Reolが好き ベルクソンと音楽理論を勉強中 電子音楽・クラシックのような音楽を好みにする クラシックの場合、協奏曲・交響曲・ピアノソナタなどをよく聴くが、いわゆる印象派(ラヴェル、ドビュッシーなど)の曲調がとても気に入っている

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私たちは未完成交響曲を奏でている

ベルクソンの哲学において、私たちが日常的にこの世界を〈見る〉ということはどのように説明されるだろうか。 〈見る〉という場面を想定するとき、必然的に〈知覚する私〉と〈知覚される世界〉の存在が認められるが、前者と後者の間には〈部分—全体〉の関係性があることが確かだ。〈知覚する私〉という存在は身体という空間的拡がりをもって、この世界の一部を占めているということだ。言い換えれば、〈知覚する私〉も〈知覚される世界〉も物質として地続きになっているといえる。 ではあらためて、〈見る〉と

    • スピノザの『エチカ』を読むと起こること

      『エチカ』という書は私(読み手)が論証の中で、一切の否定なしに自らのうちに開かれた〈力能〉を全肯定する装置のようなものである。 〈神あるいは自然〉に満ち足りている〈力能〉の産出的な必然的活動として私自身の存在を含めたこの世界が今、ありありと実在していて、その有・実在性は一切の否定を含まない絶対的な肯定によって充足されている。 私という個別的存在について、その精神は観念(肯定性)そのものであり、身体はその観念対象である。そして、コナトゥスという生物的秩序に従い、自らの活動の抗

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