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感想 映画『オッペンハイマー』


こんばんは、梓 駿斗(あずさ はやと)です。
先日、アマゾンプライムにて『オッペンハイマー』を視聴しました。
今回は、その感想を書いてみようと思います。
私は評論家でもそれを気取る気もないので、もしも見当違いなことを書いていたら申し訳ございません。

1.三つの時間軸を行き来する構成

本作は、三つの時間軸を行き来する構成となっていました。

  1. オッペンハイマーの学生時代から原爆投下の少し後まで

  2. オッペンハイマーのスパイ容疑に関する聴聞会

  3. ストローズが長官に値するのかの審査(ストローズの視点)

序盤から終盤までずっとこの時間軸が交差しながら映像が進行していくので、それに気づくまでは少々混乱しました。
ただ、2の聴聞会で新しいキャラの名前が出てきたと思ったら、1の時間軸に戻ってその人物との出来事を描写してくれてからは理解でき、そこまで不親切な映画ではないと感じます。

また、3の描写は常にモノクロでした。
「モノクロ=過去」という先入観が邪魔をしたせいで、余計に理解が難しかったように思います。

なぜストローズの視点はモノクロなのか?

個人的に、なぜストローズの視点をモノクロにしたのかを考察しました。

この作品には何人もの「天才」と称された人物が登場します。
その中でも一際描写が多い人物こそ、オッペンハイマーとアインシュタインです。
物語の序盤にて二人だけの会話がストローズの視点で伏線として描写され、終盤にてオッペンハイマーの視点でその内容が明かされます。

さて、ここでストローズという人物を表すに適した単語を探すと、
それは「嫉妬」「劣等感」「凡人」「打算的」などになると思います。

私としては、ストローズは
かなり優秀ではあるものの時代の寵児たちに対する劣等感が強く、
凡人であるという残酷なまでに正確な自己分析に基づいて、
手段を選ばずに成り上がる人物

という印象になります。

かなりの戦術家であり、利益の為には敵を失脚させることも厭わないので、彼の策略によってオッペンハイマーは研究に必要な資格を失いました。

ただ、天才が身近にいる世界で戦う凡人にとって、その世界は決して面白いものではないでしょう。
世界から色が褪せたように感じ、嘆いていたかもしれません。

以上から、ストローズの視点はモノクロなのだと思います。
「モノクロ=過去」という固定観念をあえて利用し、
苦しい時代は過去などという生易しいものではなく、
今もなお続いている
という表現だと思います。

お決まりの手法を覆すことで、意図した演出にする。
小説にも応用できそうな考えだと思います。

2.性描写について

本作には性描写が何回かあります。
邦画にはあまり描かれなくなりましたが、やはり大人向けの芸術作品においては、正しく用いれば効果的だと思います。

私も(小説ですが)性描写に挑戦したことがあります。
その時に感じた難しさとは、ベッドシーンの導入です。

例えば、・職業が性産業である
    ・恋人、セフレ、夫婦などの関係である
といった設定にすれば、意外とその導入は難しくありません。

ただ、これからその関係になる二人の性を描くのは非常に難しいです。
現実と同じで、初夜の迎え方が最も難しいのは変わらないようですね。

では、本作ではどのように性描写へ移っていったのでしょうか。
私は作家として、ここにも注目していたので書いてみようと思います。

1.出会い

オッペンハイマーとジーン(愛人)の二人は、とある政治的なパーティーで会いました。
オッペンハイマーとジーンは、共産主義について話します。
「(党の規則に依らず)柔軟に動きたい」
と共感した後、すぐに行為の描写になりました。

個人的にはこういう洋画のノリに慣れているので違和感はありませんでしたが、そんな簡単に行為に及べるものか? と感じる人がいてもおかしくはないとも思いました。

2.回想

聴聞会にて共産主義者であるジーンとの関係について聞かれたオッペンハイマーは回想し、そこで二回目の性描写がありました。
(オッペンハイマーはジーンとの関係を断ち、キティという女性と結婚していました。理由は、キティとの間に子供ができたからです。)

オッペンハイマーは花束を持ってジーンのもとへ会いに行きましたが、ジーンは花束を受け取るや否や、すぐにゴミ箱に捨てました。
そしてそのあと、二人が裸で話し合いをする描写に飛びます。

おそらく、行為に及んだ後で改めて話し合っているというシーンでしょう。
(外が明るい内にジーンの部屋に入ったが、話し合いのシーンでは暗くなっており、時間の経過が示唆されている)

久しぶりに会って身体を求めてしまったという心情は理解できます。
ただ、ここも無理やりだと感じる人は出てくるでしょう。

3.幻覚

3回目の描写は、2回目の直後にあります。
妻のキティは、聴聞会でジーンとの関係を話したオッペンハイマーに衝撃を受けました。
そして、聴聞会の部屋にもかかわらず裸のオッペンハイマーとジーンが行為に及ぶ妄想をしました。
つまり、混乱したキティが見た幻覚として性描写があります。

このとき、鑑賞している我々もキティと同様に、オッペンハイマーとジーンに対して(大なり小なり)嫌悪感を抱くように演出されているのです。

私はこのとき、
1,2回目の性描写の唐突さはオッペンハイマーに共感しすぎないための演出だったのではないかと考えました。

(ちなみに、共感させない演出はその他の作品でも稀に見られます。
 例:進撃の巨人のエレンに対して序盤は多少共感できたが、
   終盤になるとまるで心境が伝わらないように描かれた。)

さらに、本作は後半になるにつれてオッペンハイマーの心に生まれた
自身の研究が多くの人命を奪ったことに対する強烈な罪悪感
を描いています。

つまり、後半においては共感を呼びたかったはずです。そのため、
本作の性描写は共感させたくない前半にのみ存在しています。
とても構造的に作られた脚本ですね。

また、本作は一人の人生を描く物語なので、かなり詰め込んでいます。
カットできる部分はカットせざるを得ないでしょう。
映画において、性描写への導入はカットしても問題ない場合が多いです。
当然、本作にもそういった意図はあると思います。

3.小説に生かせそうなアイデア

1.時間軸や視点を複数設定し、それを行き来することで情報を小出しにする
 情報を小出しにすることで、鑑賞者に先の展開を求めさせる

2.主人公を共感しやすいキャラクターにしない
 秀でた・凄惨な実績を持つ人物は、共感できない方がふさわしい
 ただし、この手法を取り入れるなら地の文の視点を意識すべし

3.フィクション感やキャラへの嫌悪感を操作したいなら、性描写への導入を
 大胆にカットしても良い

 リアリティを追求するなら、この限りではない。

4.妄想や幻覚として、短い性描写を挟むのはあり
 
実際に行為に及んでいなかったとしても、心理描写として使える
 ただし、過激な表現ではあるため扱いには注意

まとめ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回は、映画『オッペンハイマー』について感想を書いてみました。

原爆というを扱いずらいものをテーマにしており挑戦的であるため、
いくつもの賞に選ばれたのも納得できます。

ただし、ストーリーはそこまで奇抜ではないと感じました。
ラストシーンでも、私は強烈な感動があったとは言えません。
(当然、具体的に予想できたわけではないですが……)

ただ、監督が重視したメッセージは十二分に伝わったので、
楽しみながら鑑賞することができました。
面白かったです。

今後も様々なジャンルの作品を取り入れ、感想を投稿していく予定です。
いいね・コメントお待ちしております!
土曜日も短編を投稿予定ですので、フォローしていただけると嬉しいです!

梓 駿斗(あずさ はやと)