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短編『三者面談』
序
期待とは果物ナイフである。ふと、この言葉が私の頭に浮かんだ。
小さく鋭利な刃物です。もちろん、手先が不器用な私からすれば、肉や魚を捌く包丁よりかは安全に見えます。ただ、その方が寧ろ悪質ではないかと思うのです。
独り思い出すのはいつだって、子供の頃の記憶です。美しい日本海が広がる富山の田舎町で、私は生まれ育ちました。秋の夕暮れには稲が輝く田んぼを、冬の早朝には寒ブリが並ぶ魚市場を見に行きました。幼少期の私は、寒さに強かったのです。
しかし、今の私は暑いのも寒いのも苦手です。独り暮らしのアパートで、冷房がよく効いた部屋と蒸し暑いキッチンを往復していると、耳の奥が詰まるような感じがします。
今、私の右手には果物ナイフが、左手には実家から送られてきた桃があります。休日に人知れず口にした言葉を反芻していると、気づけば薄明りのキッチンに立っていました。刃を寝かせて固定し、左手を回して皮を剥いています。慣れないことを始めてしまいました。
ただ、一片、また一片と皮がポリ袋の中で乾いた音を出す度に、どうやら私の記憶がより呼び覚まされるようでした。桃の皮は薄く、滑りやすいので慎重に。決して己の指を傷つけないように、仕事にあたります。
一枚、また一枚とめくっていくのです。
1
ママの車、速いね。
車を運転する母の隣に座っていた僕は、流れる景色を見ながらそう呟いた。窓の外には、毎日歩いた静かな町が広がっている。登下校の道を母が一緒に見てみたいそうで、登校班の集合場所から始まり、そのときは蝉が沢山捕れる神社の横を走っていた。
「亮ちゃん、いっつも歩いているもんね。ママの車、速いでしょ?」
うん、と軽く返事をした後、あ、ここ左、と僕は嬉しそうに道案内をした。しかし、歩き慣れているとはいえ今は早朝ではない。昼前の町はより一層静けさを増し、すれ違う車も少なかった。夏休みに突入した空には、縦に広がる大きな雲が浮かんでいる。
あの犬、毎日吠えてくるんだよ。僕はそう言いながら右斜め前に指を突き出し、流れていく犬に合わせて腕を後ろに動かした。わんちゃんかあ、恐いねえ。母は僕の手を避けながらそう返した。あまり犬に興味がないのだろうか。僕はそう思いながら母の視線の先を見ると、校舎が家屋の上に伸びていた。
車は校門を抜け、石灰で線引きされた校庭に駐車された。母と会話しながら、玄関に向かって歩き出す。僕は制服、母は職場のスーツを着ており、この組み合わせは校庭の至る所で見受けられた。
その日は、小学校に上がってから初めての三者面談でした。しかし、当時の私は三者面談という言葉を知りませんでしたし、故にどこか浮足立っていたように思います。母と一緒に車で登校するという非日常な状況が、楽しい実習のような気分にさせたのです。
玄関で僕は白い内履きを、母は衣装ケースに入っていた緑のスリッパを履いた。薄暗い廊下を歩き、一階の教室へと入る。一年一組だ。僕は担任教師と挨拶を済ませ、手で促された席に母と隣り合って座った。いつも通りの教室である。ただ、僕が想定していたような楽しげな雰囲気はなく、担任が普段以上に大人に見えた。
最初は成績表を参照しながら、僕の学校生活での様子についての話となった。評価はおおむね四か五である。
勉強には十分についてこれていますね、体育も楽しそうです。お友達とも仲良くやれているように思います。担任はどこか気楽そうに話し終えた。それを聞いた母は安心したような、どこか満足げな表情にも見える。
「ちゃんと勉強できてるって。偉いじゃん」
母の言葉を聞いて、僕は背もたれに背中を預けた。
すると、担任は再び話し始めた。
「ただ、先生として欲を言うとですね? 亮吾君なら、まだまだ頑張れると思うんです。この前のテストでも、大分時間が余っているように見えましたから。とても賢いお子さんですので、この夏休みでどれだけ頑張れるかが大切ですよ」
母だけではなく、担任にも期待されているのだろうか。まだまだ頑張れるという言葉を僕は嬉しく思い、はい! と大きく返事をした。
最後に、夏休み中の過ごし方についての話となった。暗くなる前に帰宅すること、知らない人に付いて行かないことなど、再三言われた内容である。
その後、私と母は校舎を後にして車に乗り込みました。正午を少し過ぎており、お腹が空く頃合いです。滅多に外食をしない家庭でしたから、その日は母にねだってハンバーガーを食べに行ったのを覚えています。
2
自転車のサドルを上げた。
買ったばかりであった中一の頃は、跨るだけで精一杯だった。しかし、中三の夏になるまでサドルを上げないでいたために、いつも膝に負担がかかっていたのだ。
ただ、今日は三者面談の日である。慌ただしく車庫を駆け出す毎朝とは異なり、サドルを調整する余裕だけはあった。
僕はペダルを踏み込み、町へゆっくりと漕ぎ出した。小学生の頃は構わず横切っていた空き地には、新築の家が建っている。
少し進むと、小学校の通学路から外れた。三年も通学すれば、今や寧ろこの道の方が親しみ深い。国道を渡り、住宅街に張り巡らされた細道を迷わずに曲がっていく。僕が三年かけた研究の成果が出ていた。
小学生の間は母の車に乗せてもらい、三者面談に向かっていました。ただ、この頃には三者面談という言葉を知っていましたし、自分たちが母子家庭であるということも知っていました。
中学生になると母が煩わしくなってしまいました。一人自転車で学校に着いてからは指定された時刻になるまで、数人の同級生が勉強している空き教室でやりたくもない勉強をするふりだけは怠らず、人目を忍んで漫画を読んでいたものです。
その日も空き教室で何周も読み返した漫画を読んでいると、やがて予定の時間となった。玄関まで歩き、母と合流してから階段を昇る。四階にある三年一組の扉を叩き、担任の返事を待ってから入室した。
中学生になったとはいえ、三者面談の流れはあまり変わらないようだった。担任からは、成績表を参照しながら学校生活での所感を聞きつつ、時折パンフレットを手渡されるくらいである。
国語、数学、英語の評価は五で、その他は基本的に四であった。ただ、勉強に注力した覚えはない。授業を真面目に聞いていれば自主学習など不要だ、と思っていたからだ。
特進クラスでも成績は十分に優秀です。野球部も頑張っていましたし、今期は生徒会の役員も私からお願いしましたが、頑張ってくれました。担任の言葉に一瞬誇らしく思ったが、僕はすぐに心構えをした。
「ただ、担任としては、亮吾君はまだまだ頑張れるように思います。同級生たちは皆、放課後も自習室を利用していますが、亮吾君はあまり見かけません。今でもかなり余裕があるのでしょうし、実際この成績であれば十分に志望校に合格できます。ただ、高校での大学受験に向けて、今の内から自習する習慣を身につけていただきたいのです」
まだまだ頑張れる。この言葉に初めは喜んでいたものの、小一から全ての三者面談で言われれば、嫌気が差してくるものです。親の面前で叱責される仕打ちよりかは随分と生優しいでしょうが、それでも記憶に根深く残っています。
放課後や休日に勉強したくないからこそ、授業中にすべてを理解しようと集中する。私にとっては、これが最も心地良い取り組み方だったのです。
しかし、教師からの評価や評判というものは、自主学習の長さによって決定づけられているようにしか思えませんでした。実際、今回は上々な評価ではありますが、「関心・意欲・態度」の減点によって私は常に損をしてきました。
もちろん、それが重大な影響を及ぼす成績でも性分でもありません。ただ、そんな私であっても努力感が無かったわけではないのです。他人には平然に見えても、私は間違いなく自分なりに努力していました。
「まだまだ頑張れる、だってさ亮吾」
何がそんなにおかしいのだろうか。母もこの言葉に聞き覚えがあるようで、しかし僕と違って表情は暗くない。僕はそれが心底不快だった。
自分なりに頑張ってはいるつもりだよ、授業中とかは特に。僕は母に不平を言った。しかし、母には伝わらなかったようだ。本当に? 家でも全然勉強してないでしょう? 何ともにこやかな否定である。
その後、受験についてしばらく説明され、僕と母は教室を後にした。四階は階下の熱気が上昇して溜まりやすく、かなり暑い。また、それを踏まえて教室の冷房は強めであり、それも相まって余計に汗が噴き出した。
一階まで階段で降りた時、毎日これを上り下りしているんだね、と母が息を整えていたのを覚えている。
「亮ちゃん、帰りはどうする? 自転車は学校に置いて、車で一緒に帰る?」
玄関で外履きに履き替えていると、母が僕に聞いてきた。いや、自転車で帰るよ。この後、友達と遊びに行くから。床を使って靴の踵を整えながら、僕は答えた。
そう言えば、母さん。僕が頼んでた紙袋って持ってきた? 僕は母に聞いた。遊びに出かける予定だったので、着替えの服を持って来てもらうよう頼んでいたのだ。持ってきてるよ、と母は答え、二人で車に向かった。
その日は日が暮れるまで友人と遊び、私は十九時をまわってから帰宅しました。夕食の後、西瓜を食べたのを覚えています。
3
その日は雪が積もっていた。
今日の午後は三者面談がある。今まで後期の三者面談は三月であったが、高三では受験を目前に控えた十二月に行われるそうだ。ただ、この時期の富山は積雪で白い町並みになる。母の車で一緒に登校せざるを得なかった。
今のところ、第一志望は十分に狙えます。担任は模試の結果を見せながらそう話した。僕の第一志望はとある難関大学である。分布を見るに、評価はAに近いB判定であった。
担任から放たれる次の言葉を、僕は既に知っている。職員室で盗み聞きしたわけではないが、経験則に基づいてそう思っていた。
亮吾君はここまで、よく頑張りました。あともうひと頑張りです。担任は体裁からか軽く褒めた後、ただ、と言って付け加えた。
「ただ、これからは勉強以外にもよく注意してください。せっかくこんなに頑張ったのですから、当日に体調不良になっては、また悔しい思いをするはずです。お母さんもぜひ、もう少しだけ亮吾君を支えていただいて、一緒に頑張ってください。私ども教員も、より一層気を引き締めますので」
「はい。亮吾と一緒に頑張ります」
その後、三十分以上に渡った三者面談が終わった。階段を下りて玄関まで歩くと、母は緑のスリッパを返却し、僕は青いスリッパを下駄箱に戻した。
車内では、記憶にも残らないような会話をしたと思います。その日の夜は、地元で獲れた寒ブリの刺身を食べました。例年通りとても美味しかったのですが、私は何故か腹を下したのを覚えています。
4
果物ナイフをまな板に置いた。
今の私は、生涯の愛を捧げる相手の気配はなく、休日であっても寂々たる1Kにて桃を剥き終え、一仕事を終えた達成感などというもので誤魔化すような有様です。
私の実家では、春の夜にはホタルイカ、夏の午後には桃が冷蔵庫で冷えていました。今、部屋には桃が皿の上に並んでいます。一日中つけっぱなしの冷房の風が、直接当たる机の上です。当然、すぐに食べるとはいえ傷むのではないか、とは考えました。しかし、しょうがないではないありませんか。
皮が剥かれた桃は、暑さに弱いのです。
私は手だけを軽く洗った。調理器具を洗う気にはなれなかったのだ。
母は私の道案内ごっこに付き合い、私の薄情さにも目を瞑り、常に支えてくれました。過去を思い返せばいつだって、未熟さ故の愚かさや、幼さ故の残酷さに気づくばかりであります。ただ、そこに思い至ったのは二十歳を過ぎてからで、もっと早くに気づけなかった自分が情けないです。
部屋の椅子に座り、私は桃を一つ食べた。私は今年、三十になります。
もう一つ食べた。母は昨年、六十になりました。
気づけば、桃は残り二つになった。果汁たっぷりの桃と、やや硬そうな桃である。
私は空になった皿を持って、キッチンに向かった。
果物ナイフを洗うためです。
梓 駿斗(あずさ はやと)
4966文字
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