【人生ノート288】みんながお互いに、いやだいやだと思いながら暮らしているのだもの、この世の中が幸福になろうはずがない。
なぜ平和が来ないのか
いろんな深遠な道理もすでに説きつくされており、いかに生くべきかという問題も論じつくされており、自分はどうしたら第一いいかということも、たいていの人なら知りつくしているのである。
しかも、それと矛盾した生活を送っているのはなぜだろうか。
人々に、真の神をみとめる信仰がなく、真へすすむ勇気がないからである。
あまりに、現界的執着と肉体的我執にみたされているからである。
瞬間に堕して、永遠に目ざめぬからである。
一小局部のみにかかわって、大局を達観する目がないからである。
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いろんな理屈は別として、いかなる人、いかなる事件に対しても、真に好意をもち得る人は、もはや、でき上がっている人である。
人に対し、事柄に対して、ともすれば、嫉妬、猜疑、怨恨、軽蔑などのあさましい感じをいだく間は、まだまだ天国にいたり得るみたまではない。
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自分のごとく他人をあらしめんと思うのは間違っている。
その人はその人として、あるべきようにあったらよいのだ。
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みんながお互いに、いやだいやだと思いながら暮らしているのだもの、この世の中が幸福になろうはずがない。
みんながお互いに、大将になろうなろうとしてあがきまわっているのだもの、この世に平和が来そうなはずがない。
気のよわい心のよい人たちは、ラチもないやからの犠牲になって、それで、社会がよくなると思ってみたりなどしているが、トンでもないことだ。
狼へ小羊をあたえておけば、よろこぶのは狼で、たまらぬのは小羊にきまっている。
『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著