アキシンの妄言検証シリーズその1「キーコ様妊活ご遠慮説」
アキシン界隈で垂れ流される妄言の数々を検証する企画
今回は「キーコ様妊活ご遠慮説」を取り上げてみたいと思います。
内容は「キーコ様はしか子様出産以降雅子さまにご遠慮されて10年以上産児制限を強いられた」という内容で、KK問題以前からあるアキシン系ブログでまことしやかに語られてました。
実際の流れを辿ると
1994年12月29日キーコさま鹿子さまご出産
2001年12月1日雅子さま 敬宮さまご出産
2006年9月6日キーコさまヒサ君ご出産
鹿子さまからヒサ君までの間が12年のブランクがありましたが、正直何処からその説が出たのか調べたらこんな記事が
基本的に皇室は序列が厳格なので「皇太子妃だった雅子皇后に懐妊の兆しがないのに二人目なんて・・・」という仕打ちを受けたというのがアキシンの主張みたい。
出産まで序列関係に沿わなければ行けないのか?
過去の妃殿下のご出産を辿ると
①戦後の妃殿下の場合
(ミテコ皇太子妃)
1960年2月23日 浩宮徳仁親王ご出産
1965年11月30日 礼宮文仁親王ご出産
(華子妃殿下)
お子様なし
華子さまの場合旦那様である常陸宮さまが生まれつきお体が弱くお子様が望めないかもしれないという事情があったので比較はできませんが、仮に常陸宮ご夫妻が妊活が可能だったとしても、義姉のミテコさまがご結婚一年足らずで親王ご出産というある意味幸運に恵まれてるので華子さまはミテコさまにご遠慮する必要性は皆無だったでしょうね。
(ただし華子さまの場合違う意味のミテコさまに対するご遠慮が必要でしたが・・・)
②戦前の妃殿下の場合
(良子皇后)
1925年12月6日 照宮成子内親王ご出産
1927年9月10日久宮祐子内親王ご出産
1929年9月30日孝宮和子内親王ご出産
1931年3月7日順宮厚子内親王ご出産
1933年12月23日継宮明仁親王ご出産
なんとご結婚から長男である現上皇さんご出産まで4人連続で内親王(そのうち久宮さまは1歳の誕生日前に早世)と中々男子に恵ませんでした。
そう考えると昭和天皇の弟宮家の妃殿下達(ただし百合子さまの場合は良子皇后より20歳年下と親子ぐらいの年の差なのであえて除外)はご遠慮を強いられたんじゃないかと思いますが実際は・・’
勢津子妃殿下 お子様なし
喜久子妃殿下 お子様なし
ご遠慮どころか皇室の存続に関わりますよね。しかも勢津子さまは現上皇誕生前に一度だけ懐妊の兆候がありましたが「皇后さまが男子が産まれないのに懐妊なんてけしからん」と叩かれたというエピソードは見た事はありません。(むしろA宮さまご誕生~ヒサ君ご誕生までの間40年近く内親王・女王しか生まれない状況だったので本気で皇室の危機を考えるなら「ご遠慮」とかなんて言ってられないでしょうね。)
なので伝統的に妃殿下が自分より格上の皇太子妃(皇后)にご遠慮して妊活を控えなければならないという説は当てはまらなくなりますね。
東宮夫妻に遠慮なんかナッシング
むしろA宮家は昔から東宮ご一家に対して遠慮の無い発言を繰り返してます。その代表例が喪中婚約の際のあの発言でしょう。
まだ昭和天皇の喪が明けない時期にまだ学生の身分の二人が学生サークルという内廷皇族しては余りにもチャラい出会いで婚約するだけでもイレギュラーなのに、まだお妃選びが難航していた兄上の今上陛下に「俺は何の苦労もしなくても嫁をゲットしたんだ、それに引き換え兄貴はモテないから(笑)」と言わんばかりの態度。もし当時SNSが普及していたら今のKK以上に大炎上する案件ですよ。
結論から言うと「宮妃が皇太子妃に対して妊活を遠慮しなければいけないという縛りは存在しない、むしろキーコさまは雅子さまや陛下に対して挑発的であった」という方が自然ではないでしょうか?
なおこの「キーコさま妊活ご遠慮説」に対してまだまだこんな説があるよ!って方はコメント欄までどうぞ。m(_ _)m