20冊目『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』/石井好子

おいしいものというのは、なにもお金のかかったものではなく、心のこもったものだと私は信じている。(P.240)

 なんて素敵な言葉なのだろう。
 初めてこの一文を読んだとき、私の心はほっこりと温かくなった。まるで、手足も凍えるほど寒い冬の朝に、熱々のポタージュを少しずつ冷まして胃の腑に収めた瞬間のような。身体の内側からじわじわと染み渡る温かさだった。
 同時にイマジナリーポタージュを収めた胃が、きゅっと切なくなる。オムレツが食べたい。卵液に胡椒と塩を少々、粉チーズを混ぜ合わせ、フライパンにバターを溶かしてほんの少し半熟に仕上げた、シンプルなオムレツが食べたいと思った。同意するかの如く、ぐぅぅと腹の虫が鳴く。

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 本書は著者──石井好子女史の食べ物並びに美味しいものに対する執着と愛情が、たっぷりと詰め込まれた料理エッセイ。タイトルにあるフランス・パリを始め、アメリカ、イタリア、スペイン……そして母国・日本など、彼女が訪れた国で出会い、堪能した様々な料理について語られている。
 綴られた料理の、なんとまあ美味しそうなこと! 見た目や香り、味、食感が伝わってくる文章というのは、至って普通というか当たり前である。が、本書はただ読者に“伝わる”だけではない。実際に感じられちゃうのでは? と錯覚するほど、読者の想像力を掻き立てる文章力と熱量で書かれているのです。
 実際、読みながら何度、腹の虫が『くわせろ! くわせろ!』と鳴き喚いたか知れない。私の場合、読み始めたのが昼時だったのも悪かった。
 基本的に食に対して興味関心が薄く、フードコートのような場所に足を踏み入れようものなら「匂いだけでお腹いっぱい」と言い出す人間が、文字を目で追いながら「あぁ、お腹空いた……これめっちゃ美味しそう」と悶え、僅かながらでも食欲が刺激されるのだ。食べることが大好きで堪らない方々が本書を手にしたら、途中で齧り付きムシャムシャと咀嚼して飲み込んでしまう恐れがある。心配だ。かの有名な山羊でさえ、紙を食べるのは健康上良くないらしいので、人間はもっと注意して欲しい。いくら雑食でも紙は良くないと思う。

 引用したい料理は沢山あった。けれど、余りにも沢山すぎるし、どれもこれも美味しそうで「これだ!」と選べなかった。こんなところで優柔不断さが出てくるなんて驚きである。読んで! 空腹に苛まれて!! としか言いようがない。オムレツもだけどブイヤベースも美味しそうすぎて辛かった。

 美味しそうな料理は、著者が食べたものだけに留まらない。
 著者は食べるだけの『食いしん坊』ではない。自分でも「こうしたら美味しいんじゃない?」とアレンジして作るタイプの『食いしん坊』である。
 実際、語られた“異国の料理”とほぼ同じだけ“著者の料理”が紹介されている。それも、本書を読みながら一品作れそうなぐらい詳しく、だ。さながら写真のないレシピ本。しかも、やっぱり想像力が掻き立てられる。食欲だけでなく「ちょっと私も台所に立ってみようかしら」と創作意欲ならぬ調理意欲まで沸き立たせるとは、全く恐ろしい本だと思います。

 こんなに美味しい美味しそうと絶賛しすぎると胸焼けを起こしそうなので、美味しくない話もする。

 例えば、本書には失敗エピソードもある。
 P.142にて。著者が玉ねぎだと思って収穫した代物が、実はスイセンの根で、気付かないまま調理して振る舞ったという。全く恐ろしい話だ。スイセンはアルカイド系の毒素を持っていて、接種すると嘔吐や下痢などの症状を起こすというのに。
 因みに、現代でも「スイセンの葉っぱをネギと間違えた」案件はよくある。なーんだ結構当たり前の話じゃん! と楽観的に捉えることも出来る。が、読みようによっては「科学技術が発達した今でも、スイセンと食用植物の見分けが付かないのかよ」と嘲笑することも出来る。
 少なくとも、あらゆる料理を食し調理もしてきた石井好子女史が、玉ねぎとスイセンの区別も付かなかったのは共感が持てる。あー、こういう人でもミスったりするんだなぁと何処となく安心できる。

 更に、料理・食事関係の話題だけでなく、著者のシャンソン歌手時代や戦時中の体験も描かれている。
 それらの点から読み解けるのは、石井好子女史は、所謂“お金持ち”の“お嬢様”だったことだ。
 恐らく、とんでもなく裕福なお嬢様だった。
 同じ時代に生きていた、不幸にも平民の家庭に生まれてしまった同年代の人間の生活なんて、きっと一片も知らなかったのだろうな……と感じてしまうほどの、お嬢様っぷりを発揮している。本書を真正面から受け止めて、そのまま受け入れたら『戦時中でも一芸で逞しく生き、食という人間の三代欲求の一つを十分に満たしながら女性シャンソン歌手として人生を謳歌した人の話』なのかもしれない。私もそう思う。

 本書に生きる女史は物凄い存在だ。
 近年ようやっと女性の活躍が認められて来たのに、そのずっと昔──男女差別の激しい時代に己を確立させ、異国の地を踏みながら舌鼓を打ち、経験を上流階級の品の良さと機知に富んだ文章に纏めて出版する。二十一世紀の今なら普通かもしれないが、当時は異例だっただろう。
 ちょっと捻た角度で見ると『裕福なお嬢様の飽食譚』と読める。日本国民の大半が経験出来ない数多のことを、彼女は経験した。したためる程度に。

 このギャップが、途轍もなく好きだ。
 飽食時代の“今”だからこそ「美味しそう」の感想だけを抱ける。けれど、食糧不足が進んで『飢餓』が身近な問題になった時分には、本書はきっと「恨やましい本」になるに違いない。それこそ、オムレツの幻覚を本書に重ねて齧り付いてしまうかもしれない。

(了)

(追記)
 姉妹本『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』も書きました。よしなに。


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吾妻燕
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