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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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2021年7月の記事一覧

あなたも祈りなさい

寂しいでしょう辛いでしょう しかし辛抱して下さい もう少しです 明けぬ闇はなく 尽きぬ冬はありません 葉を食いしばってでも 土にかじりついてでも どうなりこうなりこの峠を越えて下さい “ああダメだ”などとは決して言わぬことです 東で行きつまったら西へ廻りなさい 南がふさがったら北へお逃げなさい 東西南北みなダメでしたら 暫くそこで臥ていて下さい 天地は毎日かわる 晴れくもり寒くあたたかく 日が出たり月が出たり 闇になったり朝が来たり 行きつま

あたたかい心

理屈を好まぬおだやかな、ぼんやりとしたあたたかい心が神の心である。これに反して、落ち着きのない、冷やかな理屈っぽいのは、けものの心である。 人体は霊の宿泊所であって、自己の心と感応するいろいろな高級、低級霊を容れることが出来るのである。かように作られているのであるから致し方ない。だから、人は常に内心をつつしみ清めて、かりにも悪を思わないようにしなければならぬ。常に、われとわが心を省みて、悪魔のつけこむ隙のないようにしなければならぬ。 人とつき合っても、こっちから「あいつは

失敗を苦にするな

物ごとを何時までもクヨクヨと心に持って考えてばかりいることは、心身の大毒だ。す早く、現在の自分相応に処置してゆけばよいのだ。それを、力もないくせに、いたずらに理想にのみ走って、あれこれと 何時までもひねくり回しているから苦しいのだ。「もし間違ったら」とか「これでは不完全だから」とか思って、ためらうのは悪いくせだ。事にあたったら、す早く、現在の自分の識見相応に、そのことの外郭および中核をつかんで、それに対する処置を考えるべきである。 人間は失敗するから進歩するのであって、要

臨機応変の機転

人の気持ちをよく見ぬき、これをこわさぬように微細の注意を払わねばならぬ。 人間の悲憤歓喜は、決して、これという法則的な事象によるものではなくして、まったく主観的な各人、各処、各時独特なものであるから、臨機応変に処してゆく機転がなくてはならぬ。少しのことを気にして、ひとりで腹をたてたり、疑ったり恨んだりしがちなものであるから、よくよくお互いに気をつけ合わねばならぬ。特に商人などは、お客に不快な念をあたえぬように気をつけることが最も肝要である。 「あいつ、自分をバカにしとる」

公平に自他を観る

 自分を知るためには他人を知らざるべからず。周囲の人々と自分とを仔細に比較省察してみて、はじめて自分というものがクッキリと浮き出してくるなり。自分自身に自分がはっきりと分かってくれば、めったに、めくら滅法なふるまいはなきなり。適宜な道が進めるなり。進退、そのよろしきを得るなり。でしゃ張りもしなければ、怖じ気もせぬなり。 自分を知るということは、他人を知ることなり。他人を知ることは自分を知ることなり。 ○ どう考えても、お互いに容(ゆる)し合うということよりほかに、この世

心の持ち方

自己の思いよう一つで、より苦しくもなれば、より楽しくもなり得るのである。  誰だって、より楽しくなりたいと願わないものはない。そうなるためには、まず第一条件として必要なことは、いかなる境遇に出会っても、つねに心を愉快に、はつらつと持つということである。  境遇の変転というものは、決して、自己の思うようにはゆかぬものであるけれども、この心の持ち方というものは、修養ひとつで常に可能なことである。  世の中の八九分までの人は「自分は随分苦労した」というものであるが、要するに、

自己をかざるな

自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじめ、ひいては自己を

何事も、自然にかえりさえしたら楽だ。

 いかなる理由あるにせよ、人に接して、はなはだしき悪印象をとどむるがごときは、よいことではない。その人を思い出すごとに不快を伴うごときは、自己の誤解も多少ありとはいえ、その人にもまた大半の罪はあるなり。  神の道を説く際にもよく注意して、相手の嫌忌するを、決して、強いて説くがごときことあるべからず。かえって、悪しざまに言わるるのみなり。  すべて何事も、きわめて自然に振るまうのが一番よい。なにを説き、なにを述べん、など考うるは逆なり。口から出まかせに言えばよいなり。はなは

霊は相手に応じて

 怒ったときは人は鬼であり、阿修羅であり、笑ったときは恵比寿さんであり、布袋さんである。  緊張すれば不動さんになり得、柔和になり切ればお地蔵さんである。  無限に永遠に心のままのわれであり、心のままの世界である。世界のすべてのことを知りつくすことも可能であり、すべてを忘れつくすことも可能である。宇宙、本来、定面積なく、定時間なし。現界はただこれそれを表徴しているのみで、単なる模型にすぎぬ。この単なる模型を一切として、これに執着するほど愚かなことはない。執着は遅滞であり腐

ボーッとしている人

理智が先に立つと、局部的、瞬間的にはちょっと目が利くが、それが却って、大局、永遠の計の上からは妨害になる場合が多い。 少しボーッとして、どこに智恵がはたらいているのかと思うような人が、実は、知らず知らず、神智にかなった行動をとっている場合が多い。理智的な人は、どうも、万事あせり気味であり、ぜひない真善のためへの苦しき過程をでも、これを避けんとしたり、目先が利きすぎてヘマをやる場合が多い。 すべて、体験のともなわない学問は、却って障害になるばかりで、真に身につくものではない

真性の自己にかえって、真性の自己の道に進めよ!

 自分で自分の心をしばっている人たちが九分九厘の今の世の中である。  どうしたら、真に幸福になれるか?自分の心の心底において肯定する、いわゆる第一義の生活に驀進することである。ベストをつくして、本心のささやきに聴従すべく努力することである。  誰でも、それは欲しているのであるが、ベストのつくし方が足らないのである。  苦しむには無理をしているからである。何事によらず自分の分に安んじていればよいのに、それ以上を望むから苦しむのだ。要するに、世間的功名の執着心からはなれて、い

実地に呼吸を飲み込め

何かしていなければならぬ。そして、今やっていることに一心にならねばならぬ。仕事に全心身を打ち込んで、それを完成さすことに愉快を持つようにならねばならぬ。 苦しい時、くしゃくしゃする時でも、何か、とにかく、一生懸命に仕事をしているならば、知らずしらず時間が経って、その難関を知らず知らず通過することができるものである。ジッとしていて考えてばかりいるのは、かえって、その苦悩をますばかりでなんにもならない。どんな平凡なこと、小さいこと、たとえば、指先一つを僅かばかり動かす仕事でもよ

感情がいわゆる小我?

人は心の持ちよう一つで、詭弁も雄弁にまさり、雄弁も詭弁に劣るものです。 また、言い訳はしなくてはいけないこともあり、言い訳のため、かえって逆効果の生じることもあるということを知りました。 結局、自分の立場だけで、周囲の影響をおもわぬ人へ、考えのいたらぬことは許し合わねばならぬが、そのために迷惑をおよぼした時は、やっぱり自分の言い分は一おう言うとしても、「悪かった」との一言が、人の心を和らげる大事なポイントであることも分かりました。 ○ いかに正直であり、道理があっても

人の言うことも聞いて

 人間というものは、いつも、人と人との関係に立って、自分というものをみる一面が、必要ではないでしょうか。人間という言葉にも、その意味が含まれています。それで、自分の気持ちに少しもやましいものはない、と信じることは大切でしょうが、それだけではいけないことがありましょう。  自分は少しもやましいことなく行なっていることが、それを受ける側がそうは受けとってくれない場合は、一方的に自分の立場だけを固執しないで、やはり広く考え直してみるだけの度量をもつことが大切でしょう。気持ちが純粋