同年代と比較したサーヤ様ファッションの違い
最近YouTube動画でも取り上げたサーヤ様の内親王時代の地味すぎる外見。
昔は「贅沢を好まず質素倹約をモットーとする性格」と美談にされていましたが、この服装は庶民でもないでしょ?
ではサーヤ世代の一般的な女の子達のファッションはどんな風だったのでしょうか?
知りたい情報はAI先生に質問しましょー🏫
【質問】
昭和44年生まれの女の子の服装(普段着やよそ行き両方)の特徴や流行はどんな風だったのかを幼少期から大学生までの時期で教えて
【解答】昭和44年生まれの女の子(1969年生まれ)の服装について、幼少期から大学生までの時期ごとに特徴や流行をお話ししますね😊
①幼少期(1970年代初頭)
この時期は、まだまだ可愛らしいデザインの服が人気でした。女の子は、通常はフリルやレースがあしらわれたワンピースやブラウス、スカートを着ることが多かったです。また、元気な印象を与えるために、明るい色合いや花柄の服も多く見られました。子供向けのキャラクターものも流行し、アニメやマンガの影響を受けた服装が人気でした。
サーヤ世代は経済的に豊かな時代に生まれた世代。親も経済的に豊かになり、子供のおしゃれにお金と手間をかける余裕もでてきました。
当時の婦人雑誌の子供服の記事を見ると子供服のデザインも多彩に。
②小学校時代(1970年代後半~1980年代初頭)
この頃は、特に「ルーズソックス」が流行し、カジュアルな服装が主流になりました。Tシャツにジーンズやショートパンツを合わせるスタイルが多かったです。また、カラフルなスニーカーやサンダルも好まれました。この頃、学校の行事やイベントでは、少しおしゃれを意識したドレスやスカートが選ばれることもありました。
この頃になるとカラーテレビが一般家庭に普及し(←カラーテレビの普及率は1975年には90%を突破)、明星などのアイドル雑誌もブームに。ヤングアイドルのファッションが身近に感じられるようになりました。
中学校時代(1980年代中盤)
中学に進むと、ファッションに対する意識が高まり、より個性的なスタイルが求められるようになりました。特に、ミニスカートやオーバーサイズのセーター、デニムジャケットなどが流行しました。また、アイドルの影響で、可愛い系のファッションや、少し派手めなスタイルが人気を集めました。
80年代になるとより男女ともにカラフルなファッションが好まれるようになり、子供服も段々多彩なデザインのものが出回るようになりました。
高校時代(1980年代後半)
高校生になると、さらにファッションは多様化します。特に「ギャル」スタイルが登場し、短いスカートや厚底サンダルが流行しました。個性的な髪型やメイクも注目され、自由な表現が楽しめる時代でした。また、制服がある学校では、制服アレンジの流行もありました。
ちょうど以前ご紹介した中山美穂・森高千里・浅香唯等の「サーヤ様の同学年アイドル」達が登場したのもこの前後。
子どもの頃から山口百恵・ピンク・レディー・松田聖子などのトップアイドルの影響を受けて育った世代なのでデビュー時からビジュアル的に完成されてましたね。
大学生時代(1990年前後)
大学生になると、より自分のスタイルを確立することが重要になり、さまざまなトレンドが見られました。カジュアルなストリートファッションや、フェミニンな服装、さらにはブランド物のアイテムが人気でした。また、90年代後半には、ボディコンやワンピーススタイルも流行しました。 このように、昭和44年生まれの女の子のファッションは、時代と共に変化していきました。
ちょうどこの頃はバブル絶頂期。一番女性のファッションが尖っていた時代。
その前の80年代始め(雅子皇后の同年代が大学進学した辺り)から女子大生ブームに乗り「ハマカジ」などのファッションが流行してましたが、サーヤ様世代が大学進学した辺りにそれがピークに。
子供の頃から養われたファッション感覚が一気に開花しました。
こうしてみるとサーヤ様世代って子供の頃からメディアの洗礼を受けたから、結構美意識高めでファッションで自己主張してますから「いずれ民間人となるから質素に」と言われても「いやいや庶民のお嬢さんの方がおしゃれじゃないの」と説得力ありませんよね。
いつからおかしくなった?
といってもサーヤ様のお洋服ってアトリエ内でサーヤ様の為の「お衣装チーム」を作りデザインから完全オーダーメイドで作ってるので、🐴🦌姉妹よりはるかに手は込んでるんですよ。
🔼の空港のお迎えシーンでも分かりますが、幼少期はそれなりに可愛らしい格好してるんです。しかし小学生になってからやたらミテコ親子のファッションに違和感を感じるんです。
①母ちゃんは派手なのに娘は地味化
幼少期までは母子間で衣装のチグハグさは感じられませんでした。ミテコさんも女優ばりの派手な衣装なのは変わりませんが、まだ当時の流行に沿ったデザインでそこまで奇想天外な雰囲気ではありませんでした。
しかしサーヤ様が小学生になった辺りから母ちゃんは肩パッドにビラビラマントで奇天烈化する一方で娘は地味化まっしぐらで、「セレブマダムと召使いの娘」かと見間違えるくらいにチグハグなコーデが常態化。
まあ陛下も成年迎えた辺りは垢抜けない服装でしたから。しかも家族でも色合いやデザインがチグハグ。
今上御一家の絶妙なリンクコーデとは正反対。
②服装以外にはさらに無頓着
洋服のチグハグさも大概でしたが、代わり映えしないお菊人形みたいなおかっぱヘアや度のきついアラレちゃんメガネもサーヤ様をみすぼらしく見せる要因に。
成人を迎えてから流石にコンタクトが許されましたが、おかっぱヘアは相変らず。結局36年間は華やかな娘盛りを経験しない(させてもらえない)ままアーヤの腰巾着のクロちゃんが「愛の終着駅」というトホホな結果に😩😩😩
最近はすっかり話題に昇らなくなりましたが、KK問題や引っ越し延期など旗色の悪くなる出来事の度に両親と接触しては「流石内親王の鏡」だ「ミニ皇后」(←そもそも二人皇后だのミニ皇后だのミテコさんは皇室の序列をマイルールで崩すの好きやねー)という美談記事が定期的に週刊誌にあがるサーヤ様。
「愛ちゃん私だってコージョと言われたのよ 母ちゃんパリンする前に一華咲かせてやるわ~」って暗い井戸の底から囁いてそう。