守りたいもの_2021/08/17
ここ数日、ぼくは生と死について考えてきた。Twitter、通称ひらがなあずまアカウントでもそのことを呟きまくり、また日記でも書き続けてきた。前回の日記では、生と死は等価値であり、切り離せるものではないという、カヲルくん的な話をしたのだった。
だがここにきてまた一つ、自身の考えを否定しようと思う。否定というか、更新である。ぼくは生の角度、また死の角度から考えることにより、結論として退屈がそれら共通の敵であるとした。けれど、微妙にズレていたように思うので、今日の日記ではそれを訂正しようと思う。
生と死は等価値である。
思考の上では。
※ここからの内容はぶっちゃけ過ぎているので口外は厳禁でお願いします。SNS等での発信もご遠慮ください。
ぼくが間違っていたのは、本当に死にたいと考えることができるという前提で話を進めていたことだった。生に対する現実逃避ではなく、純粋な死への希望を持ち、死へ向かうことにより、そこまでの生を考えることができるのではないか、という考え方だ。しかし、本当にそんなことが、可能なのだろうか?ぼくは確かに、ここ数日、自身は死へ向かうのだという前提で様々なことを考えてみた。そして、改めてツイートなり、日記なりを読み返してみた。それらを他人事のように、引いた目線で。
いや、現実逃避じゃね?
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