平成の会見からJK夫妻のブレブレ気質を検証してみようの巻
先日もチラッと触れましたが今年はミテコ様の失声症テロから30年の節目の年。
最近はA宮夫妻の会見の席の残念なエピソードが話題に登りますが、実はJK夫妻も現役時代は散々「平和への祈り」「国民に寄り添う」等の過剰な美談要素てんこ盛りでしたが、東宮時代~平成初期は今読み返すと結構アチャーな内容でした。
平成初期のミテコバッシングの際も「今の陛下は威厳が無い」「初の会見ではぎこちなかった」「余り趣味ばかり話すと遊んでると思われる」等と散々な言われ様・・・
平成の30年の間でJK夫妻の会見スタイルはその時々の出来事をきっかけに様々な変化がありました。今回は会見のスタイルからJK夫妻がどのような型で神格化されていったかを検証してみましょう
①実は大したことなかった平成初期
平成が始まった頃は昭和天皇の偉大な功績と存在感との比較からJKさんは「頼りない」「威厳が無い」と言われて言われていましたが其は会見内容からも伺えます。
実際に平成初期の会見を読み返すとそっけない内容。特にミテコさんの誕生日解答にそれが顕著です。
一番痛恨だったのは平成5年の欧州訪問時の会見でしょう。
この当時は「宝島30」の記事をきっかけにした皇室バッシングが激しかった事から夫妻揃ってピリピリモード。
JKさんは新婚の雅子妃殿下についての質問には「ちょっと聞こえなかったんですけど」と意地悪ぶりを露呈、ミテコさまも自身のカトリック系大学卒に絡めた質問には「御免あそばせ」と解答拒否する等散々な内容。
②トラウマを経て徐々に長々と
この欧州訪問前の会見が相当トラウマになったのか夫妻の会見は徐々に分量が増加します。
特にミテコさまの会見は平成初期だと質問の文言込みで原稿用紙一枚に満たなかったのが平成最後の誕生日の時には10倍位に分量が増えてます。ただ自分達のアピールしたい部分(平和への祈り、満身創痍の公務アピ)は回りくどい位に語る癖に、余り関わりたくないエピソード(例えば当時の東宮家とか)には冷たくそっけないのは相変わらずでしたが。
③無駄な公務頑張ってますアピール文がプラス
これだけでも結構回りくどいなーと思われますが、更に回りくどいのが解答の後に付け加えられる「この1年のご動静」です。
「ご執務が何千回、都内のお出ましが何十回・・・」「ご体調はどーたらこーたら」と延々言い訳。
これいつ頃から始まったのか調べたら二人とも平成15年の誕生日から。
平成15年といえばメキシコ大統領の来日の際の宮中晩餐会の席でJKさんの雅子妃殿下の紹介すっ飛ばし事件➡️それが決定打となって帯状疱疹と適応障害で長期療養に入ったという皇室にとって一番の暗黒時代。
これが「満身創痍でご公務に励む両陛下。それに引き換え東宮夫妻は・・・(ネチネチ)」と皇太子ご一家バッシングの口実に悪用される事になりましたよね。
④ついに海外訪問前会見も文章解答
前々から東宮一家に冷たい仕打ちを繰り返したJK夫妻ですが、一番有名なのが平成19年の欧州訪問時の会見。
この訪問は10日間で5か国。ただでさえ七十代半ばで日頃から体調不良を訴える2人には過密スケジュールと指摘されていたのに2人の強いお気持ちで強行されたもの。
更に「私たちは指摘な海外訪問はしたことがない」発言。これは東宮バッシングが激化していた当時でも物議を醸しましたがこの年の誕生日ではこんな逆ギレ発言を
これがきっかけになり2年後のカナダ・アメリカ訪問からは文章解答になり、さらに平成27年のパラオ訪問からはその文章解答すらなくなりました。
会見のスタイル一つからもJK夫妻のブレブレな気質が分かりますね。