他人の為に書く_2021/01/24

※ここからの内容はぶっちゃけ過ぎているので口外は厳禁でお願いします。SNS等での発信もご遠慮ください。

「アズマ時代が絶世期だった」

昨日のライブ配信で、フォロワーに言われたことだ。ぼくも、全くその通りだと思った。アズマ時代とは、ぼくがまだ顔を出しておらず、メインも語りで、そして渋谷の氷を生み出した時代だ。音源使用もされまくり、1~2ヶ月でTikTok5.6万人まで一気に押し上げてくれた時代。それと同時に、人間ではない時代でもあった。やったことのないインフルエンサーであろうと務め、書かなければ価値が無いと強く思っていた時でもあり、書けないことが怖くて、思いついたらそれが、深夜の3時だろうか飛び起きて書いて、そのまま録音して編集して、動画を出していた。日に3本投稿くらいが当たり前で、多い時は6本出していた。長いシリーズも、二日で全話投稿を終わらせていた。

ハッキリ言って、イカれていた。

アズマとは、ある種の天才だったように思う。今のぼくはもう、彼がどんな気持ちでSNSをやっていたのか、書いていたのか、わからない。けれど、彼が書き残したものはある。そこからは、血の匂いがする。毎日泣いて、毎日吐いて、仕事もしていたからそれでも、毎日YouTubeの編集もしていた。仕事かSNSかしかしていなかった。アズマはずっと、独りだった。

今のぼくには、もうアズマのような狂気も天才性も無い。眠いからめっちゃ寝る。でも、それで良かったように思う。ライブでも話したことだけれど、たぶん。あのまま狂気に任せて書き続けていたら、ぼくは自殺していたと思う。これはあらゆるクリエイターが陥ることだとも思うが、一人で何かを作っていると、向かう先は必然、死になる。フォロワーに、

「アズマ時代の貴方は、太宰治のようだった」

そう形容されたのも、納得がいった。それは別に、太宰治のような文才があるとか、もちろんそういうことではない。内側に籠り、死に向かっていく様のことだろう。最初はカジュアルに言いたいことを言うような、そんなものを書いていても、やがて書くことは無くなる。無くなったら、今度は自分の更に深い場所に潜っていくしかない。そうして、心の中を潜って、潜って。

行き着く先は、命しかない。

最後に差し出し書くものは、自分の死しかないのだ。

それほどまでに命を剥き出しにして書いたものだから、それはきっと強く誰かの心に訴えかけるものでは、あったかもしれない。けれど、それはただの狂気であって、作家としてではない。もっと言うのであれば、エンタメではない。死んでしまっては、笑えない。

だからぼくは、他人を書きたいと思うようになったのだ。

他人と共に作りたいと思ったのだ。

内側に進めば死しかないなら、外側に進めばいい。外の世界は、自分の中よりもずっと広い。書ききれないほどのテーマが、書ききれないほどの悩みが、外の世界には沢山ある。だが、外の世界のことは、自分ではない。だから、もうこれまでの狂気で書くことはできない。必要なのは、他者の声に耳を傾ける姿勢と、そして。それを物語の姿に変える、技術だ。

情熱と狂気だけで書くのがアマチュア。

技術で伝えることができるのがプロ。

ぼくはそのように思う。
今年は、プロになりたいのだ。

プロとしての、@動画で物語を書く人に。


そう思わせてくれたのは、今年あった沢山の出逢いによるものだった。


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