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泣いた過去も他人の肥やしになるならば、これからも割れたガラスの上で踊ろう/日々の写真/#7

東豪です。僕が5年前からお世話になっている新大久保駅前の東洋鍼灸治療院があります。


東洋鍼灸治療院は2020年を向かえて開院11年目のスタートをきりました。これまでの7,8年間は、鍼灸学校を卒業して4~5年目の現場経験者の鍼灸師を採用しておりましたが、ここ数年は、卒後2,3年の比較的経験が浅いスタッフの加入が多くなりました。


一見すると、経験者の採用の方が「マル」のように思うのですが、意外にも治療院としてのまとまりが良く意思疎通も良い点や、向学意欲が高さからくる極めて眼差しの厳しさが、既存のスタッフにもビシバシ影響を与え、教育する側される側双方に刺激があるのは確かである。

東洋鍼灸治療院 地図

主に、僕の役割は新スタッフの技術部門の研修です。これまで他人に鍼を教えるということはなかったので、スタッフは困惑したことも多かったと思います。


それでも驚きなことに、スタッフの技術的成長度があまりに早く(僕が6ヶ月間かかって覚えた技術を、2週間で覚えてきたり、2年間かかって覚えた鍼の打ち方を、教えたその場でできるとか……驚)、スタッフに恵まれているな~と思っている。


卒後に感じる「将来への不安」

不器用な僕からすると、驚異的なスピードで成長していると感じるスタッフだが、そんな中「将来への不安」を口にする一人のスタッフがいた。


「何にも心配ないけどな~」と言うと「そう思うのは外からみているからだ」と言われる。僕に聞いても仕方ないと思う。僕もたくさん泣いた日々があって、今ようやっと、人の顔を見て話しを出来るようになった。僕の時と比較すると、新しく入ったスタッフの皆さんはずっとずっと順調だよと、話をする。

3年間で学ぶ医学知識はそれなりにあって、学校に入ってから四苦八苦した話。

部活動でグラウンドに出ては土に触れていて、なおかつ年中バットを振った。手の皮は厚く硬く、繊細なツボの反応が分からなかった話。

身体全身を使う運動はそれなりにできたが、手先は不器用で、鍼と灸の試験はいつも下から数えた方が早かった話。


卒後、伊藤先生の元へ弟子入りすることができたが、技術だけではなく、社会経験や人生経験の不足から、伊藤先生や患者さんには迷惑をかけた話。


などなど…。失敗した話しは本当にたくさんたくさん……。


それでも、失敗した過去が、今ではスタッフにとって、多少の肥やしになるならば、苦い経験も悪くないかと思う。


そんなことで今は、少々辛くても苦しくても、ゆっくりでも半歩でもいいから、歩むことは止めないことにした。


たとえそれがガラスの上であっても、今は喜んでその上で踊ろう。その経験が、他人の肥やしになるならば。


レイチェル・プラッテン
Broken Glass


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