現実逃避の有効活用_2021/11/13
小説なんて、ただの現実逃避だ。
誰が恋人とキスをしている最中に、本を読むだろうか。
誰が家族の結婚式で、本を読むだろうか。
誰が楽しい友人との食事中に、本を読みたくなるだろうか。
学校や仕事、恋愛等の人間関係。ぼくらは様々なことから逃避する。そして物語という無人島に漂着した。それは読み手も、書き手も、同じことだ。これがただの偏見であることなど重々承知の上で、ぼくは物語とはただの現実逃避の手段だと思っている。
しかしここで、疑問を一つ。
現実とは、なんだろうか?
勉強に向き合うことだろうか、仕事に励むことだろうか、恋愛をすることだろうか。それらはまさに現実っぽいが、現実とは「現に実際こうであるという状態・事実」のことと、ググったら出てきた。ならば、自分の精神的な問題が事実として表情や仕草、言動に影響を及ぼすのならば、それもまた立派な現実と言えはしないだろうか。
誰が家族が倒れて、学校に行くのか。
誰が望まない相手と、結婚するのか。
誰が失恋したてで、笑えるのか。
ここまでのことではなくとも、その大小に関わらず悩みの種は尽きない。それは弱いからかもしれないし、強過ぎたせいかもしれない。心の問題だと処理しようとして、次第に体を壊したりする。働けなくなったりする。これはこれで、心が抱える問題という、現実から逃避した結果ではないのか。
心は他人から見えたりしない。見えるのは、心臓の鼓動が伝わった、誰かの行動の些細な変化だ。だからそれを、現実の問題として処理しにくい。自分ですら、「気の持ちよう」だと考えるだろう。こんなことで悩んでいる自分は、なんと弱くてくだらない人間なのだろう、そんなことを思うかもしれない。そして、今度は逃避するのだ。他人からも自分からもわかりやすい、勉強や仕事を頑張るという、現実逃避をし始める。
全部、現実だ。
目の前のやるべきことも、
心が抱える問題も、
全て現実なんだ。
なら、使いこなせばいい。
※ここからの内容はぶっちゃけ過ぎているので口外は厳禁でお願いします。SNS等での発信もご遠慮ください。
ここから先は

東真直の本音しかない日記
〔イラスト_専属絵師ささち〕 本音なんて聞きたくない方は読まないでください。 ぼくの本音を聞く覚悟がある方だけ、ご購読頂けると幸いです。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?