裏砂漠と、わたしとだれか。
突然ですが、昨日から伊豆大島にいます。
旅の記録は別記事で残すとして、伊豆大島にある日本唯一の砂漠「裏砂漠」で過ごしたお話を。
裏砂漠は伊豆大島の火山、三原山の近くにある砂漠地帯です。
人がいない、声も聞こえない、なんと電波も通らない、ただただ広がる一面の軽石。
そしてザ荒野という感じのすすきと岩、その奥の森、さらに奥の太平洋。
(富士山も見えます)
デジタルデトックスなんてキラキラした言葉は好きじゃないですが、人間、外界との繋がりを絶たれると、強制的に内を向くものです。
寝っ転がるとこんな視点になります。
歌っても泣いても叫んだって、誰もいない砂漠が吸い込んでいくだけ。
どんどん自分が小さくなり、どんどん外は大きくなります。
自分の内面を見ているはずが、見えてくる中身は外のことばかり。
私は他人と自分を比べないといられない性分です。
それが良いところでもあり、悪いところでもあると思っています。
砂漠に寝っ転がっていると、たくさんの「あの人だったら」が自分のなかに流れ込んできます。
あの人だったら、もっとたくさんの言葉を使って、読んでいる人をはっとさせるような文章でこの景色をあらわすんだろうか。
あの人だったら、この景色や感傷的な気分でさえも歌詞にして歌い、そこにいない人の心をも動かすことができるんだろうか。
あの人だったら、仲のいい友達とここに来て、明るい気分のまま、語り合ったり写真を撮ったりインスタにあげたりするんだろうか。そしてたくさんいいねをもらうんだろうか。
あの人だったら、ここに一眼レフを持ってきて、綺麗に撮った写真を写真展に出すんだろうか。
あの人だったら、仕事としてここに来て、街の人と触れ合い、記事にして、誰かがその記事にお金を払い、評価するんだろうか。
才能をひけらかさずに輝かせている人がいる。
…全部、わたしができないもの。
あの人だったら、こんなところに来ないで事業プランでも練っているだろうか。
あの人だったら、今ごろ自分の将来のために勉強しているんだろうか。
あの人だったら、フットサルで人脈でも広げているんだろうか。
みんな前に進んでいる。
…全部、わたしがしていないこと。
こんなこと言って、人とくらべて、
どんなに落ち込んでも泣いても、砂漠は絶対に助けてくれません。
ひたすら静寂のなかに、吸い込んでいくだけです。
そして私はきっと、こうやって文章にして、誰かが読んでくれるんじゃないかって期待して、
「スキ」がついたら認められたような気になって安心して。
そんな安直な方法で心の平穏を得ようとしている自分が途方もなくダサくてかっこ悪くて小さくて。
きっとあの人は、辛くても文章にせず相談もせず、自分で耐えて解決する。
あの人は心療内科に行っていても、私より人あたりがよく辛そうな素振りを見せない。
みんな大人だから、自分の機嫌は自分でとっている。
…わたしはこうやって頼ってばかり。
どんどん「あの人」たちは大きく偉大になっていき、
自己はどんどん小さく潰れてゆく。
解決策は浮かばない。
あ、筋トレだろうか。最近筋トレにハマって毎日やっていたら、久々に乗った体重計でマイナス4キロ減っていて驚いた。
筋肉は裏切らないってこのことか。
根本的な解決が思いつかないとき、いつもわたしは、
自分には「こつこつやること」「たくさんやること」しか脳がないのだと言い聞かせて納得しようとする。
実際のところわたしの何倍もこつこつたくさんできる秀才がたくさんいて、そういう限られた努力家が世の中で活躍しているんだと思う。
他者はすごいし、自分は全然足りない。
ただ、これ以上どこまで頑張れるのかは分からない。
でも、「無理」と言った時点で、たくさんの「あの人」たちへ大敗北を期すだろう。
たぶん結局「できるだけがんばる」しかできない。
できるだけがんばるために、こうやって休憩して、またがんばるんだろう。
それが平凡で秀でたところのない人の生きる道。
砂漠を降りて、ふもとの三原山温泉にて若い女友達2人組が、
「人生たまにはこういう時間があってもいいよねえ」
と言っていました。
そうだよな、お湯に浸かってぼーっとするみたいな、そういう時間を過ごしに来たんだった。2人のおかげで思い出せました。
平凡で、できなくて、ダサくて、ずるい。
そんな自分だけどきっと誰かに認めてもらえるように、生きていくしかない。たぶん。
そんなことを思う、昼下がりの伊豆大島、裏砂漠でした。
旅については、のちほどまた。