スタァライトと鍛冶

KEYWORDS:「星」「塔」「鍛冶」「冶金」「溶鉱炉」

はじめに

 本稿は、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」におけるモチーフ読解の一例を示すものである。本稿では、エリアーデ(1907~1986)の鍛冶師に対する宗教学的分析を補助線に、スタァライト作中でのモチーフについて鍛冶の文脈との類似を指摘し、また鍛冶の文脈に沿った読みが可能であることを提示する。

 本稿が示す鍛冶とスタァライト的モチーフとの類似、並びにその読解は、あくまでエリアーデを導線とした場合にそのような読みが可能であるという方法論を述べるものであって、スタァライトのモチーフが鍛冶・冶金を前提しているということを主張するものではない。ただし、愛城華恋の再生産バンクにおいて製鋼における圧延工程の描写があるように、スタァライトにおけるいくつかの演出が鍛冶・冶金から来ていることは否定できないであろう。

 本稿の目的はスタァライト作中のモチーフ読解アプローチについての前例となることであって、読者諸賢が各々の専門分野・関心分野においてモチーフ分析を行う際の参考に資することを第一義とする。

 また、本稿の作成にあたっては多くの方のおかげをこうむった。個別のお名前を列挙することは差し控えるが、特にスタァライト学会の皆様にはこの場を借りて御礼申し上げる。

最初に本稿で頻出する用語の定義と、諸用語の簡単な説明を述べる。

スタァライト:特に指定がない場合、TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」、映画「少女☆歌劇 レヴュースタァライト 再生産総集編ロンド・ロンド・ロンド」、映画「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」の三作品を指す

TV版・TVス:TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」

劇ス:映画「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」

鍛冶:金属から種々の道具を作る行為の総称。

冶金:鉱石から各種の金属を精製・加工することの総称。狭義では有用な合金を作ること。


また、本稿において読解の導線としたのは、『エリアーデ著作集 第五巻 鍛冶師と錬金術師』である。また、その他の参考資料、並びに発想の助けとなった書籍は本稿の最後に資料一覧として掲載する。


1.多様なモチーフ

 スタァライトには多様なモチーフが登場する。それらの多くは物理的な「モノ」であるが、広い視点で捉えると「色」や「数字」などもモチーフとして演出の中で繰り返し使用されていることが見て取れる。以下に、筆者が容易に発見できた範囲で主たるモチーフを列挙する。順序は単に列挙する都合上の物であり、モチーフとしての重要度を反映したものではない。

・「塔」
・「東京タワー」
・「星」
・「9」または「99」
・「赤と青」
・「炎」
・「列車/電車」
・「線路」
・「光」特に十字光を含む
・「舞台」
・「王冠」
・「ピエタ像」
・「十字架」
・「鳥/ひよこ」
・「階段/大階段」
・「エレベーター/昇降機」
・「T」または「ポジション・ゼロ」

 これらすべてのモチーフを統合的に包摂した説明は現実的ではない。のみならず、これらは多くの出典から切り出されミクスチャされたものであり、画一的な読解を行うことはかえって誤った理路を辿る可能性が高い。本稿では上記にあげたようなモチーフの中で、特に「星」に注目して鍛冶の文脈で読解することを試みる。


2.「星」の分解

 まず、「星」のモチーフ自体に注目したい。言うまでもないことではあるが、スタァライトはStarlightであるから、直訳すると「星の光」である。戯曲『スタァライト』についても、作中で“星の光に導かれる女神たちの物語”とされている。ここには、「星の光」が単なる光源であるだけでなく、他者を「導く」象徴として扱われていることが読み取れる。

 また、作中における「スタァ」、「トップスタァ」は、舞台における最高の称号、もっともキラめいた舞台少女へ送られる尊称であり、99期生の目指す所である。

 つまり、作中での「星」、「スタァ」は複数の意味が重複した単語である。これらの意味を一つずつ分解すると、以下のようになる。

・目指すべき頂点としての「スタァ」
・光を放つ象徴としての「星」
・物理的な意味での「星」

 「スタァ」は厳密には「星」と異なる概念である。実際に、作中では「トップスタァ」、「輝くスタァ」と表現されており、「星」とは区別されている。「スタァ」はあくまで、演劇や舞台少女という概念に含まれるものである。他方で、「星」は戯曲『スタァライト』に包摂される概念である。作中での扱われ方を見ると、現実に具体的な目標として存在するのが「スタァ」であり、より抽象的・象徴的で曖昧な概念が「星」である。キャラクターに当てはめると、天堂真矢が「スタァ」・「トップスタァ」を体現するのに対して、「星」は愛城華恋・神楽ひかりの領域にある概念である。

 本稿では「星」のモチーフの読解を試みているから、「スタァ」については詳しく触れないこととし、諸賢の読解に委ねたい。

 さて、先に述べた通り「星」は二通りの意味を持っている。これ以降は、光を放つ象徴としての星を「象徴の星」、物理的な意味での「星」、つまり惑星や流星などの宇宙空間に実際に存在する星という意味での「星」を「現実の星」と呼んで区別する。

 「象徴の星」は、作中で繰り返し登場するモチーフである。一例として「星のティアラ」や、愛城華恋の口上、“星屑あふれるステージに”における「星」も、「象徴の星」である。しかしこれは、「現実の星」が作中でまったく意図されていないということを意味しない。戯曲『スタァライト』における「星摘みの塔」は、明確に天に輝く星、「現実の星」を意図している構造物であるし、ゆえに高さが重要な「塔」という概念が埋め込まれている。

 繰り返しになるが、「星」は単一の概念ではない。「象徴の星」と「現実の星」は重なり合っており、明確にどちらかに分けられない場合もある。星見純那の口上“人にはさだめの星がある 綺羅星 明け星 流れ星”が好例である。“さだめの星”は「象徴の星」であるが、その後に続くのはどれも実際に宇宙に存在するという意味で「現実の星」である。しかし同時に、それらには星見純那が見上げる「象徴の星」としての意味が付与されている。

 では、ここまでを踏まえて「星」をエリアーデ的に読解していく。


3.星と石と鉄

 「現実の星」について考えると、「星」とは「石」である。例えば月や地球、あるいは流星などは、いずれも「石」である。地球、火星などは岩石型惑星(個体惑星)に分類される。太陽、木星などはガス惑星であるが一旦ここでは木星は置いて、太陽は恒星である。これは「石」ではない。「光」である。つまり、「現実の星」について考えると、「石」と「光」に分けて見ることができる(木星はガス惑星であるが、個体の核を持つので「石」だと言えるかもしれない)。これは「現実の星」と「象徴の星」に対応させることができる。

 そこで、「石」として「星」を考えてみたときに、エリアーデの指摘がにわかに存在感を増してくるのである。

 以下、引用は特に断りがない場合は全てエリアーデの『鍛冶師と錬金術師』からである。ページ数を引用の後に示す。

鉄を含む鉱石を用いる方法を学ぶ以前には、未開民族は永いあいだ隕石の鉄に手を加えてきた。さらに先史時代の諸民族は溶鉱法を発見する以前にはある鉱石をそれが石であるかのように扱った、つまり鉱石を石器を作るための原料と見なしたということが知られている。

p19

ある文化では、人々が空は石でできていると考えた時代があったし、今日でさもオーストラリアの原住民は天空の穹窿は水晶でできていて、天空神の玉座は石英でできていると信じている。

p17

古代オリエントの諸民族もおそらく同一の観念を共有していた。鉄を指示する最古のことばたる、AN.BARというシュメール語は「空」と「火」の象形文字からなっている。それはふつう、「天上の金属」もしくは「星の金属」と訳される。

p20

 ここから、天上の石、すなわち隕石はそこから鉄を取り出せることから「天空の鉄」であり、「石」は「鉄」と同一視されたことが見て取れる。「星」は「石」であり隕石を通して「鉄」になるのである。どうやって? 「鍛冶」によって、である。

銅や青銅とは違って、鉄の冶金術は非常にすみやかに工業化された。ひとたび磁鉄鉱あるいは赤鉄鉱を吹きわける秘密が学ばれる(ないしは発見される)と、鉱床は豊富で採掘は容易だったから大量の金属を獲得するには何の困難もなかったのである。しかし地下の鉱石の処理法は、それが銅と青銅の溶解とも異なっていたように、隕石の鉄の処理法とも異なっていた。

p22

 鉄は隕石的起源のものであれ浅い鉱床から得られたものであれ、第三千年期にはメソポタミア(テル=アスマル、テル=チャガル=バザル、マリ)、小アジア(アラカ=フユク)において、そしてたぶんエジプトにおいても(フォーブス、四一七頁)知られていた。

p22

隕石に固有の天上的な聖性に加えて、鉱山と鉱石によって分有された地上の聖性がいまや存在するのである。

p23

 古代、鉄は聖なるものであった。その聖性は主に隕石が「天上の」ものであることに由来していたが、後に鉱石からも鉄(この場合赤鉄鉱ヘマタイト)が採取可能であることがわかってくると、鉄の聖性は「地上の鉄」にも拡大したのである。

天の穹窿から堕ちたのであれ、大地の臓腑から摘出されたのであれ、鉄はまだ聖なる力によって充填されていると考えられた。

p27

 「星」が「石」を介して「鉄」と同一視可能であるならば、その「石」はさらに地上の「鉱石」とも重ね合わせて見ることが可能なのである。鉄が神聖なものであるという感覚は現代の我々にとっては馴染みがたいものであるように思われる。しかし、馬の蹄鉄が幸運のシンボルと見なされたり、悪い霊や悪魔が鉄を嫌うという伝承は珍しいものではない。それらは全て鉄、並びにそれを成形する鍛冶という営みの聖性を背景にしているのである。

 では、ここで「鉱石」を生み出す「大地」に目を向けてみたい。


4.大地、山、塔

 「塔」はスタァライトにおける、最も重要なモチーフの一つである。戯曲『スタァライト』においてフローラとクレールは「塔」に登る。また、「塔」に幽閉されている女神たちが登場するのみならず、同戯曲は“星の光に導かれる女神たちの物語”である。女神たちこそが物語の核を成しており、「塔」はその女神たちがいる「場」なのである

 「塔」のモチーフについて簡単に読解しておきたい。作中での扱われ方を見るに、スタァライトの「塔」は明らかにタロットの大アルカナ「塔(The Tower)」を元にしている。塔のアルカナはタロットにおいて、正位置・逆位置の両方で悪い意味を持つ唯一のカードである。なお、番号は16、次のカードが17の「星」のアルカナである。塔のアルカナは多くの暗示を持つが、スタァライト的文脈では特に「悲劇」と「記憶喪失」を示すカードであることを指摘するに留める。

 さて、ここで別の角度から考えると、「塔」とはその高さが本質である。いわば、人工的に再現された「高さ」なのであり、その反対物は自然に造形された「高さ」であると考えてみても不自然ではないだろう。「山」である。山岳、ここでは特に「鉱山」を示しておきたい。仮に、「塔」を「鉱山」と重ねて見た場合、その中には当然「鉱石」があることになる。また同時に、エリアーデが指摘する通り「鉱石」を生む大地(鉱山)は大地母神信仰と結びついている。

第二群の信仰、つまり大地の子宮における鉱石と石の出生の信仰はとりわけ注意するに値する。

p51

永い間、金属が鉱山の胎内で成長するという観念は西洋の著述家の鉱物学的な思索において主張された。「金属的な物質は」とカルダンは書いた、「山に対して樹木にほかならず、根、幹、枝および葉をもっている」。

p52

鉱山は活発な採掘期間ののちには休むことを許された。大地の子宮たる鉱山は新しい鉱石を生むための時間を必要としたのである。プリーニウス(『博物誌』三四の四九)はスペインの方鉛鉱の鉱山は一定の時間後に「再生した」と述べた。同様の報告はストラボン(『地理学』五の二)にも見出され、十七世紀のスペインの著述家バルバもまた言及している。疲弊した鉱山は適当に封鎖され、十五年間休息させられるならば、その鉱床を再生することができるというのである。何となれば、とバルバは言い添える。金属は世界の始まりに創造されたのだと考える人々は大いに間違っているのであり、金属は鉱山のうちで「成長する」のであるからだ。

p53

 にわかには信じがたい話であるが、「鉱石」は母体である「鉱山」の中で再生するのである。実際によく似た事例がスウェーデンで報告されているので引用する。これはエリアーデではなく、冶金学者の永田和宏が著書で紹介している内容である。

鉄鉱石は10年で再生するという。スウェーデンボルグは34年で再生すると述べている。この再生機構は、湖底から湧き出る地下水に鉄分が含まれており、寒いフィンランドの湖で冷却されて酸化鉄が析出する。

『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』p46 永田和宏 2017

 むろん、エリアーデと永田はそれぞれ異なる視点から述べている。エリアーデの指摘は宗教学的な視座から「大地母神である鉱山と石の多産性」の観点でなされたものであり、永田が著書で述べているのは湖から採れる湖鉄鉱の話である。だが、共に「鉱石の再生」を示しているという点は大筋を外していないだろう。

 つまり、「山(鉱山、大地)」は「石(鉱石、宝石)」を生むのである。「塔」を「山」の高さの人工的置換物として見るならば、これは興味深い類似である。「星摘みの塔」に登ることで摘む「星」とは、「石」であると考えれば、「塔に登った者が星を摘む」という構図はそのまま、「山に分け入った者が鉱石を掘り出す」構図と一致するのである。

 なお、この「高さ」の重要性という点では「塔」と鍛冶の「炉」の類似を指摘することもできる。先に引用した永田によれば、炉の高さはそこで精錬される金属(鉄)の内容と強く関連するのである。高品質・大規模な製鉄(製鋼)には、より高い「炉」が必要である。加えて、エリアーデも鍛冶師の炉について以下のような記述を行っている。

中央インドのいくつかの原住種族に結びついた一群の神話はアスール族の鍛冶師の物語を教えてくれる。ビルホル族によれば、アスール族は鉄を溶解した地上最初の人々であった。しかし炉から立ち昇る煙が至高存在シング=ボンガを悩ましたので、彼は急ぎ使いの鳥を送りだして、彼らの仕事をやめさせるべく仲間に加わらせた。アスール族は冶金術は気に入りの仕事なのだと応え、使者を切り刻んでしまった。そこでシング=ボンガ自身が地上に降りてきた。彼は気づかれずにアスール族に近づき、説き伏せて炉のなかに入らせ焼いてしまった。アスール族の寡婦たちは自然の精霊になるというのが結末である。

p76

 エリアーデの文脈において、「炉」は煙を出す機構である。スタァライトの「星摘みの塔」のモデルが豊島清掃工場の「煙突」、すなわち煙を出す「高い」構造物であることは広く知られるところである。

 また、鍛冶と「塔」の類似を塔の女神たちが武器を携えていた理由として見ることも不可能ではないだろう。つまり、女神たちは鍛冶神であり、それぞれの象徴として武器――つまり鍛冶の成果物――を持っているのである。

 ここまでで、「現実の星」を「石」と「光」に分解し、「塔」を「山(大地)」と見立てることによってスタァライトのモチーフが鍛冶と結びつくことを説明してきた。次に、「石」についてもっと深く掘り下げてみたい。スタァライトには、「石」の裏に隠されたモチーフが存在するからである。


5.隠されたモチーフ

 「星摘み」は、「星」を「摘む」ことである。ところで「摘む」という動詞が示す通り、「星摘み」という言葉の中では「星」は「花」と同一視されている

 これは極めて重大な点である。作中において、「花」のモチーフは演出にほとんど使用されていない。例えばTV版6話での「約束のレヴュー」では花が散る演出が見られ、レヴュー曲の中でも“花咲かせ”と「花」の言葉が組み込まれている。また、レヴュー決着後、香子が「もう一花咲かせ」ることについて語っている。加えて、劇ス「怨みのレヴュー」で香子と双葉が落下するのは桜の花びらの上である。

 しかし、「花そのもの」はモチーフになっていないのである。演出上「花びら」が舞うことはあっても、「星」や「塔」のように象徴的に「花」が描かれることはない。にもかかわらず、スタァライトの公式グッズには花を図案化した模様が使用されている。一例として筆写が所持している「映画上映1周年記念! ロングランありがとうオンラインフェア非売品ブロマイド」の写真を示す。


「映画上映1周年記念! ロングランありがとうオンラインフェア非売品ブロマイド」

 香子と双葉の背景に図案化された「花」が見て取れる。また、香子の右上には図案化された「星(光)」も確認できる。なお、ブロマイドが置いてあるのは筆者も寄稿した『舞台創造科3年B組 卒業論文集』であり、公式アイテムではない。

 さて、このように「花」は「星」と並ぶモチーフである。ところでこの「花」と「星」は「フローラ」と「クレール」に対応しているはずであるから、キャラクターに焦点を当ててみると別の見方ができるのではないか。

 9人のうちで、名前に「花」を持つキャラクターが2人だけいる。愛城華恋(華)と花柳香子(花)である。そして、この2人に対応するのが神楽ひかりと石動双葉である。「星」の要素を分解した際のことを思い出すと、この2人は「光」と「石」であり、「星」の持つ二つの側面を名前に含んでいる。「華/花」との組み合わせを考えると興味深い一致である。

 また、石動双葉は名前に「石」を持つが、先述した通り「石(鉱石)」は「鉄」と同一視でき、ゆえに鍛冶と繋がるのである。女神たちを鍛冶神と見る場合、双葉が殺陣、すなわち武器の扱いを得意とすることとの接点を考えることもできるだろう。

 ところで、ここまで「星」の「光」については特に言及してこなかった。鍛冶との結びつきがあるのは「現実の星」、「星」を「石」として見た場合の話だからである。「現実の星」の「光」の部分はむしろ「象徴の星」に近い概念である。「星」というモチーフの二面性から、「光」の側面についても簡単に触れておく。

 一例として、TV版における天堂真矢の口上は“月の輝き~”である。月が輝くのは太陽の光を反射しているからである。ところが劇スにおいて西條クロディーヌは“月の輝き”を“憐れな幻”と断じている。これに対して天堂真矢が返した新たな口上は“天上天下唯我独煌”であった。このとき、天堂真矢の背後にあるセットは太陽である。つまり、魂のレヴューでの天堂真矢は月のように「光」を反射する存在ではなく、自らが輝きを放つ存在へと変わっていくのである。「星」を「石」と「光」に分割したとき、「光」は「象徴としての星」としてだけでなく、「光」という独立したモチーフとして、そこに新たな二面性(反射光と発光)を備えているのであり、その後者、「発光」を作中で象徴しているのが「太陽」なのである。戯曲『スタァライト』で繰り返される“星摘みは夜の奇跡”というフレーズが端的に示す通り、スタァライトは「夜」の物語である。「太陽」は「夜」の終わりを示し、卒業をテーマとした劇スで「月=反射光」が「太陽=発光」へと切り替わるのはその象徴性ゆえであると解釈できる。

 そして、太陽はそれ自体が燃える「火」である。「火」は鍛冶において欠くことのできない象徴であるから、愛城華恋の再生産について、エリアーデを参照しながら読み解いていく。


6.溶鉱炉と再生産、火の業としての鍛冶

 エリアーデは、鍛冶師を「火の親方」であると定義する。

錬金術師は鍛冶師同様に、それにまた鍛冶師に先行する陶工同様に「火の親方」である。彼がある状態から他の状態への物質の移行を統御するのは火によってなのだ。

p93

それゆえに、火は世界を改変することが可能な、だからこの世界に帰属しない呪術―宗教的な力の顕現だったのである。このことが大多数の未開文化が聖なるものの専門家――シャーマン、呪医、呪術師――を「火の親方」とみなす理由である。

p94

 つまり「大地母神の子宮」である「鉱山」から「石(鉱石)」を取り出し、それを「炉」という人口の子宮によって成長させる鍛冶師は、自然が極めて長い時間をかけて行う「鉱物の成長」という操作を「火」によって制御し短縮している、ということである。

 それゆえに、鍛冶師の「炉」は儀礼的・神秘的な存在である。エリアーデは炉に対する人身供犠の伝承を紹介している。

「男と女である莫邪ばくや干将かんしょうは一対の剣である。それらはまた夫婦であり、鍛冶師の『家族』でもある。夫の干将は二ふりの剣を鍛えるよう命を受けて仕事にかかったが、三か月努力しても金属を溶解することができなかった。失敗の理由を聞き出そうとする妻の莫邪に、夫は初めいいぬけの返答をした。彼女はいいはって、(金属のような)聖なる物質の変形はその完成のために人間の供犠を要求するのだということを夫に思い出させる。(中略)莫邪は、夫に彼の身体を溶解してしまうつもりがあるなら、彼女も炉に身体を与える心用意があると言明した」(グラネ、五〇〇頁)。彼らは髪を断ち爪を剪った。「彼らはともども炉の中へ髪と爪の切り屑を投げいれた。彼らはすべてを与えるために部分を与えたのである」(同書五〇一頁)。

p72

溶解時における供犠(もしくは自己供犠)という主題は、人間(あるいは夫婦)と金属との間の神秘的結合という観念に多少とも関係している神話―儀礼的モチーフであり、とりわけ重要である。この主題は形態学的には創造のために要求される供犠という大きな系列に関係すべきものである。

p72

 ところで、愛城華恋が再生産するとき、彼女の髪留めが落ちるのは「溶鉱炉」である。


劇ス公式HPよりhttps://cinema.revuestarlight.com/

 つまり、華恋が髪留めを炉に落としているのは、エリアーデが指摘する「炉に対する人身供犠」なのである。髪留めは「部分で全体を表すメタファ」であり、愛城華恋を溶解することによって、そこから再び新しい愛城華恋を作り出している。だから「再生産」なのである。他方、劇ス冒頭では髪留めは溶鉱炉に落ちない。よって再生産は起きないのである。

 これは同時に、劇スにおけるキリンがなぜ「燃料」であったのかを説明する。トマトを食べるという行為から、舞台少女の血肉として「舞台を作る材料」とすることも可能だったはずである。しかしキリンは「舞台に火をともす燃料」として燃えた。エリアーデに沿うならば、それは「火」が世界を改変する力を持っているからである。愛城華恋の再生産のためには、「火」が必要なのである。それが端的に現れているのが、“燃やせ燃やせ 燃やし尽くして 次の舞台へと”という歌詞である。あの場面で、愛城華恋は過去の自分を燃やしている。だから再生産が起きるのである。燃焼することで自らが光を放つのは、太陽同様に「火」であり、それは反射光に頼らない「スタァ」である。

 鍛冶・冶金とは「火」の営みである。「星」が「石」であり「鉄」であるのなら、そして「塔」が「山」であり「炉」であるのなら、スタァライト的モチーフの多くの部分を鍛冶・冶金の文脈によって説明できるのである。例えば、戯曲『スタァライト』において、またTV版「悲劇のレヴュー」においてフローラ/華恋が塔から落ちるのも炉に対する人身供犠として読むことが可能であるし、その反対に「塔=炉」に幽閉されるクレールと女神たちこそが人身供犠の捧げものであると解釈することもできる。余談であるが、TV版において神楽ひかりが大場ななに追い詰められ逆転勝利する孤独のレヴューにおける舞台セットも、倫敦大火、つまり「火」であるし、その後の第二幕のレヴュー曲は「華、ひらくとき」である。ここにも「火」による変成が見て取れるだけでなく、「花/華」のモチーフが隠されている。愛城華恋という「華(花)」が「溶鉱炉(火)」によって「鉄(石=星)」として扱われることによって再生産するように、神楽ひかりという「光(=星)」も「火」によって再生産して「華(花)」と一体化するのである。

自分自身のなかに火を起こすことは人が人間の条件を超越してしまっている徴である。

p94

 「火」によって変成し再生産することは、鍛冶・冶金の象徴であり、また人を超越した者、すなわち「神」に近づく行為である。ゆえにこそスタァライトは、“星の光に導かれる女神たちの物語”足り得るのである。


7.付録:鍛冶師の両義性と露崎まひる

 最後に、エリアーデに沿ったもう一つの読解を紹介して本稿を終えたい。

 鍛冶・冶金は、鉱石から金属を精錬し、それを道具として加工する技術である。

 古来、鉄は隕鉄から得られた。それゆえに「天上の金属」として神聖なものであったことは既に述べたとおりである。そして、エリアーデによれば、この「鉄の神聖さ」という観念は、地上の鉱床から鉄が得られるようになっても持続した。

 そこで問題になるのが、鉄を扱う「鍛冶師」の立場である。鍛冶師もまた神聖な存在として扱われることになる。鍛冶師の使用する道具までも聖性が付与されるのであり、それは鍛冶師の使うハンマー(鎚)が神話において神の道具として扱われることにも表れているとエリアーデは考えている。

 しかし、鍛冶師は単に神格化されただけではない。むしろ悪の化身としても神話に描かれるのである。エリアーデはこの両義性アンビヴァレンスについて、鍛冶師が鉄によって農耕の道具(農具)と殺傷の道具(武器)の両方を作ることを理由に挙げている。

 つまり、鍛冶という営みは、人々に豊穣をもたらすと同時に、人を殺傷する手段を提供する、というのである。

冶金術は農耕――これもまた大地母の多産性を前提にしている――と同じくまさに信頼と矜持の感情を人間に与えた。人間は自分が自然の仕事の協働することができ、大地の胎内で起っている成長の過程に手助けできるのだと感ずる。(中略)パンを焼くように我々は金属を作る。

p54

 ここで思い出してもらいたいのが、露崎まひるである。まひるがレヴューにおいて振るうのはメイスであった。なのである。また、彼女は農家の娘であり、作中でも露崎ファームから野菜が星光館に送られる。これだけでは不足だというのであれば、スタリタを思い出してもらえばよい。まひるはスタリラのなかでイシュタルの衣装を纏うが、それは古代ヒッタイトにおいて「豊穣と戦争の女神」なのである。イシュタルは鍛冶神ではないが、イシュタルが信仰された地域は、同時に人類が初めて製鉄を行ったとされる地域と重なる。すなわち、アナトリア半島、古代ヒッタイト帝国であり、さらにその以前のプロト・ヒッタイト人が製鉄を発明したと言われている。イシュタルを象徴する星は金星、すなわち「明けの明星」であり、これは夜の終わりを示す。まさしく“夜が明けてまひるになるよ”である。

 露崎まひるというキャラクターには鍛冶師の持つ両義性――豊穣と殺傷――が見事に一致している。エリアーデに沿うことで、このような読解も可能になる。


おわりに

 当初、本稿はスタァライト学会に向けた資料として準備した。とはいえ、学会発表の場での十分少々でこの内容すべてを説明するのは不可能であるから、補足的に、より詳しい内容を記したものとして読んでいただければよろしいだろうという考えであった。

 しかし、実際に書き出してみるとエリアーデの記述を紹介するだけでもかなりの文量を要してしまい、またあれこれと詰め込んだせいで論が散漫になってしまった感は否めない。

 諸賢には筆者と同じ轍を踏まないよう、一つの失敗例となれば幸いである。

 本稿の内容は、次回のスタァライト学会第3回大会で簡潔な形にまとめ直して発表予定である。スライドを使用して会場での発表となるか、ポスター掲示での発表となるかは未定であるが、よりブラッシュアップしてスリムなものをご覧に入れられればと思う。

 また、最初に述べたとおり本稿はスタァライトにおいて使用されるモチーフに対してどのように接近するかという先例を目指して記述した。学会員のみならず、諸賢には各々の知見を活かして新たな考察を生み出していただきたい。加えて、本稿の内容について疑義や質問などがあれば筆写のTwitterアカウント@azurite_mitoにご教示いただきたい。本稿の執筆は2024年11月初旬である。第3大会は2025年10月であるから、筆者も自身の考察を精査し、諸賢も独自に考察を行う時間的猶予は充分に残されている。

 以上で本稿を終わる。


資料一覧

『エリアーデ著作集 第五巻 鍛冶師と錬金術師』
著:ミルチャ・エリアーデ
訳:大室幹雄
発行所:株式会社せりか書房
発行日:1973年10月1日 第1刷 1993年12月25日 第5刷

『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』
著:永田和宏
発行所:株式会社講談社
発行日:2017年5月20日 第1刷 2018年1月12日 第5刷

『錬金術――仙術と科学の間』
著:吉田光邦
発行所:中央公論新社
発行日:2014年7月25日 初版発行

『魔法 その歴史と正体』
著:カート・セリグマン
訳:平田 寛
発行所:人文書院
発行日:1991年7月20日 初版第1刷発行 2016年10月10日 初版第6刷発行

『舞台創造科B組 卒業論文集』
発行者:さぼてんぐ
企画・編集:さぼてんぐ+りーち+月嶹ぽらる+いのこり(劇ス卒論合同制作委員会)
発行日:2022年10月10日


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