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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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#あたたかい

【人生ノート 185ページ】 どんなつまらぬものにでも、そのもの以外では務まらぬ使命がある。だから決して、他のものを蔑視してはならぬ。

まず健全な肉体を 自分をつまらぬと思う癖よりは、えらいと思うくせが普通なり。ゆえに、ちょっとしたことに腹が立ったり、癪にさわったりするなり。むしろ、真に自分は小さい、つまらぬ者だと思うようにするべし。 ○ どんなつまらぬものにでも、そのもの以外では務まらぬ使命がある。だから決して、他のものを蔑視してはならぬ。 ○ 自然に身にそなわっているのが、すなわち生まれつきなり。各自よく人を観、また自分に省みるべし。特に自分のことは、なかなか分からぬものなり。よくよく省みるべし。

【人生ノート 186ページ】 実力以上によく見てもらわんと願ったり、いまの気持ちの反対を見せようと努力したりするから苦しいのだ。

自己をかざるな 自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじめ

【人生ノート 189ページ】 自己を知るということはむずかしいことだが、大切なことだ。

宿命とは素質の発展 自分で、うまい工合に言い訳の理屈をつけて、人間というものは利己を行うものだ。 しかし、大局から見れば、何事も宿命である。みな、なるままになって行くまでだ。 実際、人間の目に見ゆるところをもって、ただちに、善悪正邪を区別することはどうしてもできぬ。要するに、あくまでも、我に厳で他に恕であるよりほか仕方がない。 見ようによって、理屈はどんなにでもつく。他人を悪く思うのは、自分が悪いからだ。「ああいう型の人だ」というだけで、悪人だというわけにはいかぬ。

【人生ノート 190ページ】 物事は周囲から、そうなってきたときは「勇気をふるい起こしてなせ!」という信仰である。

 私は原則として、活動主義であり、積極主義であり、体験主義である。  物事は周囲から、そうなってきたときは「勇気をふるい起こしてなせ!」という信仰である。  一時に一事を一心にすべきである。  先のさきまでを思いはかることは、心に倦怠をおぼえ、清新さをうしない、心が散ってかえって効果がないものである。  だいたいの見当はつけなければならないが、あまりもくろみすぎ考えすぎても、けっしてそのとおりにはならないものであるから、ただ、そのときそのときに一心をつくすべきである。  

【人生ノート 200ページ】言うまでもないが、感情は人間生活の基調なのである。これを度外視したところには、人間味はないのである。

感情第一 使用人を叱りつけるばかりでは思う通りにはならぬ。主婦が働いてみせねば、使用人は働くものではない。 人間は情には感ずるけれども、理屈には動くものではない。理智を主とする教育ほど間違っているものはない。 言うまでもないが、感情は人間生活の基調なのである。これを度外視したところには、人間味はないのである。 ○ 運ということをつくづく考えさせられた。運さえよい時にはドシドシ都合よくゆくが、運の向かない時にはいくらあせっても、あせれば焦るほど悪くなるばかりだ。 春に

【人生ノート 204ページ】善にまれ悪にまれ、その本場所を数多く踏んでいる人ほど役に立つ人であり、人間味のある人である。

豊富なる体験者「体験の多い人」を「えらい人」と、自分は言いたい。本の上での知識がどれほどあっても、それは要するに、いろんな単語をたくさんおぼえているだけで、人生の真剣勝負の場数をへた人にくらべては、吹けば飛ぶような手合いだ。 この意味において、善にまれ悪にまれ、その本場所を数多く踏んでいる人ほど役に立つ人であり、人間味のある人である。 ○ 固い殻を背負って、どこへでも歩きまわる蝸牛のような人間ほど始末においえぬものはない。 『信仰覚書』第八巻、出口日出麿著 【これま

【人生ノート 205ページ】 経験のせまい人は世界が狭いのだから、どうも角があって、つき合っていても窮屈だ。

経験のせまい人は世界が狭いのだから、どうも角があって、つき合っていても窮屈だ。 ○ ほんとうに行き詰らなければ、ほんとうの改造はできぬ。 ○ すべてのものは調和を求めている。 ○ いくらみたまの性来がよい人でも、人間的努力をせぬ人は現界ではつまらぬ。 ○ 体験の多い人がえらいのだ。 ○ すべては流転す。 凛応変が真理なり。 『信仰覚書』、出口日出麿著 【これまでの振り返り】

【人生ノート 227ページ】「自分のしていることは間違いではないか」と、つねに怠らず省みねばならぬ。

常に楽天気分で食事の後には安楽イスにでもよって、金口の葉巻でも吸いながら、無邪気に談話でも交換したらよいに違いない。 ○ この頃、「枯すすき」の歌が流行っているが、あれはやっぱり、今の世の一般の魂のもっとも甚だしい苦しみを表現した歌だ。 「ええぞええぞ、皆目ええぞ」という詞は、「夷々(えぞえぞ)、皆目夷(かいもくえぞ)」という意をかくしているのだ。 ○ とにかく、こういう世の中になってきた以上は、一度は精神的、物質的ドン底の生活をくぐって来ねば、一人前にはなれぬ。な

【人生ノート 226ページ】実力以上によく見てもらわんと願ったり、いまの気持ちの反対を見せようと努力したりするから苦しいのだ。

自己をかざるな 自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじ

【人生ノート 206ページ】 ものを極める秘伝とは

一、先人の説けることを一通り承知すること 二、前者を単なる参考として、自己自身が実地にあたって、一々こころみ、一々考え、もって悟ること 以上の外を出ずることなし。 『信仰覚書』第二巻、出口日出麿著 【これまでの振り返り】

【人生ノート 207ページ】自己の諒解し得ることは、みな自己にそれだけの潜在能力ある故なり。

人の内分とは、その意志(愛よりす)想念(智よりす)に属する一切をいい、外分とは表情、言語、動作に属する一切をいう。その内分の積み重なりて形成されたるを内人といい、その外分の積みかさなりて形成されたるを外人という。霊眼で見るは内人にして、肉眼で見るは外人なり。 思うは内界にして、在るは外界なり。 思うが故に在り、在るが故に思うなり。 ○ 現界は苗床にして、霊魂は種子なり。 いかに良質の種子なりとも、これを悪しき苗床に蒔きなば、その発育の劣悪となるや必せり。また、如何に

【人生ノート 208ページ】 心のはればれとした朗かなときには、思ったままをドンドン実行すべきある。

すべて、現在、自分の感じ、考えることは、すなわち、目下の自分の属している霊界(心の籍)を示しているのである。 直霊に省みて、自分ながら、いやらしく、バカバカしく思うようなことを感じ、考える時は、これあきらかに、自分が副守護神(欲求)になりきっている時であり、晴々として愉快を感じ、考えもこれに伴う時は、これ明らかに、正しき霊と感応している時である。前者の場合には大いに慎み省み、克己忍耐して、努力して神に近づくように心がけ、身をへり下りて、人と争わぬようにせねばならぬ。そしてい

【人生ノート 209ページ】 上位に立つ人たち数人さえしっかりしておるならば、どんな仕事でも容易になし得るものである。

落ちつきのない人は、どうも信用しにくい。すぐ信用するかわりに、すぐ裏切るという恐れがあるからである。 人間はどうしても自己本位であり、目先本位であるから、ちょっとしたことにも狼狽し困惑しがちである。 責任の位置に立つ者は、ことに、よほどその言動を内省し注意せねばならぬ。自分はなんともなしに言ったり、したりすることが、すぐに多人数にいろいろと影響するからである。 頭に立つ人が粗雑で狭量であわて者であったならば、もはや、その団体はどうもがいてもダメである。 上位に立つ人た

【人生ノート 210ページ】 人間は失敗するから進歩するのであって、要するに、ドンドン失敗してドンドン進歩向上して行ったらよいのだ。

物ごとを何時までもクヨクヨと心に持って考えてばかりいることは、心身の大毒だ。す早く、現在の自分相応に処置してゆけばよいのだ。それを、力もないくせに、いたずらに理想にのみ走って、あれこれと 何時までもひねくり回しているから苦しいのだ。「もし間違ったら」とか「これでは不完全だから」とか思って、ためらうのは悪いくせだ。事にあたったら、す早く、現在の自分の識見相応に、そのことの外郭および中核をつかんで、それに対する処置を考えるべきである。 人間は失敗するから進歩するのであって、要