3月29日 自由の話
やったことが自創作の漫画を15ぺージ進めたことだけなのでその話を…。
流石に描き終わらせようと思っている今描いている漫画、主に人にとっての自由のとらえ方と、それをめぐって異種同士がぶつかり合う、というのを描こうとしてるんです。異種というのはまあいろんな意味で…自由のとらえ方の違う人、見た目が違う人、年齢が違う人、価値観が違う人…、今はそういうものが尊重されとめどなくあふれた世界になっていますが、それを苦しいと思う人もいると思うんです。私もそうだし。尊重されているようで、それはあくまで「自由意志を持ち実行すること」のみであり、こう思うことが正しいです、とか、こう思うことはよくありません、という価値観の植え付けはいまだに存在しています。価値観の植え付け自体は昔からずっとそうですが、問題はそれが個々人に対してではなく、自分を取り囲む周りの人に向けて、という方向性だと思っていて、要するに昔の価値観の植え付けというのは、自身が生き延びるための手段に過ぎなかったと思うんです。しかし最近は生き死ぬこと自体に、人生に余裕が生まれて、自分のいいようにするために価値観を植え付ける、ということがある程度できるようになってきました。これが今の宗教団体の問題点であるともいえます。
今回描いている漫画の内容も大体そんな感じです。迫害され、奴隷として生きている異人種が、海を挟んだ別の大陸では神の子として崇められている。しかしどちらも価値観の植え付けで成り立っており、実際神の子でも何でもないし、迫害されるような理由もない。ただ、環境が違うだけで、ここまでにも差がある。
で、ここまで差や違いを強調しておいてアレですが、別に神の子として崇められることが幸せなわけではありません。普通を求めている人もいるし、調子に乗り過ぎて奈落に落ちる人もいます。ただ、今まで話してきて、明らかに「神の子である」方が幸せだし楽だと感じるんです。これは現代風に言うと「お金がある人は幸せ」です。しかし、お金があっても幸せじゃない人はたくさんいます。幸せの形は皆それぞれ違うからです。これは簡単そうに見えて、すごく難しい認識です。お金があれば何でも解決するが、あながち間違いでなくなってきたからです。
まず、お金というものに対して認識を深めるのが、だいぶ幼いころからになります。5歳ごろには円の単位を覚えたりして、小学三年生になると一人で買い物ができたりします。そして、中学生になると物欲が出てきて、今の社会だと課金したり、ゲーム機を買ったりを「したい」と思います。そしてこの時点で幸福に差が出て、また高校や大学に行くのにお金がある方が優位になり、またお金持ちに軍配があがります。ただ、その軍配があがるという表現自体がおかしいのです。勝ち負けなんてないのに、それが正しいと思ってしまうことが。
振出しに戻って。つまるところ、私が今回の漫画で大事にしていることは幸福の自由です。自由を縛るものが正負であること、しかしその概念がないと、すべては始まらないこと。しかしその縛られた自由さえも、縛りを飲み込み、自由の可能性を無限へと連れていくこと。つまり、正も負も紙一重である、ということです。確かに矢はたくさんあればあるほどいいですが、命中しなければ意味がありません。しかしある程度の矢を打ってしまわないと、そのためにかかった費用や時間が無駄になってしまいます。正に負はつきもので、必ずしも正が良いというわけではありません。正と負の真ん中、0という存在が、割とガチでこの世の全てなのです。でもこの真ん中が、一番認識しづらく、めんどくさいところでもあります。
私の作品は「そこにあるものを文章や図にして表現する」ものだと思っています。今回の場合、価値観やそれに対する自由。そうやって表現できるのは、私にそれを紐解くだけの余裕があって、今しかできないことなんじゃないかとも思います。絵というものは文でも図でもない中途半端なもんで、一番0に近い表現方法でもあるんじゃないかな、と…そう考えながら日々描いています。まあ漫画の前にネタバラシしちゃってるんですけどね。文で。
そんなこんなでぎすぎすした漫画を進めています!多分来年には描き終わってるはず。いつかネットに放流するので、その時はこっそり見てください。
以上。あと深夜に帰宅中車がパンクしてレッカー車頼んだ!そのまま10キロ歩いて帰った。もう二度とごめんだぜ!おやすみなさい
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