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【個人的エッセイ】【セリアンスロピー/Therianthropy】は楽しくない
以前お伝えしたとおり、【セリアンスロピー/Therianthropy】の半分は呪いだと言っても過言ではありません。「普通の人間ではない」という事は、多くの場合が苦痛を伴います。偏見、差別、イジメ、迫害の直接的な原因になり得ます。
そもそも種族が違うと分かり合うのがとても困難になります。たとえ相手の為を思ってした行為であっても「自分の種族の思いやり」が人間からは歪んで捉えられる事もよくあります。心無い人は人間以外の動物を下等生物扱いする事もあり、出合頭に尊厳を踏みにじられる事さえあります。多くの【セリアン/Therian】にとって、【セリアン/Therian】である事は「楽しい」事ではありません。むしろ【セリアン/Therian】であるが故に辛い思いや苦しい思いをする事の方が多いとさえ言えるでしょう。
しかし、我々【セリアン/Therian】にとって「【セリアン/Therian】である事」は辞めようと思って辞められるようなものではありません。元から人間ではない者が人間のフリをしても遅かれ早かれボロが出ます。そもそも自分の【セリオタイプ/Theriotype】以外の動物になんて、なろうと思ってもそう簡単になれるものではありません。
だから、どれほど辛くとも、苦しくとも、自分が自分でなくなってしまうような事はしない。自分なりの方法で状況を打開して、自分なりの方策で生き延びる。我々はそうやって日々を懸命に生きています。
我々は「楽しいから【セリアン/Therian】をやっている」わけではありません。【セリアン/Therian】以外の生き物にはなれないから、【セリアン/Therian】として生きていく以外の方法がないから、【セリアン/Therian】で居続けているのです。
ただ、私はそれでもごく個人的に【セリアン/Therian】としての自分に誇りを持っているつもりです。痛みを知り苦しみを知り怒りを知り憎しみを知り、それでもなお牙を収めて和平と相互理解の為に努力する事。そして利己的遺伝子説と図書館学に基づき公共の福祉とこの星の持続可能な未来に少しでも貢献する事。それこそが私の誇りです。これは私が【セリアン/Therian】でなければそもそも思いつく事すらなかったと断言できます。
【セリアン/Therian】として誇れる自分で在り続けたいと私は願っています。それはごく刹那的な「楽しさ」とは全く別次元の、もっと深い「使命感」や「自分が生きる意味」とでも呼べるものに根差しています。「楽しく」はありませんが、志を同じくする仲間と共闘出来ると、「楽しい」以上の充実感はあります。
先日、【セリアン/Therian】のコミュニティに所属する友人から「【セリアンスロピー/Therianthropy】の事なんてどうでもいいからクアッドのやり方やギアの作り方を教えてほしい」という方がいるという話を伺いました。私としては正直ショックです。
海外の【セリアン/Therian】のコミュニティにもそういう方々はいらっしゃいますが、その多くが自分は【セリアン/Therian】ではなく【アザーハーテッド/Otherhearted】か【コーピングリンク/Copinglink】だと気付いてコミュニティを去っていきました。
そういった方々は、やはり楽しそうだから【セリアン/Therian】を「始めてみる」のでしょうか? 流行っているからやってみたくなるのでしょうか? 【クアドロビクス/Quadrobics】や【セリアン ギア/Therian Gear】はカッコいいと感じるのでしょうか? 【セリアンスロピー/Therianthropy】とクアッドやギアは本来は関係ないと知ったら、【セリアンスロピー/Therianthropy】そのものは今よりもさらにどうでもよくなってしまうのでしょうか?
そもそも、「楽しそうだから【セリアン/Therian】になりたい」、と思っている方は「本物の」【セリアン/Therian】ではない可能性が非常に高いので、【アザーハーテッド/Otherhearted】や【コーピングリンク/Copinglink】やロールプレイヤーの方々のコミュニティに参加する方がよほど楽しめるのではないかと個人的には思ってしまいます。
「違うこと」そのものは悪い事ではありません。しかし違う者同士を無理矢理同じにしようとすると大概悪い事が起きます。だからこそ住み分けが大切だと個人的には考えています。ゾーニングとソーシャルディスタンスです。
或いは、傍から見ると我々【セリアン/Therian】は楽しそうに見えるのでしょうか? 前述のとおり、【セリアン/Therian】として生きている事は楽しい事よりも辛い事や苦しい事の方が多いです。それでも我々は仲間と共に支え合って何とか日々を生き延びています。我々とて可能ならば仲間の前では極力明るく振舞おうとしますから、それが楽しそうに見えてしまうのかもしれません。
或いは、その仲間意識こそが羨ましいので、我々の仲間になりたいから【セリアン/Therian】になりたいとお考えのようなら、残念ですが「諦めてください」としか私からは申し上げられません。
理由は主に二つです。
一つは、そもそも【セリアンスロピー/Therianthropy】は「生まれつきの特性」であるため、後天的に「なる」ことは出来ないこと。
もう一つは、この「生まれつきの特性」を後天的に訓練によって獲得するのはほぼ不可能に近い上に、仮に並みならぬ研鑽によって後天的に習得したとしても人間の世界では何の役にも立たないどころかむしろ不利になる可能性が非常に高いため、お勧めできないこと。
ですから「後天的に【セリアン/Therian】になる」というアプローチは、私からは全くお勧めできません。
そもそも我々【セリアン/Therian】が「普通の人間とは違う」と感じる一番顕著な側面は、「ものの見方」、「考え方」、「価値観」といった非常に根本的な部分です。「今の状況をどう感じるか」、「世界をどう捉えるか」、「死生観をどう考えるか」、「道徳やマナーについてどう思うか」といった、本能に非常に近い部分の反応が、【セリアン/Therian】の場合は普通の人間の方々とは大きく異なります。そのため我々【セリアン/Therian】は時折生きづらさを覚えます。この感覚を【セリアン/Therian】ではない普通の方々が後天的に訓練や学習によって体得するのは不可能に限りなく近いのではないでしょうか?
それに、我々の考え方や価値観は普通の人間の方々からすると、きっと常識外れだったり不気味だったり不愉快だったりするのでしょう。こういった非常に根本的かつ本能的な部分でこそ、お互いに齟齬が生まれがちなのです。それが原因で諍いになり争いの火種になった事は今まで数え切れないほど実例があります。
何気ない日常の生活や対話の中で「普通の人間の方々」にとっては何でもない事であったとしても、【セリアン/Therian】にとっては耐えがたい苦痛になる事はかなりあります。その「普段は気にならない事」が「苦痛」に思えてしまうという感性や価値観そのものを「後天的に開発する」ような行為は、私個人としては本当にお勧めできません。生きづらくなるだけです。
多くの【セリアン/Therian】はこの感覚と毎日のように戦いながら生きています。だからこそ我々にとって相互理解可能な仲間は特別な存在になり得るのです。
ですから。
【セリアン/Therian】ではない方々にも【セリアンスロピー/Therianthropy】について知っていただけるのはとても有り難い事だと私は考えます。しかし同時に【セリアン/Therian】と一般の方々との間には適切なソーシャルディスタンスも必要だと私は考えます。どちらも「間違い」ではない、しかしどちらかの「正しさ」を遂行するためにどちらかが邪魔になるのなら、互いに距離を取って互いに干渉しないようにする他ないのではないでしょうか?
そもそも、犬と触れ合うために自分自身が犬になる必要はありません。犬と人間の間に特別な関係が生じる事は珍しくありません。あなたが人間のままであっても、犬と一緒に楽しむ機会はいくらでもあるはずです。
そしてあなたがもしも「犬のために何かしたい」、「動物のために何かしたい」と思うのであれば、あなたが人間であるからこそ出来る事は、むしろ我々【セリアン/Therian】よりも多いかもしれません。動物愛護やアニマルウェルフェアといった概念は、そもそも人間が動物のために作り出したものなのですから。
たとえそれが自己防衛であったとしても、動物が動物のために行う保護行為は人間から反感を持たれる事が多いです。しかし人間が動物のために行う保護活動はむしろ人間から賞賛される事が多いです。これはおそらく立場の問題なのでしょう。
繰り返しお伝えします。あなたがもしも「犬のために何かしたい」、「動物のために何かしたい」と思うのであれば、あなたが人間であるからこそ出来る事は本当にたくさんあります。
だからどうか【セリアンスロピー/Therianthropy】を言い訳に使わないでください。【セリアンスロピー/Therianthropy】は【セリアン/Therian】の心を救う特効薬にもなり得ますが、言い訳に使った瞬間に魂を腐らせる猛毒になります。これは「本物の」【セリアン/Therian】であろうと、【セリアン/Therian】ではない方々の場合であろうと同じです。
繰り返しになりますが、【セリアンスロピー/Therianthropy】は楽しいものではありません。むしろ辛く苦しい側面の方が多いとさえ言えます。
それでも我々は【セリアン/Therian】として誇りを持って生きようとしています。
我々の仲間になりたいけれど自分は【セリアン/Therian】ではないと考える方は、どうか無理矢理【セリアン/Therian】になろうとはしないでください。あなたが人間のままでも出来る事は多いです。
動物愛護やアニマルウェルフェアや環境保護に興味を持ってください。動物のシェルターを訪れてみてください。生の動物と触れ合ってみてください。生の自然と触れ合ってみてください。そして、動物や自然のために自分に何ができるか、何をすべきかを考えてみてください。そうすれば【クアドロビクス/Quadrobics】や【セリアン ギア/Therian Gear】に頼らなくても【セリアン/Therian】と心を通わせる事は出来るかもしれません。
その体験はきっと「楽しい」ものではありません。
けれどもっと深い「嬉しい」、「温かい」気持ちになれるかもしれません。
それは【セリアン/Therian】であろうがなかろうが変わらないはずです。人間も同じ地球に住まう動物なのですから。
或いは、仲間意識が羨ましいのなら、まずは「共に戦える仲間」を探してください。差別や偏見と闘う、世の中の不条理や理不尽と闘う、環境破壊や動物虐待と闘う、不便や不可能と闘う、未知や未踏と闘う、何でもいいです。世界には戦うべき「外敵」が多く、生きる事とは元来戦う事だと私は考えます。そして幸運にも我々は「平和的な戦い方」も選択肢の一つとして持っています。
共に背中を守りながら戦った相手とは、種族の壁を乗り越えて特別な関係が築ける事でしょう。だからこそ人の手で彫像まで建てられた軍用犬や警察犬や介助犬もいます。
「あなたがあなただからこそ出来る事」を大切にしてください。それはきっと「楽しい」事ではないでしょうが、少なくとも遣り甲斐はあると思います。それは【セリアン/Therian】であろうがなかろうが関係ないはずです。