いじめ
私の小学生時代、一言でいうと6年間気づけばずっといじめにあってる記憶しかない。
全然しゃべらなかったわけじゃないが、空気感がずっといじめられっ子だったせいかクラス替えをしてもまた標的になっていた気がする。
今思えば一人っ子育ちで大人ばっかりの中で育った私は同学年に対して生意気だったのかなとか、周りからは変わっていると思われていたのかもしれないなとか、いじめにあうのが普通になってしまいそれが自分のキャラクターになってしまっていたのかななど思い返しても答えは見つからないが、ふとなぜだったのか思い出す時が今でもある。
幼稚園までは仲のいい子もいたきがするが、同じ幼稚園からの友達は誰もいなく心細い中入学したことは覚えている。でもいつからいじめられていたかという記憶が曖昧。
気付けば標的になっていたからだ、あの頃は誰かがいつもはばにされていて習慣のようなものがあった。今思えば自分が標的にならないようにみんな必死だったのかもしれない。
帰り道は一人だったし、グループや二人組を作るときにはいつもはばで一人残っていた。小学校3・4年生の時の担任の先生はそれを面白がって見ていた記憶があり。4年生になった時も同じ担任だと聞かされた時はこの世の終わりかと思うぐらいの絶望感だった。子供ながら屈辱的でその先生のことは今でも覚えているぐらい。
私に対するいじめは無視や意地悪を言われることだった。放課が大嫌いで保健室や図書館に一人で身を隠すように過ごしていた。小学生の10分は長く感じた。大放課と呼ばれる15分はそれはそれはとてつもなく長く感じていた。
今でも覚えてるのは一緒に話していた女の子がトイレと言いソワソワしながら私から離れていったので、子供ながら何か裏があるのだと思い後をこっそりつけていったら、他の子たちと遊ぶために離れていき私の悪口をその子たちに向かって話していたのだった。あまりのショックに授業が始まったにも関わらずトイレに閉じこもったこともあった。
母にも訴えていたが厳格な人なので自分に非はないのか、非がなければ戦ってこいと絶対に学校を休ませてもらえはしなかった。
このまま中学生になったらもっと状況が悪化するのではないかと考え行動にでたのだった。忘れもしない晴れた日の掃除時間だった。他の仲間がいないことを狙って一番の中心核的存在に『私が何をしたから無視をいつまでもされなくてはならないのか。』と詰め寄ったのである。
いつもとは全然違う弱々しい声で『〇〇ちゃんが言ったから・・・』と返ってきた。一人では何もできなかったのだ。そんな理由で私はこの6年間苦しんできたのかと思ったら気が抜けてしまった。その事件をきっかけ無視などはなくなった。もっと早く行動するべきだった。
子供には子供の世界があってみんな必死で自分の居場所を確保しよう大人の世界の縮小図のような世界で生きていると思う。そして大人に比べて子供は残酷であることも。その小さな世界が自分の全てで大人になったらそこに必死にしがみつかなくても色んな世界があることがわかるが子供には全く通じないだからいじめがなくならないのだと思う。
いじめはよくない。理論上ではなんとでも言えるけどその立場にならなければみえてこないことが沢山ある気がする。先生たちだって今思えば社会人で自分の立場を守りたい気持ちがあることがわかる。私の場合は行動して解決できたけど行動できない子だっているし中学生になればもっと悪質にもなるのではないかと思う。そして日本の本質的な部分がここには隠れている気がしている。
今のところ子供たちは友達もいてそれぞれ楽しく学校や園に通えているが自分が経験していることもありどうしても敏感になってしまう。男女で違いはあると思うが私は色んな個性がいる中でどうやってバランスをとれるようようになるのかただ見守るしかない母の気持ちやあの時『戦ってこい。』と絶対学校を休ませず我が子に負けてほしくないという気持ちを込めたこともようやくわかるようになってきた。