10年後の君達へ_2021/09/21
先手を打つと、進撃の巨人ではない。
10年後の君達へ。
これはこの日記を誰に向けて書いているか、という話である。もちろん、後付けだ。最初は自分の為だけに書いていた。好き勝手、ただ自分の日記を書き散らす為に。内容によっては、未成年の多い読者が読まない方がいいものもある。だから未成年では買えないように、わざとこの日記はnoteのマガジンというクレジット決済できないと買えないようにもしている。
しかし徐々に、この日記を日々書き残す意味合いは変化していった。最近、Twitterのスペースを使って子供達と関わるようになったことが大きい。彼ら彼女らの中には、日記を読みたくてもクレジット決済ができず、買えない子達が多くいる。彼らがもう少し大きくなって、そのときまだ東真直のことを覚えていたなら、もしかしたら日記を買うのかもしれない。買わないという前提でいた子供達が、いつかこの日記を読む日が来るかもしれない。そう思ったとき、子供達が読むこの日記には、どんな意味があるのだろうか。そんなことを、考えるようになった。
それはきっと、未来の彼らへの手紙だ。
若い読者でも、10年も経てば今のぼくの年齢になるだろう。
かつて憧れた東真直という人間と同じか、それに近い年齢になったとき、同じ世代として悩み生きた平凡なただの人間は、日々何に悩んでいたのか。何に苦しんでいたのか。何を考えていたのか。それがこの日記の有料部分には、克明に記されていることだろう。
今のぼくが、彼らに偉そうに説教することは容易である。しかし、かつての自分を見ているようでも、あの子供達はそれでも、ぼくと同じではない。似ているようでいて、みんなそれぞれ違う人生を生きている。ぼくから見たら無謀に思えることでも、ぼくは上手くできなかった道だとしても、彼ら彼女らは道を切り開くかもしれない。ぼくが諦めた道に、全く別の正解を導き出すかもしれない。彼ら彼女らに必要なのは、説教ではない。少なくとも、それはぼくの役割ではないのだ。では、今のぼくに残せるものは何か。
それは、今のぼくと同年代となった彼らに手紙を書くことだ。日記という、名を借りて。そこにいるのは、彼らを説教する五月蝿い親父ではない。彼らときっと同じ目線で、同じようなことで、同じように苦しんだ、当たり前にいる二十代中盤の男がいるだけである。それならばきっと、同じ目線で、同じ感情で、彼らに何かを届けることができるのではないだろうか。そんなことを、思った。
ぼくはこれからも、日記を書き続けるつもりだ。TikTokを辞めても、YouTubeを辞めても、LINEを辞めても、Instagramを辞めても、Twitterを辞めても。この日記は、最後まで残そうと思っている。
23歳の君へ、24歳の君へ、25歳の君へ。
30歳の君へ。
40歳の君へ。
50歳の君へ。
もっと生きられるか、書き続けられるかはわからない。けれどつまりは、この日記は、そういうことなんだろうと、今は思っている。自分の為に書いた日記だからこそ、それがそのまま、未来の子供達への手紙になる。彼ら彼女らがそのとき、この日記を読んで何を思うのか。それともその頃には、読者なんてどこにもいないのか。それはわからない。しかし、わからずとも。今日もまた、いつかこのタイムカプセルを開けるであろう子供達へ、未来の大人達へ、手紙を書き続けようと思うのだった。
10年後の君達へ、書かれていることは意外と、くだらないことだったろう。
※ここからの内容はぶっちゃけ過ぎているので口外は厳禁でお願いします。SNS等での発信もご遠慮ください。
ここからは、その大人へ向けた内容を書こう。
ここから先は

東真直の本音しかない日記
〔イラスト_専属絵師ささち〕 本音なんて聞きたくない方は読まないでください。 ぼくの本音を聞く覚悟がある方だけ、ご購読頂けると幸いです。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?