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【人生ノート 180ページ】 同一の材料をもとにして、ほめることも出来れば、くさすこともできる。

道徳上の箇条書を、いくら記憶していたところでなんにもならぬ。

何によらず、すべて「こうこうするのがよい」と悟ったならば、その時からすぐに、それを着手し実行すべきである。

善悪正否の道理は誰でも知っているが、その知っていることが、いざという時になると行なえぬだけだ。

到底おこない得ぬことを覚えていたところで、荷物になるばかりだ。

この世には、何によろずピンからキリまであるということを、よくよく実地について見きわむべし。

そして、いまの自己の位置を覚るべし。古より今日まで、いろいろの人がなした例をよくよく顧みるべし。そして、今の世の人々がなしつつあることを覚るべし。

他人のしていることは良くわかるが、いざ自分のこととになると、直接、利害関係がおよんでくるので、たちまち迷ってしまうのである。

同一の材料をもとにして、ほめることも出来れば、くさすこともできる。

偉人だという先入主からその人をみれば、なんでもない行為でも、みな讃嘆のまとになり、愚人だという先入主からその人をみれば、純客観的には立派な行為でも、バカげたことの例に引くこともできる。世の中はこんなものだ。

何やかやをやって見ねば、世の中はわかるものではない。

大いに勉強したことがあり、それと同時に、大いに遊んだことのある人間でなくては話せぬ。

素質はとにかく、人間としては日本人はまだ子供だ。まだまだ、西洋人から大いに学ぶところがなくてはならぬ。

『信仰覚書』第二巻、出口日出麿著

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【これまでの振り返り】


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