イルカショーで号泣した
ほんとにそのまんま。祖父母が目の前で動画を撮りながらケラケラと笑っているなか、涙が止まらなかった。なんで泣いてるのかは分からなかったけど、それから気分が落ち込んでしまって、なにか後ろめたいことがあったから泣いたんだな、と。それだけしかわからなかった。
イルカショーは楽しくも面白くもなかった。シロイルカに乗ることの覚悟を感じた。それだけだった。
今思ったけど、イルカは私が嫌いな奴みたいだ。扱いが大変で、関わることに勇気がいるやつ。でも覚悟してぶち当たると、周りの人に褒められる。そんな感じ。それに近い。いや、そういう人間とのかかわり合いをパフォーマンスと同じにするなと思うかもしれないけど、イルカショーはイルカからしたらパフォーマンスじゃない。
その嫌いな奴は、発達障害らしかったけど、診断されてないからそいつの親も先生も「だろう」としか認識してなかった。でもそうやって健常者と言われる、この社会ではある程度難なく生きていける人間の群れの中に入ると、やっぱり目立つし、嫌がられた。私だって嫌だ。これは別に差別じゃない。嫌いなのはあいつ個人で、同時に同情というか、申し訳ない気持ちもあった。それは多分、障害という大きな隔たりのせいで、彼のことを全面的に拒否してしまっているから。彼は必死に生きているのに、その生き様を否定するような形になってしまっているから。
イルカショーのイルカも、そういう腫れ物扱いされている人間──私も含めて──も、本当にただ真面目に生きているだけ。でもイルカにはショーというものが、人間には学校や仕事や金といった、後付けされた色んな価値観のせいで、それを根本的に理解できず、様々なすれ違いが生まれて、バカにしたり、笑いものにされたりする。私にイルカの気持ちはわからないし、私以外の誰かは必ず、私のことは分からないから。
でも、きっとそれだけが泣いてしまった理由じゃない。彼らも私も知らない、一面が水平線の大海原を想像してしまったのは覚えてる。それでさらに号泣した。その号泣の要因は、何となくわかる。でもそれ以外にも、種族の隔たりを超えて触れ合うことが出来ることとか、そういう事に、ある意味感動したんだと思う。
イルカショーは面白くなかった。私は結局イルカを二次元的に見て、まるで映画の登場人物のように捉えて、勝手に一人で泣いてしまった。何も、面白くなかった。
自分で面白くしようとしても、ただ悲しくて、苦しくなるだけだった。だから、これからは、正直に泣くし、嫌なものはもう見ないよ。
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