイナーさんやクリエーターさんは、普通の人間の方々の中にも本当に沢山いらっしゃいます。
もしもあなたが「絶対にこれだけは分かって欲しい」と思っているものが「SNS上で自分が獲得したインプレッション数」であるなら、あなたはセリアンではなくむしろインフルエンサーなのかもしれません。その場合、私個人としては「本当はセリアンではないのにセリアンを騙って有名になろうとする」のはやめていただきたいです。あなた方の間違った広報活動で我々当事者が迷惑を被る危険性が非常に高まります。
「自分は本当は何者であるか」という人生を通じた究極の問いに対して真摯に向き合う事こそが【セリアンスロピー/Therianthropy】と【アザーキニティ/Otherkinity】の本質であると私は考えています。
だからこそ私はその本質こそが皆様に正しく伝わる事を願ってやみません。