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ラジオじゃないかもしれない

昔から話がそんなに上手いほうではない。
人とのコミュニケーションも苦手なほうではある。

ラジオをやっている。
最初は、2009 年に始めた。
去年、2024年は一年間続けた。
今年、2025年は改めて仕切り直して、
ブログ的な身内感から外を意識したラジオをはじめた。(せんにんラジオ)

【しかし、そもそもは話がしたくてラジオを始めたわけじゃない】

何かを創りたい欲求があって、その先にラジオというフォーマットがあっただけだ。(実現可能という観点で)

この話の結論は表題の通り
『私は、ラジオじゃないかもしれない。』

何か伝えたいことがあって、それを発信するのは喋りじゃ無い気がする。
まだ文章の方がマシに表現出来る。

若かりし頃、私は自分のことをクリエイター気質だと思っていた。
本を読むのも好きだったが、書くのも好きだった。
「ブログ」という言葉が出現する少し前から、インターネット日記を書いて友人たちと見せあって楽しんでいた。

ニコニコ動画の時代にはラジオやショートムービー、稚拙なMAD動画を作ったりしていた。(あくまでも仲間内の範囲内での遊びレベルではあるが)

若かりし私は
自分は何か出来るのでは?という予感で生きていた。

ただ、今思うに
私は単に、創るという過程が楽しかっただけで
何か、”コレを創りたい”というクリエイティビティは持ち合わせて無かった。

そして社会人になり
20代は写真を撮ることに明け暮れた。
仕事以外の時間はやたらめったら写真を撮りまくった。

森山大道スタイルに憧れていたので、フィルムのコンパクトカメラ(GRとかT2とか)で路上スナップを撮りまくり、自宅でモノクロフィルムの自家現像とスキャニングして、独りで悦に浸っていた。

だが、最終的に写真が撮れなくなった。
(この台詞だけ聞くとアーティストみたいでカッコいいな!)

 結局、私は最高の写真を撮りたいわけではなく、行為自体が楽しかったのだ。至高の1枚を求めるより、フィルムを装填してアナログなカメラで撮影して、自分で現像するという過程の行為(儀式)が好きだった。

だから、フィルムカメラが非現実な趣味(フィルムの価格高騰により)になった時に終わった。(デジタルカメラでは過程が楽しくなかった。)

(結局、フィルムしか愛せなかった。)


ラジオも同じである。私には話したい事があるわけではない。
ラジオ作る過程、収録や編集(さほどしてないが)して形にする”過程”が好きなのだ。

だから、本来は
ラジオじゃないのかもしれない。
むしろ、話すのは苦手な項目だ。

だけど、ラジオを起点に
自分の中で新しい事が、若干はじまりつつあるので
もうしばらくは粘ってみたい。

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せんにんラジオのアズマ
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