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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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#学び

【人生ノート340】「自分のしていることは間違いではないか」と、つねに怠らず省みねばならぬ。

常に楽天気分でこういう世の中になってきた以上は、一度は精神的、物質的ドン底の生活をくぐって来ねば、一人前にはなれぬ。なま半可な悟ったふりのことを言っていても、はじまらない。 ○ 訳なくして苦しむことはない。どんな境涯におかれても、つねに楽天気分で、どこまでも開発進展してゆく勇気がなくてはならぬ。ちょっとしたことに行きつまったり、ヘコたれたりするのは、坊や嬢チャン育ちの証拠だ。 こうして、人間として今の世に生まれさせられた以上は、泣いても恨んでも仕方がない。ただどこ迄も苦

【人生ノート339ページ】大胆に飛び込め

大胆に飛び込めその人にとって、まったく新しい思想を、ただちに受け入れさすことは至難だ。 人を説く際には、その人の頭の隅にある、ある思想を「これだ!」と、つまみ出してやることに努めねばならぬ。あるいは「これとこれとの関係はこうなんだ」と、説明してやりさえすればよい。 ○ 書いているうちに真理に近づいており、言っているうちにまことが出てくる。 人間は神のいれものである。最初から計画をたててしたところで、何にもならぬ。いわゆる「みたまのふゆ」によりて、知らず知らずさせられるの

【338ページ】相手の立場になって

相手の立場になって 心を批評するのは冒涜だ、心と共に動けよ。吾において、真に悔いるところなければ足れり。 ○ 教うべし、強うべからず。 ○ できる限り思うようにさしてやることだ。多少の失敗(しくじ)りや損失などは、向上のためには、どんな場合にでもあることだ。そんなことをケチケチと言わぬことだ。生まれたての赤ン坊が、ひと通り、ものをおぼえ悟るまでには、どれだけ、いろんな芸当をやらねばならぬかということを考えてみるがよい。知っている者、悟っている者から見れば、タワイもな

【人生ノート337】人間であった日の記録

人間であった日の記録いろいろ、毎日考えている。この世の中を、人いうものを、いろいろと考えてみる。 特に自分というものを、批判的に反省的に、事ごとに考えてみる。なかなか判らない。他人の一挙一動を、いろいろと、純客観的に立って考えてみる。世事のうつりかわりというものを、つぎつぎと考えてみる。——別に、なんにもわからない。 ただ、無限小から無限大までが、この世の中には、平面的にも立体的にも存在し得るものだ、ということが判ったばかりである。 自分は、今、こうやって、この世に生ま

【人生ノート336】おのおの、その真に持っているだけをさらけ出したらそれでよいのだ。

自己をかざるな 自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじ

【人生ノート334】この社会の状態さえ少しよくなってゆきさえすれば、思ったよりも人々は善人ばかりなのである。

理解と距離誰でも、自分を最もよく理解しており、その次には、自分に近いものを、それについで良く理解し、自分との距離が大となるに従って理解し難くなる。 われわれに神が判らぬのも、その隔たりがあまりに大なるがためである。 ○ すべて、大局をつかむということが最も肝腎である。でないと、ちょっとした変動にもあわてる。 ○ 人間の気持ちは実によく変わるものである。雨がちょっと降りつづけば、個の世がモウつぶれてしまうのではないかとまで心配したり、それが、カラリと晴れてしまえば、ま

【人生ノート332】 失敗するから考え直し、考え直すから悟るところがあり、悟るところがあるから、又やり直すなり。

合点ゆく迄やってみよ人を疑うことは自分に罪をつくることだ。しかし、いまの世の人には、悪い霊につかれているために利己一点ばりを企んでかかる人が多いので、ウッカリそれに乗っていたら、あとでトンだ目に遭わされるから、いきおい、人を見たら盗人と思え的な心にもなる。 世にもまれた人は、どうしても、一面、非常に疑い深いところがある。これは、自分がいままでいろいろ、人にだまされ、苦しめられてきたからだ。しかし、もう一歩すすんで、真の神ごころにまで磨かねばならぬ。 ○ 心配すればネズミ

【人生ノート330】「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。

ヘコたれず戦え 精進努力のないところに、進歩があるはずはない。完成へむかっての勇往邁進の気性のない人はもはやダメである。 たとえ、いま、いかなる窮地困厄の場所にあっても、屈せずたゆまず、日に一分、年に一寸だけでも、ここより脱け出でんとする心掛けが必要である。 「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。 無限の真善への憧憬、追求よりほかに、人間の目的も価値もないのだ。 とくに現代のような、

【人生ノート329】「数をあたれ」そのうち要領が分かる。

悩み持つ守護神 気を凝らし、気を錬る稽古を充分せねばならぬ。 ○ たましいを得ること根本なり。 ○ 「数をあたれ」そのうち要領が分かる。 ○ 気が軽く屈託のないのが一番の天国だ。 いろいろ考えに沈んだり、厭世的なのは守護神に悩みがあるからだ。 ○ やせた人は大抵消化器が弱いなり。 ○ 依頼心の強い人は、みたま向上せず。 ○ 突破!突破! すべてに現状を突破して、一路向上すべし。 ○ 緊張した生活をする人は幸福なり。 その人は得つつあればなり

【人生ノート328】前とおなじような境遇に出会った時には、「ああここだ!」と、まえの経験を思い出して苦しいことでも辛抱することができる。

“したいからする”こと「自分はお前のために尽くすしてやっているぞ」とか、「自分は世の中のために働いているぞ」とかいうような考えから離れることが出来ずに、人のためとか世のためとかをはかっているのは、ほめたことではない。 こんな先入主的自負心から全然離れて、「ただ何んとなくそうしたいから、そうするまでだ」というふうに、純な心持ちで、われわれは常に動きたい。 ○ 時が経って、まえの行為を反省し、批判してみるがよい。大抵の場合、「ああ、あんなことをせなかったらよかったに … 」

【人生ノート326】なんとなくそうしたいという気分が、人生の羅針盤である

感情のなごりある感情のなごりというものに就いて、ちょっと考えてみた。 物理的にいえば、惰性とか余韻とかいうものであるが、とにかく、ある感情のなごりというものは比較的長くまでゑ依拠を人に与えるものである。そして、いやな感じの余韻は往々また他のいやな事件へ絡みつきたがるものであって、一つ悪いことがあると、二つ三つと悪いことが続きがちなものである。 ことの成否は、こうした些細なことが原因になるものであって、われわれは常に気持をおだやかに、愉快に持っていることが必要である。 俗

【人生ノート326】やってはしくじり、しくじりてはまた考え直すというふうに、自分で苦しみぬいた揚句に、世の中を悟った人はほんとうだ。

苦しみぬいて悟る自分の目から、あんなことをさしておいては悪いと思う時でも、先方がひたすらその方に心が向いていて、少々意見したくらいのことでは、馬の耳に風ほどにも思っていないというような時には、しばらく黙ってその人の思う通りにさしておくより仕方がない。 やがて二進も三進もゆかなくなると、はじめて目がさめてなるほどと悟ってくるものである。 誰もしたいしたいと思っていることを、せずに止めるということは、なんとなしに残念に思うものであるから、思う通りに一応やらしてみて、心から悟る時

【人生ノート324】

肉体は霊流の管昨今、気温が急に四、五度降った。あまり早い。も一度酷暑があって、今度ほんとに涼しくなるのだろう。すべての事件に、予報と本報という二つの前ぶれがある。寒くなる時は、まだその時より早く急に一度に寒くなり、次に普通に復し、やがて本物になる。暑くなる時でもおんなじだ。 神業の発展もそうであり、人間一個の魂の進展について考えもそうである。一さいは螺旋形に循環しつつ進展して行くものらしい。 ○ いわば人間の肉体は一つの生きている管だ。その中を精霊が流れているのだ。たま

【人生ノート323】青年にとって戒むべきは依頼心である。あくまで自分の道は自分で開くという決心がなくてはならぬ。

絶対の真理は平面的に表われない プラトーのいったごとく、直覚は過去および現在における経験の集積である。ゆえに、早く分霊として世に出でたるものほど直覚は鋭く、また分霊の素質のりっぱなものほど、直覚は早く発達す。この質と量とを、より多く備えたるものほど偉人である。 ○ 青年にとって戒むべきは依頼心である。あくまで自分の道は自分で開くという決心がなくてはならぬ。絶対に他人に迷惑をかけぬという気持ちには、よほど苦労した人でなくてはならぬ。 神の慈悲は大きい。だから、いま目前に