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甘美なムードに
ゆめうつつ。
こんにちは。頭が痛いような気がします。気のせいでしょう。はぁーい。
私はハンバーグの写真をあげるだけで褒められるコミュニティに属しています。ちょっと自己承認欲求が出てきた時に使わせていただいてます、へへ。
実家では父がコロナにかかってました。1日で治していましたがちゃんと1週間隔離してました。律儀ですね。家を感じます。あぁ、頭が痛い気がする。
最終日には本も読み終わり、ドラマも見終わり、あとは映画だけになっていたようです。なんだか義務のようにエンタメを消費し続ける父を見て私はずっと不思議でなりません。もっと気軽で、身軽で、楽しいものなんじゃないの?と思ってしまいます。
話は変わって、最近よく「うつ病は甘えじゃない、原因の遺伝子が発見された」みたいなネット記事が流れてきます。うん、それはありがたい、その調子で完治よろしくといった感じです。分かった、認めてくれるんだね、じゃ、住みやすい世の中よろしく。と言いたいところですがそうもいかず、社会人に、ならなくてはならないようです。
会社には「以前の病歴を調べること」を許可しているため上司となる方が私の病気について知る日はそう遅くは無いのでしょうか。
それとも、特に何かない限り調べられずに生きれるのでしょうか。
不安は、募るばかりです。
そういえば私ね、卒業決まったんですよ、卒業式は正直しんどいから行きたくないんですけど、
眠れませんでしたね、も少し詳しく言えば眠りましたが0:00に起きましたね、、、2時間睡眠で草。睡眠薬なんてストレスを前にしたらその程度の力しか発揮してくれません。他の薬も同様。決まってすぐに両親に連絡しました。そこで寝落ちしました。おばあちゃんにも連絡しました。お祝い金が届きました。そうだった、私はそういう環境で育ったんだった、と思い出しました。
「社会人になっても東京に住み続けるの?」ごまんと聞かれた言葉です。答えはYESです。しばらくはここにいたい、変化を、あまり好まないが故の答えです。この問いに、様々な思いが込められていることは、百も承知でした。まぁ、まだ不確定要素なんですけども。
正直、どこへ行ったって私は私だし、それなりにやっていくだけの力はあると思います。それは過去の私が証明してくれているから。過去と今の私が違わない可能性なんてないじゃないの、と言われるかもしれませんが、それでも、できる気がします。そう思えているから、きっと出来るのです。
でも九州は、醤油はしょっぱくてなんぼだと思ってるし、名古屋は、食べ物の味が濃いし車の治安は悪いし、その辺は避けたいですね、そこに住んでる皆さん、すみません、これはあくまで私の好みです。
あとは大阪か、あそこもな、もう、行くとこないんだよな、と、両親と話していました
妹が「USJ!」と言うのですがあれは安かったから良かったのであって今のはもう、高いし混んでるしであまり行く気が起きませんね、あと普通に歩いていて話しかけられる人間性が性にあわない、傍から見てる分には楽しいけど、当事者になると私の中にある大阪の血が「ボケな、ツッコまな」と言い始めるんですねこれが、そして京都の人が怖いのも血筋なのかも知れません、あと親戚付き合いが大変そう、もう今がどうなってるか把握してないよ、お葬式行けてないけどお線香立てに行かんで大丈夫なんやろか、というか祖父母で問題があった際に呼び出されるのが唯一長野に住んでいる私らと言うのはどゆことなんやろか、私には、まだまだ知らないことが沢山あります。
親戚付き合いで言うと、私の親戚は大阪、埼玉、山梨、広島にいることが分かっています。小さい頃は良く連れ回されましたがもうどこがどうなってドユコトみたいな人たちに会っていた記憶しかありません。お母さんの従兄弟の息子、?なんで私がその人と一緒に葬式にいるんや、?と、言うことはなくなったこの方は私の何にあたる人なんだ、?そんな葬式に、4回とか出てた気がします。そしてその人たちからは毎年実家に米やらぶどうやらが届きます。私らはスイカやらリンゴやらを送ります。え、私ひとり立ちしますけどその辺だいじょぶそ?というのもよく分かっていません。三重とかに配属になった日には伊勢海老でも送るべきなんでしょうか。あぁ、頭が痛い。
そういえば受験シーズンでしたね。その度に思い出します、大学受験を。本当に体感30%も出してない力で受かってしまった大学です。100%ならどこまで行けたのだろうか。そんなことを考えてしまい上の大学の凄さが分からずにいます。そんなに大変?少なくともMARCHに行った人と共テは張り合えてたんだよな、みたいな。病気を患った状態で、張り合えていたんだよな。みたいな。きっとこれを世の中の人は「やるせない」という言葉で表現するのでしょう。そして私は「しょうがない」と何年も何年も言い聞かせてきました。それが再燃しちゃったのはやっぱり就活でしたね、そこまで強くなかったのだと思い知らされました。「どうしてそこまで大企業にこだわるの?」ゼミの先生に問われました。分かりませんでした。ただ、周りの人の大半が、そうしてたから、私もそうあるべきなのではと思ってしまっていたのです。あとは、大阪の方の祖父母のご機嫌取りみたいなところもあります。偉い金額かけてもらってますからね、自慢の孫にならないと、という縛りがありました。
結局、それなり、と言ったところに就職することになりました。未だに「うちにも同じ高校の人いるよ」と言った面接官は許していません。まぁ、きっと試験結果と大学名が見合ってないと思われたのでしょう、知らんけど。
とまぁなんとも、不安しかない日々を送っております、それでも生きてく歩いてく、と言った感じです。
お味噌汁を簡単に作れるようになりました。食器を溜め込みすぎないようになりました。週に一度は、お掃除ができるようになりました。ウーバーは、まだやめられていませんが。少しずつ、前に進んでいるよね、ハム太郎?ヘケッ
ばいちゃ