美術を鑑賞する
札幌芸術の森美術館の協力員を始めた。市内の小学校5年生への「ハローミュージアム」という「対話による鑑賞」を支援する協力員だ。
ほとんどの子どもたちにとって、美術館は初めてくる場所。美術作品には図化工作ぐらいでしか接したことがない可能性が高い。
美術館は静かに一人で作品に対峙し、内省する場所と考えている人は多いと思う。私もそうだった。
しかし、「対話による鑑賞」では、作品を鑑賞する、というよりは、作品を見て感じたこと、考えたことを仲間と共有し、さらに話が発展し、膨らむことを目的とする。作品はあくまでも素材で、みんなの力も借りながら作品を自分のものとしていく。
研修は受けた。基礎的なノウハウはわかったつもり。しかし、この「対話による鑑賞」で、どうやったら初めて出会う子どもたちの言葉を引き出せるのか、悩み、迷っていた。
ー私が子どもだったら、初めてあった人に自分の考えや思いを伝えるだろうか・・・。どうやったら伝えたいと思うのだろう?
そんな時、川内有緒さんの「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」(集英社インターナショナル)を手に入れた。
「目の見えない白鳥さん」と目が頼りの美術鑑賞??
それは、究極の「対話による鑑賞」だった。
「目の見えない白鳥さん」の美術鑑賞に同行するあっちゃん、マイティやそのほかの晴眼者は、作品を見てみえるもの、感じること、思い出すことを口にする。話しているあっちゃんやマイティたちも、他の人たちが口にする言葉から、自分に見えていないもの、あるいは、見ていたはずのものが別のものに見えてくる。
ー面白いと思い始めたら、話したくなるのかも。
白鳥さんの美術鑑賞をまねて、子どもたちの「対話による鑑賞」では、まずは、自由に見えるものを言ってもらうことにした。あっちゃんやマイティたちの役割だ。
美術館に学校から(無理やり)連れられてくる子どもたちに、色、形など、まずは口にしやすい言葉を言ってもらう。
そのうち、その場の雰囲気に慣れてくると、本の中のあっちゃん、マイティたちのように話が膨らんでいく。思わぬ意見や発見が出てくると触発されて、手を挙げて発言したくなる子どもたちもでてくる。
作品1点だけでも、じっくりと見ているといろいろな発見がある。「見えるもの」のあとには、「見えないもの」も想像してもらう。場所、温度、時間、匂いや、この作品の前後の出来事、自分ならどんなものを書き足すかなど。なんだか子どもたちの自由な発想と共に作品で遊んでいるみたい。
白鳥さんもあっちゃん、マイティたちとこんな風に美術館の作品を通して作品の世界で遊ぶのが楽しいのかもしれない。
私は、今はまだ、子どもたちに作品を楽しんでもらえるようにするだけで手一杯だけれど、私自身がもう少し自由な発想で「みる」ことができるようになったら、自分の仲間とも「対話による鑑賞」をしてみたい。
そして、まだその機会はないけれど、いつか白鳥さんのように目の見えない人たちとも「対話による鑑賞」を一緒に楽しんでみたい。
美術館って、シーンと静かに作品を見て内省するだけの場所ではなく、仲間との関係性を深める場、仲間の力を借りながら、自分の発想を深める場でもあるんだと再発見。