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名古屋市にある長者町繊維街の看板撤去される。

割引あり

こんにちはナズミロジックです。
みなさん長者町繊維街って知ってますか?
俺も伏見に行かない限り知りませんでした。
日本三大繊維街として名高い場所で名古屋におけるモーニングサービスもここから発展したとか言われてる。しかし、長者町にある繊維街問屋の組合が
解散し看板も撤去。ここは伏見駅、丸の内駅からも近く芸術イベントも行われた場所。一体、どんなところか調べてみた。

場所は名古屋市中区。住所は錦2丁目、栄2丁目、丸の内2丁目に相当する。大まかな区画は北は桜通、南は広小路通、東は本町通り、西は伏見通りの中にあると考えればよい。(中日新聞社では桜通、本町通、錦通(南側)、伏見通からなる16区画を定義とする。)交通のアクセスは名古屋市営地下鉄の伏見駅と丸の内駅が近所で本町通り以外は片側2車線の幹線道路となっている。伏見通,桜通は国道19号が走ってるため主要な道である。名古屋駅からも近く、名古屋の中心街である栄との間のためかなり便利な場所でもある。例の看板は長者町通にあり錦通には長島通と言う似た通りもあるためややこしい。
以下の通りができたのは清洲越しからの関係であろう。

長者町の歴史は古く清洲越しからある町だ。
もともと名古屋城作る際に名古屋城下の町として栄えた。長者町も北へ向かえば名古屋城。城下町だということがわかる。長者町は昔は上長者町と下長者町があり清洲時代の富豪が住んでいたから億万長者として長者町と名乗った。ちなみに隣に長島通、桑名通がありそれらは清洲時代に伊勢の長島や桑名から来たものが移住してそこに住み着いたからである。現在の三重県の桑名市と長島町(合併して桑名市長島町になる)場所である。
これらの通りの地名は区画整理によって消滅。裁判沙汰になるぐらい反対したけど廃止になったとか。現在では栄や錦、丸の内の一部になり古い地名は消滅している。現在には名残として残っている。
江戸時代には上長者町は武家の街として、下長者町は商人の街として発展した。何度も火災に見舞われたが復活を遂げたという。江戸の途中から歓楽街としても発展。明治、大正と芸者を抱え発展したとも。問屋街は大正末期から昭和の始まりに薄利多売、現金取引を開始したところ発展したとか。繊維街になったのは名古屋大空襲によって街が壊滅。しかし、商人は仮店舗で現金取引を再開。1947年に横井栄一氏が率いる中栄産業が商工省の許可を得て繊維の取引を開始。その後、任意組合を結成。ガチャマン景気(朝鮮戦争の特需により糸へんがつく産業が儲かる景気、決してガッチャマンと間違えてはいけない。)により歓楽街から繊維街に変貌を遂げたとか。その時、繊維産業で有名な一宮では取引先の商談やサボり場として喫茶店でのモーニングサービスが発展。もちろん取引先である長者町繊維街にもその制度が伝わり、名古屋といえばモーニングがここから発展したとか。
その後、長者町付近に名古屋で初となる東山線が開業。伏見町駅(現在の伏見駅)が最寄りで長者町まで人が来るように伏見地下街が開業、組合も作られた。今では名古屋で一番古い地下街になってるとか。
平成になり時代は変化。バブル崩壊や安価な中国製、ファストファッションの台頭により繊維問屋は軒並み廃業。市街地空洞化問題に直面する。
アートによる町おこしも行われ、2010年にはあいちトリエンナーレが開催。1回目の開催地はなんと長者町商店街であった。アートの街として商店街の復活を願った。しかし、時代は流れマンション建設ラッシュのあおりに飲まれてしまった。長者町商店街は西は名古屋駅、東は栄、北は名古屋城、南は大須などかなり立地の良い場所である。そのためか、廃業したビルを再開発の対象としてマンション建設にそそぐ。俺も成功すれば伏見の住むのも悪くないぐらいだ。そして、伏見駅は地下鉄東山線と地下鉄鶴舞線の乗り換え駅である。東山線は名古屋駅や栄に行くにはとんでもなく便利だ。鶴舞線は名鉄と接続しており、豊田市や犬山市に行くには直通電車も走っており便利な路線である。それにバイパスとして機能している桜通線が北に走っている。少し歩けば栄駅や久屋大通駅、名鉄栄駅、市バス・名鉄バスのバスターミナルまであるためかなり便利な場所でもある。そのためマンションの開発としては白羽の矢が立つぐらいだ。
そんなこんなで時代のあおりを受け残念ながら名古屋長者町組合は2023年を持って解散。看板の撤去に至ったのである。会員数も全盛期は100社ほどあったが最後に残ったのは17社。寂しいものになってしまった。ここは繊維の街であるため衣料品が安く売っていた。気になる方は行ってみるのもよいかもしれない。
しかし、趣のあるこの看板は撤去反対、寂しいの声が多く存在している。長年親しんできたあの看板がなくなるのも残念である。商店街のアーケード撤去並みに寂しいことであろう。
これは地元の新聞社ほか全国紙でも掲載されており、検索してみたら中日新聞、朝日新聞が取り上げていた。

実際、偶然撤去しているところに出くわした。
ギャラリーも多く一眼レフで写真を撮るおっさんや通り掛けのサラリーマンや外国人も写真を撮っていたので貴重なシーンとして写真におさめた。

偶然撤去工事が行われていた



そんなこんなで一つの時代が終わる瞬間あった。

ちなみに最後に通りは違うが近辺に美味しいラーメン屋があるから紹介する。



それはラーメン大だ。
二郎系ラーメンでいつも人が並んでる。
ラーメン小は900円ながらもお腹が満たされるため貧乏学生やサラリーマンに重宝されている。
ほかにも隣にお好み焼き屋やいろんな店がある。やっぱりサラリーマンがたくさんいるだけたくさん飲食もある。

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