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KYOTO GRAPHIE備忘メモ①-ECHO of 2011-

京都で開催された写真展を虎者観劇の合間に見てきました。

ECHO of 2011 @二条城

波-記憶の中に(リシャール・コラス)

東南隅櫓の中に展示された震災当時の写真を懐中電灯で照らして見て回る。
視覚情報が手元の明かりが照らす先に絞られるので、感覚が研ぎ澄まされる感じがあり、よかった。
ちょうど、おかえりモネを熱心に見ていた時期だったのもあり、瓦礫の山や添えられている地元の方のコメントがしんどくて。
一枚目の写真の時刻を見て、10年前の8階体育館で体感した揺れや光景を改めて思い出したりもした。
原爆投下時刻で止まった時計なんかもよく引用されますが、当たり前の毎日の時が止まった様子が表れていて、生々しいですよね……


Sacrifice(片桐功敦)

一番の感想は、美しかった、です。
こう言うのも憚れますが……

放射能に汚染された土から新たな生命である草花が咲く様からインスピレーションを受けたとのこと。
帰宅困難区域に咲く花をその場に生けた作品は、鮮やかで、綺麗で、でも、それを喜んではいけなくて、こうして美しいと思う自分にとても罪悪感を感じる、なんとも後味の非常に悪い作品でした。凄く良かったです。


防波堤(ダミアン・ジャレ&JR)

演者の息づかいがよかったです。(正直、当日ほんっっっとに暑くて、二条城まで行くのにヘトヘトだったので疲れて寝てしまった……)


空白を埋める(小原一真)

目に見えない放射能に怯えた10年前と目に見えないコロナウイルスに怯える現在を重ね、医療従事者による日々の患者との会話の記録などの展示。

自分たちの愛してきた海が汚染された海と言われると傷つく(ニュアンス)といったサーファーの方のコメントがあり、おかえりモネの「それでも海は」のフレーズを頭の中で反芻した。


STAND(四代田辺竹雲斎)

LOEWEってこんなのもやってるんだ〜と思った。(浅くてすいません)
右側映像展示の中で、田辺さんは竹を再利用しながら作品を作っていると仰っていて、つまり1つの作品は一定期間しか世の中に残らないパビリオンのようなものとのことで、儚さが美しいなと思いました。
書道パフォーマンスのようなダイナミックさがありますね。


中盤にも書いた通り、ほーんとにこの日は暑かったので、二条城の休憩所でなーんも特別じゃないメロンソーダを啜り、んー、やっぱり着物着て観劇したいなぁ?と突如思い立ってその場で祇園の着付けできるお店の予約をした。

その後平安神宮のあたりまで行き(タクシーアプリDiDiって死ぬ程便利ですね…!)、トラジャが写真を撮っていた場所で写真を撮り、少し並んで岡北でおいしいおうどんと、やむを得ずビアーをキメました。


盛り沢山で長くなってきたので、一旦二条城の展示で切ります。

KYOTO GRAPHIE
会期終了済。

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