心の動き方
その時どきの「自分」というものを、よくよく内省してみるがよい。
ある時は高潔清朗な自分であり、ある時は陰惨下劣な自分である。
人は誰でも努力して、よく高潔清朗なりし時の気持をおぼえていて、陰惨下劣のときの自分を引き上げるようにせねばならぬ。
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威張る者ほどもろく、怒る者ほど小さく、残酷な者ほど弱いのである。そして、頑固なものほどコロリとまいりやすいのである。
だから、これらは皆すこぶる御しやすい。
一番難物なのは、バカか利功か、知っているのか知らないのか、平気なのか困っているのか、どっちがどうやら、わけの分からぬ人物である。
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人間はまず自利我執のかたまりであるから、相手をまず喜ばしてかからねばならぬ。
「この人は自分にとって利益になる人だ」という観念を相手にいだかせてかからねば、すべて、仕事はやりにくい。
ただし、情におぼれたりして、つまらぬ人間に、いらぬ慈悲をほどこしてはならぬ。あくまでも至公至平に、その人相応につき合わねばならぬ。でないと、周囲に、おべっか者ばかりが寄ってきて仕様のないものである。
表面の言行のみを見ずに、心の動き方をよく見てとらねばならぬ。
どんな人でも、それぞれの位置におかれなければ仕事ができるものではない。
出口日出麿著、『信仰覚書』一番の難物