【人生ノート 174ページ】 なんとなしに興味がわいて勉強したくなるのが本物である。
何事も自然に
何事も無理をすることが最もよくない。
近ごろの学生は無闇に機械的につめ込まれるので消化不良におちいり、特に入学試験だとか学年試験とかで精神を疲労さすことが甚だしいので、なんとなしに活気を欠いている。
すべて、したくなってするのが一番よいのであって、学問でもいやいやさせられるのではいけない。なんとなしに興味がわいて勉強したくなるのが本物である。
子供はジッとしておれぬから動きまわるのであるが、それと同時に、青年期には知識欲が旺盛になってきて、本を読まずにおれぬというふうになるのが自然である。
朝から晩まで、他の者がべんたつして机にかじりつかして勉強さしたところで、決して効果のあるものではない。
よし、学習上の方面では多少進歩するにしても、精神的に、したがってまた身体的に欠陥を生じて、非常な害をかもすことになるのである。エナージーがあふれて、それを何かに使わなくておれぬので、精神身体いろいろの方面を労働さすのはよいが、でなくて、エナージーが不足しがちの子供に、次から次へと荷を負わすことは大変な間違いである。
身体の労働は差程エナージーを費消せぬし、また多少費消しても容易に補うことができるが、精神の労働は非常なエナージーを比較的短時間のうちに費消するものであり、かつまた、これを補うにも相当の時間を要するのであるから、この点を、よほど注意して、活動と休養とを交互に適宜にとってつねに清新な気分でおらねばならぬ。
こうしておれば、能率はーー時間は短くてもーーよくあがってゆくけれども、疲れたのを辛棒したり、眠いのをこらえて強いて興味のわかぬ仕事をやってゆくというようなことでは、あたら人生をワヤにするもので、次第に陰気な不活発な、不愉快な人間になってしまうのである。
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疲れきらぬ前に休養すれば、つねに気分は清新だ。疲れきってからの休養は時間を非常に要し、しかも完全にもと通りにはなり難いものだ。
『信仰覚書』、第二巻
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