誰だって、失敗もすれば恥もかく。
反省して悪と知ったならば、二度とその過をくり返さぬことを誓いさえしたらよい。いたく悔い慚じるの結果、かえって心身をそこないなどし、再起の勇気もなくなってしまうなどというのは小人のことである。悪かったということがよく分かったならば、それを再びせぬようにさえしたらよいのであって、それ以外のことは無駄である。
誰だって、失敗もすれば恥もかく。それによって人は悟ってゆくのである。ところが、世には、自分の悪かった場合でも、心の中では悪いことをしたと悔いていながらも、正々堂々と、他人に自己の過悪をざんげする人はまれなものであって、大抵は、かえって、ちょっとした過悪でも他人には隠そう隠そうとあせって、そのために、また、いろんな過悪をかさねる場合がずいぶん多い。
悪かったことは悪かったと、素直に、それより生ずる報いは、自分がひき受ける勇気さえあったら、少々の、いわゆる悪事はなんでもない。
『信仰覚書』第五巻、過悪をくり返さぬこと、出口日出麿著