職業、TikTok小説家。_2021/12/08
若さとは、可能性の紛糾にあったように思う。
老いとは、可能性の収束にあるように思う。
かつて幼かったころ、大人とはなんと頑固なものかと思っていた。過去の価値観に囚われ、固執し、融通の利かない頭でっかち。それはある程度の長さを生き、自らのできること、できないことを悟り、可能性を収束させた故に起こる現象であるなと思う。そして同時に若者こそ、可能性の紛糾によって頭でっかちになっていると感じることが増えてきた。
やれ多様性、やれ個性、やれやりたいこと、やれ主張。それは可能性を広げる思考であると共に、どこにも流れつかない言葉だけの迷宮に迷い込んでいるようにも思える。
若さにあった可能性の紛糾とは、
老いに向けた収束の為にあったのではないか。
全てが不確かだった若い頃、ぼくは全てを疑った。友達とは何か、恋とは何か、愛とは何か、人とは何か、自分とは何か。そうして沢山のことを考え、それで視野が広がった気がした。今思えばあれは、いつか向かうべき収束の地を探す、思考の旅だったのだと思う。自分がいるべき場所は、ここでもない、あそこでもない。じゃあ一体どこにあるんだ。そうやって迷いに迷い、やがて大人は自らの居場所を定めていくのだろうなと思う。世界の全てを知ることはできない。
「逆立ちしたって人間は神様になれないからな」
そんなことを、かつて機動戦士ガンダムでカイ・シデンが言っていた。なんでもはできない。全員は救えない。可能性を広げていく上で、若者達は自らの無力を知る。その上で、自分には何ができるのか。そこからが自分だけの人生の始まりであると、今は思う。神様になんて、ならなくていい。ただ自分がやるべきことに、誠実であればいい。
ぼくの迷いに迷った思考の旅路は、きっと来年から。いいや、今日この日から収束に向かっていくのであろう。広げまくった思考を収束させ、ある程度世界を決めつけ、現実を見つめ、可能性を閉ざして老いに向かう。ぼくはそれが、楽しみでならない。
ぼくの名前は、東真直。
座右の銘は、物語のように生きる。
職業は、TikTok小説家である。
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東真直の本音しかない日記
〔イラスト_専属絵師ささち〕 本音なんて聞きたくない方は読まないでください。 ぼくの本音を聞く覚悟がある方だけ、ご購読頂けると幸いです。
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