4月3日 写実画ってさあ

 午後からカフェに行きチーズケーキを飲み、春服を買った日でした。
 写実画の話なんだけど、今まで写実画に対して写真でよくない?という印象のものと綺麗だなあと思うものがあって、そこの違いっていかに「写実的か」なんじゃないかなあと…
 これはデッサンの起源というか根本的なところの話になるんですが、デッサンで学ぶものっていかに存在を感じられるか、ってところだと思うんですよね。構成、構図、筆遣いと描画の密度と……、で、写実画はそれが上手いと言うより綺麗にできているんだと思います。どれだけ自分の目で見たものを投影できたとしても、絵のなかに自分のまつげも若干見える鼻先も描かないわけで、そこに自分が存在しているということ、或いはそこにものが存在しているということを理解させる為には、被写体の特徴を描いた方が手っ取り早いんです。漫画のデフォルメは最たる例で、鳥山明先生や手塚治虫先生はわかりやすい例だと思います。特徴をしっかり描きつつ、そこに存在している影や光やをしっかり描いている、これはデッサンが上手い、と言うに足りると思います。
 じゃあ写実画のデッサンが綺麗というのがどういうことかと言うと、漫画の逆、特徴ではなく雰囲気を描くんです。デッサンで言うところの固有色や、被写体の見えたままの姿を描きます。特徴をつかみさえすれば存在がわかる絵は抽象画やそれ以外のある程度写実的でないもので、存在を描けば特徴がわかる絵を写実がというのではないか……というのが私の勝手な推測。つまり写実的な絵は見たままのことを描くので、表現もへったくれもないようなイメージを抱くんです。ではここから、どうやって写実画の中で興味を抱くものが生まれるのか……というと、その存在をどこまで鮮明にして、あるいはぼかすかだと思います。

 例えば、ミレーの落ち穂拾い。至極簡単なことですが、背景はかなり抽象的に描かれているのに対して、主役は鮮明に描かれています。ただ、先程までに言った写実画の特徴とは全く違う視界なのです。そのままを描くのであれば、奥の方の描画はもうちょっと緻密なはずなのに、です。これが魅力的に見える写実画の特徴なのではないかなと。だって、ミレーの境遇を知らなければ、この絵は本当にただ、女性が何かを拾っている絵にしか見えないんです。それが構図、構成、描画、色合いによって魅力的に見えるんです。これは写実画に限らず、全ての美術における話なのですが、特に顕著に感じられる例が写実画だと思います。最近流行っているエモと同じで、ただの日常に味付けを少しするだけで鑑賞に値するものになる、直感的に何かをくすぐる、本能を感じるものに、人は惹かれるわけです。
 じゃあウケの悪い写実画ですが、もう、本当にただ、見たままを描くものだと思います。それ以上に何も無いです。ただ見たままだと、共感できず本能的な何かをくすぐられることも無く、ただ納得で終わる絵になるんです。だから写真でいいと言われる……んだと思います。うん。だからと言ってそういう写実がが悪い訳ではありません。最高の形で納得させられる、良い教材になるんです。自分個人のアピールは難しいかもしれませんが、被写体のアピールになります。かなり。宗教画や肖像画を考えれば一目瞭然ですよね…………

 ここまで書いたけどみんなわかってることを書いてる気がする。まあいっか。

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