仕事したくねえええええ!!!!!!!!!!!!_2021/08/27
仕事したくねええ!!!!!
と、常に思っていた。会社員時代の話だ。もちろん楽しいことはあったり、やりがいもあったし、何もかも嫌だったわけじゃない。だけど、やっぱり仕事は仕事で、業務内容は自分では選べなくて、嫌なものは嫌だった。結局仕事は辞めて、今は一人で色々しながらなんとか生き延びているわけだ。
しかし、自分一人だけで仕事をこなすというのも、これはまた大変だった。自分を縛るものがないと、人はどこまでも堕落してゆく。今では、昼過ぎに目覚めて日の出と共に眠る日々である。人間としての終わりを迎えつつあった。しかしまぁ、仕方ないよなと。会社員、やれなかったんだから。この生活が自分には合っているんだろうな。そんなことを考えていた。しかしふと、思ったのだ。
え?本当にぼくは、会社員がやれなかったのか?
確かに会社を辞めた。それは事実である。しかし、会社を辞めたから会社員をやるのは無理。というのは、いささか短絡的過ぎはしないだろうか。極論だけれど、例えば辞めた原因がいじめであるなら、それは会社員うんぬんの話ではない。そう考えると、ぼくは本当に社会人としての規則正しい生活が不可能だから、辞めたのだろうか?
あるいは、ぼくは学校に行くのが嫌だった。高校一年生の時は友達が誰もできず、ひとりぼっちの一学期を過ごしていた。それでもぼくは、不登校になったりしなかった。不登校にならなかったのが偉いとかいう話ではなく、事実としてぼくは、なんやかんや通えたのである。そう。
ぼくは今の今まで、なんやかんや社会のレールで生きていた。
決まった時間に学校に行ったり会社に行ったりしていた。決められた期日までに宿題や、仕事をこなしてもいた。別に優秀ではなかったが、思い返してみると、ぼくはある程度普通に普通の人生を規則正しく、たまに乱しながら、しかしやっぱり規則正しく、生きてきたのではなかったか。だとするならば、ぼくは普通の社会生活を送ることが不可能なのではない。
多分シンプルに、サボってる。
サボっているというよりは、反転したのだと思う。趣味と、仕事の割合だ。会社員時代は、仕事の中に僅かな楽しみとしての趣味的要素があった。しかし今は、ほとんど趣味の活動の中に仕事を組み込もうとしている。拘束力のある仕事と、拘束力のない趣味、どちらがより血眼になってやれるかは、明らかだった。もちろん、ほとんど趣味としてのことだけやって生きていけるなら、別にそれでもいい。だが、あいにくまだぼくは、そんなステージにはいないのだった。それに、趣味と仕事に関して、思うことがある。
趣味と仕事は、相反しない。
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東真直の本音しかない日記
〔イラスト_専属絵師ささち〕 本音なんて聞きたくない方は読まないでください。 ぼくの本音を聞く覚悟がある方だけ、ご購読頂けると幸いです。
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