見出し画像

2022.02.18(太陽は見上げる人を選ばない)

月は乙女座。
きのうから魚座の木星と180°、牡牛座の天王星と120°。
いずれもお昼頃まで。
山羊座で重なっている金星・火星とは朝から120°。

午後からは魚座の海王星とも180°をとる。


個人を形容し他者に示す・他者から示すことを求められる必要性が果たしてあるだろうか、というような議題。
内なるものは誰に示さなくても、美しい。
誰にも理解されるために、言葉を無理に拵える必要はない。
美しさを尊重し合えること、高みへの理想のために闘う。


太陽は今晩、日が変わって午前2時前、水瓶座から魚座に移動する。
この1ヶ月ほどのテーマが切り替わるタイミング。


先日も書いたが、太陽は、水瓶座に滞在する時は持ち前の力を発揮しにくいと言われている。

“太陽が支配星である獅子座も、水瓶座の対岸に位置する星座なので、そこからもイメージが湧く。何か言葉を交わそうとした時、そもそも違う立場で向き合って話し始めることになるような。 ”

太陽が持つ、自らの存在を表現・肯定するエネルギーは、水瓶座の持つ「みんながいる」「みんなの中にわたしがいる」というような、客観性や平等性から始まる思考・動作の世界と立場が違うから、らしい。


ただ、個人的には、これを「太陽の苦手な場所」と端的に言い表してしまうには、ちょっと勿体無い気がする。
それは、水瓶座の世界では「個人の存在を認める」からこそ、「みんなを認め合う」世の中を確立しようとするからだ。

そんな世界に向き合い、きょうまで滞在していた太陽は、本来の姿とはまた違っていたとしても、優しい光を放ってきたはずだ。


そんなことを考えているうちに、
ふと、欅坂46の『太陽は見上げる人を選ばない』という楽曲は、水瓶座の太陽が見守る世界をあらわしているかのように感じた。


(それぞれの
 話す言葉とか信じるものが
 一つじゃなかったとしたって
 最後はわかり合えるだろう)

(共存をしたことで
 どこかにもし影ができたなら
 譲れることはないか
 光はどこにあるか 話し合えばいい)

(太陽は
 どんな時も
 この空見上げる人を選ばない
 平等に愛と温もり与えてくれるんだ
 悲しみの厚い雲に覆われたとしたって
 遥か遠く輝きながら
 その祈りに頷いてる)


人それぞれが、守らなければいけないものを抱えているがゆえに、どうしても見える世界が閉塞的に感じやすいムードだったこの頃。

それでも、それでもどうしようか、それでもどうしたらこんな世の中でも前を向いていけるかな、と考えたり、闘ったり。もちろん、楽しみや喜びも見つけたり。

きっとそれぞれに意思があったことに目を向けて振り返れば、互いに何かの意味のある時期だったと、思えるのではないだろうか。


そして、光はまた新しい世界へと向かっていくのだ。


わたしの文章や占いには、よく「自分」という言葉が出てきます。 これは「自分」というものを励ましたい、「自分」が自分らしくありたい、という願いのあらわれなのだと思っています。 読んでくださる方も「自分らしく」いられるように、少しでもその励みになることができたら、とても嬉しいです。