【あずさの】ミテコさまが揉み消したいSNSのお噂ランキング【独断と偏見】
平成時代は最強で完璧な皇后のイメージ作りの為に都合の悪いお噂は971制作の「ミテコの部屋」を使い揉み消してきたミテコさま。
流石に「ミテコの部屋」は令和になってから開店休業状態ですが、最近はいいね👍️の数の操作という新技を駆使している模様(笑)
特に平成四人組の実体に踏み込んだ内容のものはいいねの数が不自然に操作されたり、最悪はBAN対象になったりといった怪奇現象が報告されています。
そこで今回は私あずさの独断と偏見による「ミテコさまが揉み消したいSNSの皇室お噂ランキング」を作成してみました。
第5位「大震災でも新作衣装すでウッキウキ♥️」
1995年の阪神淡路大震災。
まだライフラインもズタズタで多数の行方不明者が瓦礫の中1月31日にミテコ夫妻は御所で摘んだ水仙の花束と諭吉さん三枚持参で被災地神戸に殴り込み。
移動中のバスの中からは、ミテコさんお得意の「頑張ってポーズ✊😃✊」。
なおこの衣装をつくったお針子海ちゃんの先輩はこれをテレビで見た時くわえタバコで「五木ひろししてんじゃねーよ💢」と言い放ったとか・・・😱😱😱
そして瓦礫に供えた水仙の花(←これも例のヤラセの花束の調達先の「ゴ●ーフローリスト」で調達されたとか)は「枯らさないで」の謎のご命令によりエバーフラワー処理され神戸布引ハーブ園で常設展示。
この成功体験はその後更にエスカレートし被災地の人々に負担をかけるだけでなく、病気療養中の当時の皇太子妃をバッシングするエサになっていたのです。
第4位「アキヒト夫妻 姉の四十九日前にBANBANバカンス♥️」
昭和天皇の第一皇女として生まれた照宮成子内親王。勉学もスポーツも超優秀で人柄も素晴らしく、名家の姫様ばかりの学習院でも「この方には誰も敵わない」と称賛されたプリンセス。
戦後は民間人「東久邇成子さん」として経済的に苦しい中も5人のお子様を抱えながら庶民と同じようにやりくり暮らしの日々を過ごしていました。
照宮さまのお人柄については⬇️の創作ストーリーを参考に
しかし長年の苦労が重なりガンを煩い1961年7月23日にわずか35歳の若さでお亡くなりに。ご両親である昭和の両陛下のショックは大きく、しばらく那須でご静養に入った程。
そんな中弟の明仁皇太子夫妻はまだ成子御姉様の四十九日も済まない8月28日に軽井沢にキメキメファッションでバカンスに。
侍従日記によるとこの前後に明仁皇太子夫妻は傷心中の両陛下の静養先に乗り込み日頃の不平不満を延々とぶちまけたとか。🤮
このエピソードを見ると平成の皇太子ご一家への陰湿な嫌がらせの話も「ああやっぱりね」って思いますよね。
第3位「初孫🐴子さま ばあ様の忖度で学芸員ごっこ(笑)」
平成の両陛下の初孫として誕生した🐴子さん。チャブさんからは「眞子が天皇でも良いではないか」と言われヒサ君誕生まではかなり溺愛されていました。⬇️のミテコさまの和歌もそんな溺愛エピソードのうちの一つ。
ICU時代にエディンバラ大学の留学。その後もレスター大学大学院に留学するも、実際には英語の成績はCランクと散々だった様子。
結局ミテコばあ様の忖度で博物館勤務。カメラマン引き連れた学芸員パフォーマンスで「眞子の為の格好の仕事場を作ってくれてありがとう(テヘペロ)」と暴露しちゃいました。
でも大学院では「幽霊学生やってる秋篠宮眞子で~す」と自己紹介するアイタタタな状態ですから学芸員としてはポンコツ扱い。
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