人生のドラマチックさとか(徒然乱文)

前回記事である「追いビネガー選手権」にスキがついて大変驚いている。スキありがとう。

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note好きなんですよ。活字メインだから活字スキーな私としては、無限に暇をつぶせるし、いろんなノウハウも転がってるし。
ただnoteをコンスタントに書いている人はすごいな、と思う。noteを読んでいると暗黙知として「記事の中で寄り道は禁止」があると感じるし、ブログ出身の私は文書を打ち込みながらあっちに行ったりこっちにいったりオチがなかったりを許してきた人種なので、1本筋を通してそれなりの文章量を書くのがすごく大変だと感じる。みんなすごいナー。
それから自分自身にとことん向き合うのはすごく消耗することもあるから、それを続けられる人はすごいな、と思います。「追いビネガー選手権」は自分のメンタルとかパーソナルな部分の露出自体は本当に少ない、書くとしてもダメージを負いにくい記事ではあるけど、あれを書く作業は結構疲れた笑

受ける記事を書き続けるのもすごい。軽いノリでテンションの高いnoteが好きなんですが、それを自分で書くのはすごく大変です(テンション低めな人間なので、すごい努力だ)

さて、noteを書くうえで「自分自身をどこまで晒すの問題」は誰しもが一度は考えるんじゃないかと思います。
いやだってサ、私は別にライター志望じゃないし、ごく普通の一会社員だし。私の人生そんなにドラマチックじゃないしサ…。

自分がもつ属性としては、長女・浪人留年・けんせつ小町・メンタルダウン経験あり・WAIS-Ⅲテスト済・異動経験有、というような掘れば何か出てきそうな感じではあるものの、自分を見つめ直すのがつらいし、苦しい思いをして記事を書いてみたら自分の個人情報と結びついちゃって世間様から後ろ指さされたりするのが嫌だなぁ、ということで躊躇している。

そんなこんなで、もちゃもちゃと考え事をしていたら赤い公園の津野米咲氏が亡くなったというニュースが飛び込んできた。

津野米咲氏は中学校の同級生であり、世の中のアーティストのなかで数少ない「しゃべったことのある」アーティストである。ちなみに中学時代に彼女の音楽の才能に触れる機会は私にはなかったけれど。

ついにきた、1991年生まれ同級生の訃報ニュース。しかも女性、まじかよ。

最近I AM DEADという追悼ゲームにはまっている私はタイムラインに生成される追悼メッセージを眺めて、今朝は赤い公園の「今更」と「交信」を聞きながら出勤した。彼女のことは良く知らない私の、せめてもの追悼である。
私よりもドラマチックでカラフルで、ジェットコースターのような人生だったのだろうか、うっかりハイスピードで脱線してしまったんじゃないか、と勝手に思っている。

生きている人は、自分が生きるために追悼するんだ。悲しいとか寂しいってなんて暖かく穏やかなんだろう、と最近よく思っていた。穏やかな天気の日の湖みたいだよね。故人は湖のひんやりの中に溶けてしまった。

生きているひとはどーにかこーにかしていっぱい眠ろうね。

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