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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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#マインドフルネス

【人生ノート322】 真理は溝の中ににもひそむ技術は書籍と経験との中にのみひそむ

ねたむ心、そねむ心、欲な心 人は誰でも死ぬる。間違いなく死ぬる。死ぬるまでに何かしておきたい。とにかく、自分というものが、この世に生まれてきたしるしだけのことは相当にしておきたい——と誰でも考える。結構なことだ。 この世の中はチッと思うようにならぬ。つまらぬ、あほらしい、しゃくにさわる——思う。全くそうだ。 ○ 今はたえじ 死なんかといくたびか思いし 若きころの胸は燃えて空のあなたを眺めて泣き 見苦しき人の世のさま慣るるまではつらかりき ○ 飢えたる人にパン

【人生ノート313】この世がこわれてしまってもおれがある限りおれは進もう。

進まねばならぬ そうだ、進まねばならぬ、まっしぐらに 河があろうが、山があろうが、地震だろうが、火事だろうが そうだ、おれは進まねばならぬ 泣き泣きでも、歯を喰いいしばってでも 元気に愉快に感謝にみちて 毎日々々、時々刻々、おれの魂がなくなってしまうまでは ドンドン進むよりほかにてはない 雨が降っても風が吹いても たとえこの世がこわれてしまっても おれがある限りおれは進もう。 ○ 固める力と解く力 二つの力があるわいな 固まって解かれて また固ま

【人生ノート311】慢心と野心とは、つねに省みて、こっから先も持たぬようにせねばならぬ。

慢心と野心 真に健全なる心身でなくては、真の神人合一の境にはなり難い。 ちょっとの混りものがあっても、それが非常にこたえて心身を悩めるものである。 各人はよく常に省みて、自己がまだ不健全である時には、いよいよ万事にひかえ目に、自分はまで人間として不完全なものであるということを悟って、陰徳をつむべきである。 しかし今の世では、心身ともに真に完全無欠だという人は甚だまれである。特に善きみたまの人ほど、一時、外見が見ぐるしい場合が往々ある。 各人が副守護人の支配を脱して、

【人生ノート309】体験なき人に力はない

体験の人たれ青年は夢多きものである。その夢のヴェールをかなぐり棄てて、いさぎよく人生の戦場におどり出るべきである。理想は理想として、みにくき現実を一歩一歩踏みしめてつつうすむべきである。現在の足場を知らずして、なんの建築ができよう。体験なき人に力はない。多岐多端、変転複雑きわまりなき活社会をほかにして、どこに学校があり教室があろう。 新日本の青年はすべからく机上の空論をやめ、お座敷水練をやめて、単刀直入、活社会にふれて悟るべきである。 とくに、近代教育の弊は、人間をして機

【人生ノート308】まず相手の現在の心境をよく諒解してやらねばならぬ。

感ずるままに 「自分は孤独だ、世の中の奴はみな路傍の人だ」などと、いわゆる、世のなかを冷眼視している間は、決して悟っているのでもなんでもない。これは、その人の心が狭小なからであって、も一歩すすんで、どんな人とでもお互いに打ちとけさえしたならば、みな親子である、同胞である、ということが腹の底からわかって来なくてはならぬ。また、どんな人に対しても頭から「あいつは悪い奴、けしからぬ野郎だ」などと思うのは間違いである。「あの人は、いまこうした心の段階におるのであるが、やがて、これこ

【人生ノート307】生活信条七訓

(出口日出麿先生七訓) 一、物事を決して悔まぬこと。 一、言いわけを決してなさらぬこと。 一、絶えず真剣な努力をなさること。 一、頼まれないでも親切のありったけを尽されること。 一、ご自身の功名手柄を決して自家広告なさらぬこと。 一、偉そうなふりを決してなさらぬこと。 一、物に執着のないこと。

指先一つを僅かばかり動かす仕事でもよい、何かをしている人は幸福である。

実地に呼吸を飲み込め 何かしていなければならぬ。そして、今やっていることに一心にならねばならぬ。仕事に全心身を打ち込んで、それを完成さすことに愉快を持つようにならねばならぬ。 苦しい時、くしゃくしゃする時でも、何か、とにかく、一生懸命に仕事をしているならば、知らず知らず時間が経って、その難関を知らず知らず通過することができるものである。ジッとしていて考えてばかりいるのあ、かえって、その苦悩をますばかりでなんにもならない。 どんな平凡なこと、小さいこと、たとえば、指先一つ

【人生ノート305】公平に自分自身が分かるようになったら一人まえである。

自分が分かれば一人前 癖はなかなか直らぬものだ。そのくせ直すには、よほどの忍耐と努力と細微な苦心とを要する。 自分で自分は分からぬがちのものであるから、よくよく公平無私に省みて、自分の悪いくせを知って、これを少しずつ直すように心がけねばならぬ。 公平に自分自身が分かるようになったら一人まえである。 『信仰覚書』第六巻 出口日出麿著 これまでのnote

【人生ノート304】その時その時のベストをつくして、楽天的に、感恩の生活をなすにある。

流れる水のごとく いろいろと考えてみても、最初から、到底、一々分かるものではないから、とにかく、どえらい神さまである、この神さまにお縋りせねばならぬ、一切をお任せしよう、という決心さえついたならば、それでよい。 これが即ち、信仰心、帰依心というものであって、この信仰心さえ強固であったならば、この人はきっと救われるのである。なんとなれば、かかる人はかならず神第一の心が、どんな場合にでも出てくるから、素直に一切を神のみ手にまかすことが出来るからである。 これに反して、神を否

【人生ノート303】人は一心になることが一番肝要

超理論的なるもの 人に接して、その人の気持は、いかに態度でかざっても、私には明らかに分かる。これは、ちょうど腹がへったと感ずると同じようなもので、どこということなしに、しかし明瞭にわかるのである。 人間には、こういう本質的な作用がたくさんあるのだが、現代人は外部的、理智的な理論にのみ頼りすぎる結果、内部的、超理智な大切な根本的なものをないがしろにしているので、努力や苦心のわりには本当のよりよい生活ができぬのである。 なに事もみな神さまはご存じとまこと知る人少なかりけり

【人生ノート295】自然に出るままの言葉を出せ、自然になし得るままの振る舞いをなせ。

近くから遠くへ 人と交わるにも、自分は彼よりは偉いとか、また劣っているとかなどという先入主的の考えを抱いていてはならぬ。 自然に出るままの言葉を出せ、自然になし得るままの振る舞いをなせ。それでチャンと適当に礼はつくされているのだ。 むろん、それは大いに考えねばならぬ場合もある。しかし、肉体心で「考える」ということは、すでに良くないことだ。考えるから迷うのだ。スラスラと河水が流れてゆくように生活してゆきたいものだ。 ○ 父母をおぼえてのち家族を知り、わが家を知ってのち

【人生ノート294】造り上げる嬉しさを感ずるようにならなければ、信の生活を生活することはできない。

創造の興味より良くなることに興味を持ち出してくると、報酬などは目的とはせないようになり、ただ完成ということを目的として努力するようになる。 どんな仕事でも、この境地からはげむと、どれもこれも、無限の興味に充ちみちているのである。 創造の興味、造り上げる嬉しさを感ずるようにならなければ、信の生活を生活することはできない。 現界の人たちは、たいてい、第二義、第三義的に堕してしまっている。あることを完成することによって、自己の名誉をあげるとか、または、多大の物質的利益を得よう

【人生ノート293】何かの希望に生きていなくては、真に生きているのではなくして、死んでいるのと同様である。

世を渡り尽くした人 希望は生命の発動機である。 人生に希望がなくなっては「万事休す」である。 何かの希望に生きていなくては、真に生きているのではなくして、死んでいるのと同様である。 浮世の名利を希望するのは普通のことであるが、誰でも、真に世を渡りつくした人は、もはや浮世的の名利を希望するのではなくして、真の心の落ちつきを希望するようになる。 真の心の落ちつきは、神に根ざさなくてはならぬ。 神は一つであるが、その説き方、それを説く人によってそれぞれ変わってくる。

【人生ノート292】人間はまず自利我執のかたまりであるから、相手をまず喜ばしてかからねばならぬ。

一番の難物その時どきの「自分」というものを、よくよく内省してみるがよい。ある時は高潔清朗な自分であり、ある時は陰惨下劣な自分である。 人は誰でも努力して、よく高潔清朗なりし時の気持をおぼえていて、陰惨下劣のときの自分を引き上げるようにせねばならぬ。 ○ 威張る者ほどもろく、怒る者ほど小さく、残酷な者ほど弱いのである。そして、頑固なものほどコロリとまいりやすいのである。だから、これらは皆すこぶる御しやすい。 一番難物なのは、バカか利功か、知っているのか知らないのか、平気